ブラックorホワイト
翌日、予定通り久美は休んだ。家を一歩も出ないほどの休み。
その次の日に会社に行こうと駅に向かえばシバがいた。
「お休みなら、おやすみって教えてください」
ふてくされたような言い方が妙に可愛く見えた。毒されているなと久美は眉を寄せた。
番、番ねぇとドラマを見まくったのが良くなかったのである。不遇の女性が溺愛されて最高に幸せ、みたいな話が多かった。意外と獣人の女性がというのは数少ないなという気づきはあったが、役に立つことはなさそうである。
久美もちょっと最高に幸せって良いかもなぁと思い始めたところである。疲れているのだ。高級マッサージやエステを貢がれたい。
いや、でも学生に言うのは社会人としてどうなのだとおもうところだ。
「聞いてます?」
「休みという名の寝るだけの日なのです。どこかに出かける気力も体力もありません」
人生にはテレビと話す時間だってきっと必要。
「え、大丈夫ですか? もっとお休みできるようにしましょうか?」
「仕事があるので、締切も」
おやすみぃっと飛びつきそうになるのを久美は大人の余裕ですという顔で隠した。休んでも私の仕事、誰もしてくれない、という冷酷な事実が冷静にさせた。
まずは、人員を増やして、使えるようにして、それからのお休みである。
今の会社はそれができない。業績が悪いわけでもないが良くもならない。徐々落ちをブラック労働で持ち上げている、そんな感じである。
わりと後ろがないなという共通認識が罠である。
「大人ってすごいですねぇ」
シバからキラキラの目で見られたのでやっぱりちょっと罪悪感があった。
さっさと転職したほうがいいという会社でもまだ士気が高いのは、給料が下がらない、ボーナスが減らない、という点が大きい。春と秋にも寸志としてご近所の美容院の利用券もくれる。まあ、あれは見た目何とかしてこいやっ! というところがあるだろう。
久美が入る前のことだが、社員がゾンビとか言われたらしいので。
それから他種族が入り乱れているので、セクハラが発生しにくい点もいいと久美は思っている。双方趣味が合わないので、異性と言うより人扱いが多い。残念ながらパワハラは残留している。
上司の長い説教は、長命種、気が長過ぎる問題と一緒くたに考えられているが、久美をはじめ部下は大体通常種か短命種である。時間の価値が違う。
そこだけが最悪である。
にこにこ笑うシバを横に久美は駅に入った。
そして、ふと気がつく。
「満員電車の経験あります?」
「大丈夫です! お守りします」
その言葉通りに久美が潰されないようにやや空間を確保し、それでいてお触りの一つもなかった。
「いつも大変ですよね。お疲れ様です。みんな頑張ってるなぁ」
嫌味でもなく言われて、久美はきゅんとした。
番でもいいかなぁと思い始めたのである。
それから一ヶ月経過したころには、各部署には新入社員が1、2人増えていた。さらに不利な条件で請け負っていた件をいくつか是正している。
食事状況が悪いですよねと昼に宅配弁当の支給も始まり、皆が夢なのかと呆然としていた。
それもこれもシバとその一族の力である。
薄っすら支配者をしているとは言え、獣人の一族の力はまだ生きている。それを見せつけられた形だ。
普通なら恐ろしいものに見えてくるが、
「久美さんが、楽しくお仕事するための手伝いができて嬉しいです」
そう言ってにこにこしているシバは天使のようなきらめきだった。
別に久美は仕事が好きではない。好きではないが、生活のために働いている。望みの仕事でもない。しかし、いきなり辞めろと言われるとかちんと来るくらいにはこれまでやってきた自負はある。
よくあると聞いたすぐに仕事辞めて家に入るように言われたら、久美は徹底抗戦しただろう。
しかし、ここまで配慮してくれれば、番、やむなし。
いや、番にして! である。
そこまでぐらついているが、久美はいまだ了承していない。
ほんのりとした不安があるのだ。
私は、ちゃんと、彼が好きになれるだろうか、と。
