女子大学生セーラー戦士 セーラーアクア
月織--広大な物語の世界を縦横無尽に駆け巡る、新進気鋭の物語紡ぎ手です。
ジャンルを問わず、読者の心に深く響く「希望」と「葛藤」、そして「成長」の物語を描き出すことを信条としています。特に、全年齢対象作品においては、子供たちの純粋な心にも、大人の複雑な感情にも寄り添い、ページをめくるたびに、新たな「光」を見出すような感動体験をお届けすることをお約束します。
すべての作品が、読む人の明日を照らす一筋の光となることを願って、今日も筆を執ります。
その夜の私は、どう見ても「負け側」だった。
水のバリアはひび割れ、必殺技は途中で吸い込まれ、足もとには砕けた街灯の破片が散らばっている。
正面には、私の放つエネルギーを笑いながら飲み込む妖魔。
背中には、逃がすわけにはいかない住宅街。
あと一撃、何かを誤れば、誰かの生活に傷がつく。
「……っ、く……」
膝が、勝手に笑い始めていた。
呼吸は浅く、心臓だけがうるさい。
それでも立っているポーズだけは崩したくなくて、私は歯を食いしばる。
『アクア、撤退をすすめるわ! 一時的にでも距離を――』
通信の声が飛ぶ。正論だ。頭では分かっている。
でも、ここで背中を見せたら、たぶん私は、自分を許せなくなる。
妖魔の腕がまた振り上げられた。
黒い塊が、夜の空気を切り裂いて迫ってくる。
その瞬間、ポケットの中でスマートフォンが震えた。
――こんな時に。
滑稽さすら感じながら、ほんの一瞬だけ意識がそちらへ向かう。
視界の端に、メッセージの送り主の名前が浮かんだ。
『あきと』
そして、短い一文。
『今日の合言葉、覚えてますか』
合言葉。
昨日、家庭教師の時間に、私は何気なく口にした。
「分からなくなったら、“途中でやめない”って小さく唱えてみて。
それ、今日の合言葉ね」
一次関数の文章題を前に、眉間にしわを寄せていたあきとに、私はそう言った。
彼は半信半疑ながらも、ノートの端に小さく書き込んでいた。
途中で、やめない。
それは、彼のための言葉で。
でも本当は、私自身が何度も心の中で繰り返してきた、私自身の合言葉だった。
妖魔の影が迫る。
私は一歩、前に出た。
「……途中でやめない」
声に出した瞬間、不思議と呼吸が整った。
勝てるかどうかは、分からない。
今日、この戦いが“敗北”として刻まれるかもしれない。
それでも――「途中でやめなかった自分」で終わることだけは、選べる。
私は、水を呼んだ。
全力の一撃でも、勝ちを奪えないのは分かっている。
だからその力を、時間稼ぎに回す。
妖魔の足を縛り、進行方向をずらし、住宅街から遠ざける。
膝が折れそうになるたび、心の中で繰り返す。
途中で、やめない。
途中で、投げない。
途中で、諦めない。
やがて、私のエネルギーは底をついた。
最後の水の鎖が千切れ、妖魔は夜の闇に紛れて逃げていく。
逃した。
それは、紛れもない“敗北”だった。
私はビルの陰に身を隠し、変身を解く。
青い光のリボンが、静かにほどけていく。
ただの、十九歳の女子大学生に戻る。
もう一度スマホの画面を見る。
『今日の合言葉、覚えてますか』
私は、短く返事を打った。
『覚えてたよ。
だから、最後まで立っていられた』
送信ボタンを押すと、指先の震えが少しだけおさまった。
今日の戦いは、勝ちじゃない。
それでも、“途中でやめなかった”という一点だけは、誰にも奪えない。
合言葉は、テストのためじゃなかった。
私と、あの男子中学生のあいだにだけ通じる、小さな約束。
次に立つときも、きっと私は、それを思い出す。
敗北の夜のことを、合言葉と一緒に。




