日常
「こ、ここは」
翌日、久美は頭の痛みをこらえながら起きた。
見知らぬ部屋、ではなかった。
おそらくビジネスホテル。シングルルーム。どこでも大体同じなので見知っていると言っても過言ではない。
時計は7時。家に帰って着替える時間はあるだろうかと概算する。久美は会社と近くてよかったと安堵した。
最低限の身だしなみを整え、部屋を出る。同じような状況の光と遭遇し、朝食を一緒にとることになった。先にヴィがいて、お茶を飲んでぼんやりしていた。
挨拶をしてから同じテーブルについて、久美はちょっとだけ朝食をとってくる。よくあるビジネスホテルの無料朝食だ。
ごはんと海苔とみそ汁で終わりである。二日酔い(弱)というステータス異常はなかなかに厄介だ。光は朝から特盛で、若さを感じさせる。
「ほんと、散々でしたね。
でも、ここで知り合ったのも何かの縁ということで連絡先交換しませんか?」
光の提案により、久美とヴィの三人は連絡先を交換することにした。その後の予定もあり、食事後はバタバタと別れることになった。
今日も仕事がある。
しんどくてもやることがあるのはいいことだろう。久美はそう思うことにした。
番協会へ行ったときより、二か月ほどたって魂の制御装置の使用許可がでた。新しい機器であり、現時点では国家からの承認が必要だったのだ。
使用感などの定期的な報告が必要で、メンテナンスは最初は月一でやることになっている。
説明後にその装置をつけた途端、久美はぶっ倒れた。幸い支給した間宮の目の前だったので即救護された。
「別の論文の症例が出てる。
過剰な魂を持つ人って、頑健だっていう話、聞いたことないよね。エネルギーを余分にもっているから、過剰に動いてもどうにかなっちゃうんだよ」
久美は朦朧とした意識の中で嬉々として語る間宮に運ばれ、医者に渡され、あらゆるデータを取られた。
ぼんやり見知らぬ天井を眺めているときに姫宮と光が駆け込んできた。
「お姉さん! 倒れたって聞いて! ああ、おいたわしい。死にそうな顔色に」
「いや、大丈夫……。魂エネルギー削りすぎたって、調整してもらったからもう平気」
久美としては体調不良の日くらいの不調になった。これで調子が悪いというなら、過労。入院したら?という間宮の呆れた顔をしていた。
久美としてもちょっと、働き過ぎかなぁと思っていたのでその指摘はぐっさりときた。
「光さんも今日、もらったんですか」
「まだです。指定時間に来たらバタバタしていたので……。
これからソレつけるんですよね。大丈夫かな」
「どうかな……。ヴィさんもどうしたんだか」
「あ、夜に来るらしいですよ」
つまり、最初の久美でやらかしたということだ。
「ごめんってばーっ!」
その声に視線を向ければ姫宮に間宮が詰められて壁際まで追い込んでいた。
体格差があるはずなのに姫宮がきちんと追い込んでいるのがわかる。
「そういえば、卒論は?」
「聞かないでください。もう、どうにでもなーれー」
雑談のつもりで振った話題だが、虚ろな目でそう返されてしまった。久美の焦った大丈夫だよ! という声掛けに光はふふふ、そうですねーとやはり虚無な返答をした。
失敗したどころではない。
「そ、そぉだ、今度、おいしいものでも食べに行こう? 二人から予約のお店とかあって、行く相手いなくて困ってたの。おごるよ!」
久美は社会人の経済力でリカバリーできるか賭けた。実際行きたいお店はあったのだ。今まで時間の都合がつかなかっただけで。
「いいですね! じゃあ、ヴィさんも誘いましょう! なんだかよくわかんない打ち上げです。
あ、お金はちゃんと払いますよ。私もバイトしてるんで!」
光はさっそく日程を押さえにかかっている。よほど追い詰められているらしい。久美は、おいしい店のリストを送ると約束した。
そんな話をしているうちに姫宮と間宮での話はついたようだった。
久美は検査入院三日。ほかの二人への制御装置の貸し出しは数値を見て、調整することとなった。
「すみません。もし、無給となったらこちらから協力金だしますので教えてください。
それから、こいつは締めときます」
「すみませんでしたっ」
「いいですよ」
いまなら久美が抜けた程度で会社が回らなくなることはほんとはない。久美から会社に連絡を入れ、状況の詳しいことについては間宮に丸投げした。専門用語で煙に巻こうとしているのが聞こえる。上司も応戦しているようで、意外と技術屋だったんだなと新しい発見だった。
三日後、会社に入ったところでデリスに抱きつかれた。
「せぇんぱぁいっ!」
「ちょ、なに!?」
柔い何かに包まれて久美は焦った。何かの溺れるような感覚がある。
「ちょっと検査してきたくらいで……」
「なんか大病って聞いたんですけど」
同じ部署の人にそう言われても久美には心当たりがなかった。だが、ちょっと怪しいことはあった。間宮だ。適当に盛った可能性は否めない。
「病気じゃないです。過労です、過労」
そう言えば、お大事にと言われて解散された。なお、デリスはそのままである。
「ほら、大丈夫」
「ほぉんとぉですかぁ?」
渋々といった様子で離れるデリス。
「ええと?
心配しました。仕事が山積みです。それというのも久美先輩の仕事を全部他の人に振ったから。
ああ、ごめんごめん。回収する。締め切り近いのだけ戻してください。あとは応相談で」
デリスは(-_-)という顔だった。
少しためらったように書かれたメモにはこうあった。
「本当は監禁されたんじゃないかって」
それならあの反応もおかしくはないような気がしてきた。久美は大丈夫だよと重ねた。それならいんですとそっけない文字が返ってきた。
久美はそれから上司との面談を経て、仕事の量を減らすことにした。増員されることが通達されたという。それも昨日に。
聞けば、昨日、シバが視察に来たらしい。久美がいないことに気がつき、入院中であるということを伝えられ慌てていたようだった。それからすぐに人の手配をされたのだろう。
久美は渋い顔のままそうですかとだけ伝えた。
気にかけてくれたことはうれしいが、痛みもある。
「ああ、なんだ。
気を落とさんようにな」
「大丈夫です」
上司の気まずそうな声に笑顔で応じた。
「でも、有休が欲しいんですよ」
久美はここぞとばかりに要望をねじ込んだ。
もぎ取った有給で光とヴィと豪遊するつもりである。ヴィも仕事が多少楽になって休めると言っていたし、あとは光の卒論だけだなのだが。
その件はそっとしておく予定である。
上司の不承不承の顔を思い出しながら、久美は席に戻った。言い返せるようになっただけ成長したのか、気力が戻ってきたのかは不明だがいいことだろう。
それにしても、と久美は思う。あの上司が気を使ってくる日がくるとは。それほどに番制度というのは浸透している。
そうでないのが不幸に見えるほどに。
久美は番にはならなかったが、それでも、得たものはあった。番だったからという配慮ではあったが、番でなくなってもなくなりもしないもの。
そこに彼の優しさがあったと信じていたかった。
久美は仕事に戻った。平穏な日常こそ幸いであるのだろうから。
何かいい匂いがした気がして、シバは振り返った。しかし、人に紛れ誰かもわからなかった。いや、探したくなかった。愛しいと思ったものを気の迷いと振り払ったことを恥じているから。
彼女が頑張っているところが好きだった。番だからということを捨ててもそれは残っていた。
だから、もう、遠くから幸せを願いうことにした。
もう一度、捕まえたくなってしまわないように。




