銀華芋のポタージュ風スープ
内心の動揺を隠し、俺は笑いを作った。
「そいつ、十年以上前に霊山で死んだ爺さんだろ? 不老不死の料理を作れ、って王様の命令で来たはいいが、三日もしねえうちに神狼に喰われたって話だ」
「確かに王室にも記録はあった。『霊山エスカルデにて、引き裂かれ血に汚れたルネの着衣を発見。衣服には黒神狼の体毛が大量に付着しており、獣に襲われたと推測される』と」
「わかってんなら冥王様にでも問い合わせてくれ。死人の行方を生きてる人間に訊くな」
「ならば問いを変えよう。我々は『神の料理人』を探している。ルネとの関連は不明だが、霊山の近辺で『魔法』を見たという証言があるのだ。アメールとやら、何か知らないか」
青年にアメールの名で呼ばれ、少なからず安堵する。だが状況に変わりはない。変に口を滑らす前に、招かれざる客どもには退散してもらわねば。
「魔法とか、この辺で見たことも聞いたこともねえな」
「本当か。ルネがいた頃もか」
「直接は会ってねえ。あの爺さんがどこに住んでたかも、どう生活してたかも知らねえ」
瞬間、青年の眉が吊り上がった。彼の目配せと共に、兵士たちが俺の手へ枷をかけた。
「何しやがる!」
「語るに落ちたなアメール。おまえはさきほど、ルネは三日と経たず神狼に喰われたと言った……ならば彼は、ここで暮らしてなどいないはずだ。だが舌の根も乾かぬうちに、彼の暮らし向きなど知らぬとも言う。この矛盾、おまえが何かを隠しているのは明白だ」
背から血の気が引いた。青年が冷たい目で歩み寄ってくる。
「フレリエールの王権において、アメール、おまえを尋問する。『神の料理人』について、知っていることをすべて話せ!」
無茶言うな――叫ぼうとした瞬間、辺りに甲高い獣の声がこだました。いや、獣じゃない。轟音とも呼ぶべき重々しさ、震えるほどの威圧感。竜族だ。
断続的な咆哮が、急速に近づいてくる。ひとつ確かめたいことがあった。
「おまえら、来る途中で黒い岩を見たか。俺の背丈の倍くらいの」
「ああ、ありましたね」
青年の従者らしき男が答えた。
「そこ、ちゃんと迂回したか」
「人の隠れ家がないか、調査はしましたが」
「馬鹿野郎! 傍に飛竜の巣があんだよ! 下手に人の臭いを残したら――」
小屋の壁を震わす特大の咆哮。屋根で何かが軋る。重いものが叩きつけられる音がする。
「――こういうことになる」
子育て中の飛竜は、警戒心がおそろしく強い。巣の傍に不審な臭いなど嗅ぎ取れば、敵とみなして襲ってくる。縄張りを出れば逃れられはするが、竜族一匹の行動範囲は小さな街一つ分くらいある。足場の悪い山の中、人間の足で逃げ切るのはまず無理だ。
兵士どもは、ただ視線を泳がせている。青年は口を結び、異音のする天井をにらんでいる。従者は主人を庇うように、己が腰の剣に手をかけている。誰一人、打開の策はなさそうだ。仕方がない。
「俺の枷を外せ! ここの全員、生きて帰りたけりゃなあ!」
唯一の策、使ってしまえば色々終わりだ。が、この場をどうにかしなければ、全員飛竜に裂かれるだけだ。
「死にてえのか、おまえら!」
ようやく従者が動いた。枷が外され、床に落ちた。すぐさま机上の椀を取り、スープを一息に飲み干す。オリーブ油と胡椒の香。続いて、圧倒的な旨味とこくが口中を満たした。澱粉質の甘い香りを残し、濃厚なスープが喉へ、胃へ、とろとろ流れ下っていく。せっかくの御馳走、できればじっくり味わいたかったが。
一同の当惑を感じつつ、目を伏せる。両手を胃の辺りに当てる。腹の中の温もりが、口に残ったまろやかな後味が、身体を満たす熱い何かと混じり、力と呼ぶべき何かに変じていく。
あばら家の屋根が弾けた。板が落ち、天井の破れ目から、緑の鱗に包まれた竜の顔が覗いた。琥珀色の瞳は怒りに燃え、牙の隙間から荒い息がしゅうしゅうと漏れている。
ひっ、と、兵士が声を上げた。翼の立てる風音が、屋根の穴から高く響く。古びた丸太の梁が、柱が、重みに軋る。鉤爪に裂かれる前に、小屋が潰れて下敷きになりかねない。
俺は、ぎらつく双眸へ両手をかざした。
「悪かった」
身体に満ちる力を、掌に集中させ、吐き出した。
白銀の光が散る。銀砂のごとき微細な輝きが、やわらかな筋を描き、怒れる飛竜へ向かう。
「馬鹿な人間どもが、騒がしちまったな。すまねえ」
さらに光を送る。輝く粒が、もやのように飛竜を包んだ。琥珀色の眼から、怒りの色が急速に引く。吐かれる息が微風に変わる。翼の立てる風音が止み、小屋の屋根が静まり返る。
「ねぐらに戻ってくれ。もう、変なことはしねえからよ」
飛竜は穏やかに一声鳴いた。強い風音が小屋を包み、穴から飛竜の姿が消える。羽ばたきの音が急速に遠ざかる。ほどなく、竜の気配は消えた。
小屋はどうにか持ちこたえたようだ。あとには天井の大穴と、向こう側に覗く橙色の空と、呆気にとられた闖入者どもが残された。
「いま見たものは……魔法?」
青年が呆然と呟く。
「銀華芋の力だ。鎮静の力を持つ神聖植物は黄玉茸とか色々あるが、中でも銀華芋の根茎は特に強力だ。竜族さえ鎮められるくらいに、な」
青年は、正面からまじまじと俺の顔を見つめてきた。皮肉を込め、言葉を続ける。
「あんたら命拾いしたな。俺の晩飯が銀華芋のスープじゃなかったら、いまごろ全員飛竜の爪で八つ裂きだぞ」
「もしや……お弟子様でしたか」
諦め半分に、首を縦に振る。魔法の力について、もはや言い逃れはできない。だがせめて、正体だけは隠し通さねば。ルネ・ブランシャールは死んだのだ。十数年前、裂いた服に黒神狼の血と毛をつけて逃げた時に。頼むから死んだままにしておいてくれ。幸い、この身は霊山の生命力を喰らって若返った。黙っていれば気付く人間はいないだろう。
「他人に力を見せるな、って釘刺されてたんだがな。今頃あの世で頭抱えてるだろうぜ、ルネ師匠」
場の全員が息を呑み、次の瞬間一斉に膝を折った。