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業火と氷塊

 軍議の散会後、俺は出入りの商人にひとしきり愚痴を投げた。頭がすっかり禿げ上がった初老の食料品商は、小太りの腹を揺らしながらほっほっと笑った。確かに、他人からは冗談にも聞こえる状況ではあった。


「俺を、願を掛ければ望みが叶う魔法の壺か何かだと思ってねえか、あの王子様」

「確かに、頼めば魔法が出てくる何かではございますねえ」


 食料品商はまたも愉快げに笑った。ギヨーム・デュヴァルというこの商人は、俺が前王の元にいた頃からの御用商人だ。主に食料品を商っており、以前に俺が使っていた魔法の食材も、大半は彼傘下のデュヴァル商会が調達していた。そして現在は、ヴァロワ王家軍向けの兵站を一手に担っている。劣勢の王家軍を見放さず、ついてきてくれるのはありがたい。が、これ以上王家の負けが込んできたら、今後の保証はない。商人は利益のために動く。得るものがなくなれば去っていく。


「何もないところから魔法が出せるなら、百歩譲ってそれでもいいが。魔法料理には食材が要るんだぞ。『川の街の守備隊を派手に撃破できる魔法食材』とか、要求自体に無理がある」

「食材がご入用でしたら、在庫表はございますよ」

「そういう問題じゃなくてな」


 頭を振りつつ、俺は差し出された紙巻物を受け取った。広げてみると一覧には、フレリエール王国のみならず、近隣諸国で穫れる様々な幻獣や神聖植物が並んでいた。どれも高価だが、戦時中にしては悪くない品揃えだ。


「求められたなら、応じればよいのではありませぬかな。かつて貴方のお師匠様が、魔法の炎で軍船八百艘を焼き払ったように」

「無茶言うな。だいたい、あの話は派手に尾ひれがつきまくってる。魔法で燃やしたわけじゃねえよ、あれは」

「見てきたようにおっしゃいますね、アメール殿」

「……ルネ師匠がよく話してたからな。魔法にも向き不向きがある。軍船何百艘も丸焼きにするような火力、魔法で出そうと思ったら、人間の胃袋じゃ到底足りねえ」


 俺は、これ見よがしに溜息をついた。レクラタント川の会戦。新王として即位したヴィクトールが、反対派の軍勢に圧倒的勝利を収め、全土の支配を決定づけた戦いだった。当初劣勢とみられていたヴィクトールは、魔法の炎を用いて形勢を逆転させ、百数十艘の軍船で八百艘の敵船を撃破した――ということになっている。実際にはヴィクトールの軍勢はもう少し多く、敵軍は少なかったはずだが、本題はそこではない。


「あれは本当はな、藁やら油やらを大量に積んだ小型船に火をつけて、一斉突入させたんだよ。別に魔法でもなんでもねえ、普通の火だ……と師匠は言ってた。だから純粋にヴィクトールの作戦勝ちだ。後で『魔法の炎』の威力を宣伝しまくったことも含めてな」


 レクラタント川は北方の大河で、中下流域には常に風が吹いている。風向きは季節と時間帯に応じて変わり、「女心はレクラタントの風のごとし」などという諺もあるくらいだが、基本的には午前中の風は海から、午後の風は内陸から来る。つまり船で戦うなら、朝は下流側が有利、昼以降は上流側が有利なのだ。あの地で朝に上流側から、しかも数で劣る側が仕掛ける作戦など、考えるのはヴィクトールくらいだろう。


「なんと、ではレクラタント川の会戦で、魔法は使われなかったのですかな」

「いや、使われはしたが」


 数分の一の兵力、しかも不利な逆風。普通に考えれば踏み潰されて終わりだ。敵軍もそう思ったらしく、数を恃んで一斉攻撃をかけてきた。俺たちが魔法を使ったのは、そこでだ。


「敵の船が出揃うのを見計らって、川を凍らせたんだよ。ヴィクトールが前線側を、別働隊で動いてた師匠が退路側を固めた。で、前後を氷に挟まれて、敵は身動きが取れなくなった。溶ける頃には昼になって風向きが変わった、そこで用意していた小船に火をつけて……という寸法だ」


