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「神の料理人」

 飛竜の襲撃から一夜が明け、俺は十数年慣れ親しんだ山小屋に別れを告げることとなった。備蓄の食材、香辛料や調味料は兵士たちが運んでくれたが、調理道具やその他の備品は置いて行かねばならなかった。長年の酷使でくたびれ果て、近く買い替えを考えてはいた品々だったが、使い込んだ道具と別れるのは気が重かった。


「黒岩はちゃんと迂回しろよ。あと、俺が指示した道から絶対外れんな。獣や竜に襲われたら、今度こそは対応できねえからな」


 一行に釘を刺してやると、エティエンヌは首を傾げた。


「魔法で追い払えばよろしいのでは? 昨日飛竜を退けたように」

「黄玉茸も銀華芋も切らした。食材がなければ魔法は使えねえよ」


 言いつつ俺は疑念を抱いた。この王子様、魔法についてどの程度解っているのだろうか。ヴィクトールの息子であれば学んでいると思っていたが、この様子では「魔法の行使には、魔法食材と神の料理人が必要」という基礎の基礎さえ知らない可能性がある。

 まずは、知識の程度を確かめておかねば。


「失礼を承知で訊くが。あんた、魔法はどういう理屈で使えるものかわかってるか?」

「魔法の料理を食べると、魔法が使えるのでしょう」

「魔法の料理はどう作る?」

「魔法の食材を、『神の料理人』が調理すればよいのですよね」


 いちばんの基本は分かっているようだ。だが、この程度は市井の民でも知っている。自ら魔法を行使するのなら、もう少し踏み込んだ知識は欲しい。


「魔法の食材と、普通の食材の違いは?」


 エティエンヌの答えが遅れた。


「違いがあるのですか?」


 出かかった溜息を、かろうじて飲み込む。この程度も既に分からないのか。以前王宮にいた頃、ヴィクトールが子息の教育を怠っていたようには見えなかったが、どういう事情なのか。ともあれ、知らないなら教えねばならない。


「いくら神の料理人でも、普通の小麦や青菜から魔法料理は作れねえ。豊かで質のいい『マナ』を持つ生き物しか、魔法の食材にはならねえんだよ」

「マナ……ですか」


 エティエンヌは納得したように頷いた。マナ、すなわち生命の力。生きとし生けるものは皆マナを持っており、物を食べることで、他の生物からマナを取り込んで命を繋いでいる。この世界で生きる人間であれば、当然知っているはずの常識……であるらしい。そこはエティエンヌも承知している様子だ。

 かつて俺はそれさえ知らなかった。遠い昔、即位前のヴィクトール王子に驚かれたものだ。

 

(俺、親もいねえし……孤児院じゃ、そんなこと教えてくれなかった)

(聖典で読んだこともないのかな)

(字、読めねえよ)


 呆れられると思った。軽蔑されると思った。目の前の偉い人と、汚い浮浪児でしかない自分とは、住んでいる世界が違う。だからそれも仕方ない、と思った。けれど王子は、白くて綺麗な手で、俺の汚れてひび割れた手を包み込んでくれた。

 

(ならば、私が教えてあげよう。この世界のありようを)


 とろけるような笑顔で、手を強く握り締めて、そう言ってくれた。世界のありようとは何だろうと、当時の俺はいぶかった。泥水で汚れたゴミまみれの路地裏と、手の届かない華やかな表通り、知っていたのはそれだけだった。答えに詰まっていると、王子は優しく言葉を続けてくれた。

 

(最低限の教育さえ受けられない子供がいる。一方で貴族たちは贅を尽くし、無能な王は彼らを抑える力もない……日々享楽にふけり、国のあるべき姿など考えてもいない。だから、変えなければならないんだ)


 何を言われているのか、よくわからなかった。貧民街のいち孤児にとって、話が大きすぎることだけは理解できた。そして――


「アメール殿?」


 エティエンヌの声で我に返った。嫌な記憶に、また引きずられてしまった。

 昨日からこちら、何をしていてもヴィクトールのことばかり思い出される。似た顔の誰かが側にいるせいかもしれない。


「すまねえな、ちょっとぼんやりしてた……で、どこまで話したっけか」

「マナの違い、という話までですね」

「そうか。それじゃあ」


 続きの話を、俺はエティエンヌに語って聞かせた。マナは生命の力だ。しかし普通の生物――牛や豚や、小麦や青菜や、もちろん人間も――の持つマナは量もわずかで質も悪い。いくら取り込んでも、明日の生命を繋ぐ役にしか立たない。一方、竜や不死鳥のような幻獣、世界樹のような神聖植物は、はるかに良質で豊富なマナを持つ。のみならず、特殊なマナを体内に取り込めば、炎や氷を生み出したり体を固くしたりするような力さえ得られる。


「だが、俺たちが幻獣や神聖植物をただ普通に食べても、特別なマナを取り込むことはできない。人間が石や貝殻を食べても、胃で消化できないのと同じでな。だが、それを可能にする者が、ごくごく稀に現れるらしい」

「それが『神の料理人』ですか?」


 俺は大きく頷いた。


「詳しい理屈はわからない。だが俺たちが調理した幻獣や神聖植物を食べれば、人間も特殊なマナを取り込むことができる。焼かれた小麦粉がパンになるように、俺たちは何らかの形でマナを変化させる、と言い伝えられているが……ともあれ古代の王たちは、神の料理人を直に召し抱えた。そして彼らの助力で『魔法』を使い、王の権威の証とした。とはいえ――」


 一言一句すべて、ヴィクトールの受け売りだ。貧民街から王宮に連れてこられた日、柔らかい綿の服や丈夫な革の靴に感激しながら聞いた内容だった。


「――すべては歴史書の中の話だった。誰もが『神の料理人』を古い伝説と思っていた、が」

「再び見つけ出したのが、我が父ヴィクトール。ということですね」


 再び頷く。その後は知っての通り――と言いかけてやめた。炎竜王即位の経緯は、あらためて口にするまでもない。誰もが知っているが、誰もがあえて触れない、触れられない話だ。

 五十年近く前のその日、妾腹の第四王子ヴィクトールは手勢と共に蜂起した。王子は魔法を用いて一夜で王都を掌握し、当時の王、つまりは自分の父親を討ち取った。そして次の朝、自らが王となったのだ。


「力と権威。両方を手に入れるのに、『古代の魔法』は完璧なお膳立てだったろうよ」

「今度はそれを、あなたが私にもたらす番ですね。よろしくお願いします『神の料理人』殿」


 エティエンヌの微笑みに、頭が重くなる。彼の、昨日の激昂ぶりを思い出す。少しの煽りで平静を失う青年に、王権の象徴たる魔法を委ねてしまって、本当にいいのだろうか。ふさわしくない者が強大な力を持てば、先に待つのは破滅だけだ。返す言葉を見つけられず、俺は黙り込むしかできなかった。

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