与えられたものを享受するだけではなく、なにか返せるものがあるのだろうか。
それこそそこにいればいいと言われるものだが、番である一点で好かれているのは儚く脆い。
了承しないことに苛立つこともなく、待ってくれるシバに後ろめたさを感じながら更に一ヶ月がたった。
「今日、大学に来たりしてませんよね?」
夕方に会社に顔を出したシバが腑に落ちないような顔でそういった。
「朝から今まで外に出てません」
「そうですか。
久美さんの気配がしたと思ったんですが……」
そういった1週間後、急にシバは会社に顔を出さなくなった。
試験があると聞いたので久美は気にしなかったが、ハム獣人が首を傾げていた。彼いわく、一日一回は摂取しないと死んじゃうっ! って感じらしい。
摂取ってなにを? という問いを久美は口にしてしまった。
少々気持ち悪い感じだった。
それからピタッと訪問がなくなり、久美も流石に連絡を入れた。しかし、連絡がつかなかった。
「……久美さん、ちょっとお話が」
シバが現れなくて2週間後に、久美は会社の社長に呼び出された。顔色悪く胃を押さえがちだった社長は、今は血色がよくなっていた。しかし、現在青ざめている。
「なにか?」
役員も勢ぞろいした会議室に久美はびびった。なにか大失態をやらかしたのだろうかと。
しかし、役員及び社長は久美を痛ましいものでも見るような視線を向けている。
「あの、だな。
番の件だが」
「はあ」
「間違いだったそうだ」
「まちがい?」
ってあり得るの? というのが久美の感想だった。
「そ、そーですかー」
声が裏返った。
「間違いの詫びで、現状の支援は続けてくれるそうだ。
その、君が、番の件をあきらめてくれたら、だが」
つまり、説得を会社の人に丸投げしたのだ。会社の命運を脅しにつけて。
はぁと久美はため息をついた。拒否したら、会社にいられなくなるのは確実だ。久美が呑み込めば、皆安泰である。
「相手から勝手にきたんです。
私に否はありません」
にこりと笑って久美は宣言した。
内心の煮えたぎる思いは後回しだ。
「そ、そうか、よかった。
では、役員として君を迎え入れるようにも言われている。現場の仕事はしてもらうが、役員報酬が」
言われた金額は今までの給料の倍だった。
久美は渋い顔で了承する。金で買い叩かれたようで腹が立つが、人生は金がかかる。もらっておいて悪いことはない。
迷惑料も弾んでくれたからよいことにしよう。
ということにして会議室から久美はさっさと出て行った。どすどすという内心を隠せない足音を立てながら。
「せぇんぱぁい?」
デリスが心配そうというより怯えたように久美に声をかける。
「晴れてお役御免みたいよ。
全く、間違いないという本能があるんでしょうに」
そう言って涙がにじんできた。番といわれて戸惑ったが、徐々に好きになっていたのだ。それを一方的に、本人が出てもこずに打ち切られる。
それも間違いという一言で。
心底腹が立つ。
「次会ったら絶対殴る。
ボクシングジム通う!」
あの浮気犬なんて殴り倒してやる。久美は鼻息荒くそう宣言した。
あなただけがと言ったのに、間違いで済ませるその性根を叩きなおしてしまいたい。
そうです! その意気です! と大きく描かれた紙に久美は少し笑ってしまった。
そして、泣けてくる。
ひとまず前に引っ越しだ。久美はそう決める。今までは会社が近いと使い潰される恐怖で避けていたが、環境が良くなったのならば無駄な満員電車には乗らない。
あの守ってくれた日々を思い出しても辛いから。
流れる涙を救う半透明の手が優しかった。
「ご、ごめんね」
「せんぱいは、おいしい」
久美は涙も引っ込んだ。デリスはスライム系なので水分は吸収される。もしや味見だったのだろうか。
見上げれば、ピンクに染まっていた。
高速で書かれたメモには、すみません! ごめんなさい! 習性で!!! とあった。
「……大丈夫」
久美はその慌てぶりに色々気がつかないふりをすることにした。