 加えて実際には、俺の側の氷を厚くしていた。火計の決行時点で背後の氷は残っており、敵船は退却もできず、なすすべなく焼かれていったのだ。


「ほう。レクラタントの勝利の鍵は、炎でなく氷だったのですな。初めて伺うお話です」

「演出ってやつだよ。氷で足止めとか地味じゃねえか。派手に燃やしたことにする方が盛り上がるだろ、いろいろと。そこまで考えるのが大将の役目だ」


 思い出すほどに、ヴィクトールはすさまじい存在だった。戦略の才と戦術の才、さらには人を従わせる才をも兼ね備え、己が手にした力を完璧に使いこなしていた。

その「力」に自分が含まれることが、あの頃、俺はたまらなく幸せだった。あの日も本隊との合流後、天を焦がす敵船の炎を背に、ふたりで笑い合ったのをよく覚えている。揺れる炎に赤く染まったヴィクトールは、少し疲れた表情で、しかしとても晴れやかに笑っていた。そしてすべてが灰になった後、俺たちは手に手を取り合い、全軍の前に立った。ヴィクトールは組んだ手を高く掲げ、よく通る声で宣言した。これが、神に与えられし正統の王の力だと。今も思い出せる。堂々たる戦勝演説、全軍を包む熱狂、轟き渡るヴィクトールの名――


「話を戻すが、俺はただの料理人だ。大将でも参謀でもねえ。戦略も戦術も、考えるのは俺の仕事じゃねえ。ド派手に勝ちたいんなら、勝つための手順は頼む側が用意しろ。それが普通の道理だ」

「直接エティエンヌ殿下に、そうお伝えすればよろしいのでは?」

「言ってどうにかなるなら、言うけどよ」


 俺は首を横に大きく振った。あの王子様ではどうにもならない。魔法の原理にさえ十分な理解がなかったのだ。魔法が向く用途向かない用途、各魔法食材で何ができるかできないか、等々――己の手札を知らなければ、作戦など立てようもない。ならば、知っている誰かが代わりに考えねばならない。つまり今は俺だけだ。ヴィクトールは魔法食材の具体的な効力一覧を公にはしなかったし、ギヨームはただの卸商人で、魔法についての知識はない。


「ままならねえよな。何もかも」


 俺は手元の食材在庫表をぼんやりと眺めた。あの時と同じ物を用意したところで、同じ結果は出ない。ここはレクラタント川ではない。わかりやすい風は吹いておらず、地形も、彼我の兵力も装備も異なる。なにより人が同じではない。いま王家の軍を率いるのは、軍略も人望も兼ね備えた英傑ではない。知識も人並の冷静さも欠いた、誰からもあてにされていない若造だ。そして俺自身も、昔のように人を殺せない。戦の間は忘れていられるかもしれない。だが、既に思い知ってしまった。長年の間に殺してきたおびただしい「敵」たち、その誰もが同じ人間なのだと。そして、知ってしまえば地獄が始まる。


「できれば人死には、あまり出したくねえんだが、な」


 派手に勝つとは、自分は死なずに大勢の人間を殺すことだ。それで笑っていられるほど、俺は無知ではなくなった。笑い合える相手も今はいない。仮に勝てたとして、あの王子さんによくやったと笑いかけられても、まるで嬉しくはない。できれば両軍、ここでにらみ合ったままでいてほしいが――


「ん?」


 不意にひらめいたものがあった。もう一度、王子の注文を思い出す。「可能なかぎり華やかな、完全なる勝利を我らに」……つまりは派手に勝て、ということ。敵を殺せとは言われていない。ならば人死にを増やさず、かつ見栄えの良い形で勝てばいい。

あらためて在庫表を確認してみる。幸い、求める品は一覧の中ほどにあった。


「なあギヨーム。こいつの在庫量と調達期間はどの程度だ?」

「納期は量次第ですね。手元在庫の範囲内でしたら、すぐにご用立てできますが」

「ありがてえ。まずリヴィエルトンの地形やら、俺たちの装備状況やらを確認する必要があるが、明日のうちには正式に発注するつもりだ。ひとまずそれまで、手元の在庫分は確保しといてくれ」


 ギヨームに依頼を飛ばしつつ、考えを激しく巡らす。戦だから人は死ぬ。この作戦でも犠牲者は出る。己の策で人が死ぬのは苦しい、だが何もしなければ、さらに多くの血が流れる。流血の量を減らせるのは自分だけなのだ。山でエティエンヌに投げた言葉が、不意に蘇る。


(生き物一匹仕留めるのは大仕事なんだぜ。日々山ん中で狩りをしてりゃあ、嫌でもわかることだがな)


 ――ああ、命を奪うのはまったく大仕事だ。圧し潰されそうなくらい。

重い頭を上げ、俺は必要な情報を得に、王家軍部隊の駐留先へと向かった。

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