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不安と覚醒


 アルが何をしに行ったのか、僕にはよく分からない。でも、トーレスのおじさんやホアンリーの爺ちゃんが馬車の中で、ずっとソワソワしてたから、何か良くない事が起こるんじゃないかって僕も不安になった。


 アルが僕にいろんなものを作れって言った。それって、今日……アルが会う人との問題が解決するって事なんだろうけど、本当にそうなのかな?


「ユリちゃん、どうした?」


 ホアンリーの爺ちゃんが僕の頭を撫でてくれた。そしてそのまま僕の手を握ってくれる。

 でも、その手が少し湿ってたのが気になった。


 砂漠を越えて、オアシスを抜け、僕等は国をいくつか通り過ぎて今ここに居る。それがなんだか不思議で仕方がない。


 たくさんの星がキラキラ光る空の下を、砂音を立てて歩いた夜。

 熱すぎる太陽から逃げて、馬車の影で眠った昼。

 悲しい事を思い出すことなく起きられた朝。

 そんな毎日の中でたくさんの人に出会って、すれ違ってはアルの手に引っ張られて僕はここまで来た。


 ふと、思うんだ。

 もしも僕がアルに買われなかったらどうなってたんだろうって。


 通りすがりに、鎖で繋がれた子供達がぼぅっとした顔で大人に連れられて歩く姿や、殴られて血みどろのまま地面に横たわる姿を何度か目にした。あれは、もう一つの僕の《未来》だった。でも、アルが僕を守ってくれてた。


「僕、アルに買われて良かった」


 僕が女で、こんな顔じゃなかったなら、きっとアルじゃない人買いに買われてた。

 すべてが偶然……なのにこんな生活が出来てるなんて……そんなラッキーな事ってないよな。本当、『奇跡』なんだって思う。


「……そうか」


 トーレスさんが僕の頭を撫でてくれて、ホアンリーの爺ちゃんが僕の手を握ってくれる。—— アルに買われなきゃありえない事だよ。


「僕、なんにも分かってなかったんだ」


 以前アルが言った様に、僕1人では生きては行けない理由が今なら分かるよ。

 お金の事もそうだし、大人との関わり方なんて全く知らない。そんな僕がどうやって生きていけるって言うんだ。


「爺ちゃん」


 知ってしまった。

 お金の事、生きる為に必要な事の多さを。

 だから僕は『怖さ』を知った。


「ん?」


「僕……なんだか怖いんだ」


 僕がホアンリーの爺ちゃん達と馬車に乗った時、アルは僕の手をぎゅっとした。その顔が、まるで『生きろよ』って言ってるみたいで、最期のお別れみたいで……どうしたら良いか分かんないだ。


「何が怖いんだ?ユリちゃん」


「アルが今から会う人って……どんな奴なんだ?」


「……シェリフ・アドーラ・リュクリュートス。この世界最大の海運総合商会の会長で、元メルディスの主人だ」


「え?」


「アルは今もそのシェリフの奴隷なんだ」


 ホアンリーとトーレスの言葉に、ユリアーナは頭を殴られた気分になった。


「アルが…奴隷なのは…なんとなく分かってた」


 初めてアルとイシャバームに行った時、アルの裸を見た。

 そこにはたくさんの傷痕があって、僕はあの姿がこれから僕が経験する事の結果なんだって思った。怖かった。


「シェリフはなぁ、仕事に関しちゃ天才的なんだが……精神的にガキなんだよ」


「?」


「与えられたおもちゃをなぁ、ずっと持ってる様な子供なんだよユリアーナ」


 トーレスのおじさんは遠くを見ながら笑ってたけど、目が怖いくらいに笑ってなくて、僕は少し震えた。


「シェリフは商売を何かのゲームだと思ってやがる。だからそこに関わる人間が死のうが生きようがどうとも思っていない」


「アルの事も?」


「「……」」


「?」


 黙ったままの2人。その顔はまるで出会った頃のアルベルトの様で、ユリアーナはこれ以上聞いてはいけない様な気分になり、ぎゅっとスカートの裾を握りしめた。


「シェリフがメルディスに固執するのは、メルディスだけが常にシェリフの寝首を掻こうとしてたからだ」


 突然の言葉に、ユリアーナは眉間に皺を寄せ首を傾げている。当然、その言葉の意味が理解出来ないでいるからだ。


「すべてが思い通りで、自分を神の様だと思っていたのに、何一つ思い通りにいかない物が目の前にあったら……大抵は捨てる。だが、すべてを思い通りにしてきたからこそ、それを何とか思い通りにしたいと思う奴がいる。それがシェリフという子供だ」


 アルは感情を表に出す人じゃない。

 顔を見て、なんとなく嬉しそうだとか、機嫌が悪そうだとか……そんな事しか分からない。アルを見てたなら分かる。でも、それが分からないのはそのシェリフって奴がアルの事、何にも見てないからだ。


「なぁ……アル、大丈夫なのかな…何をするつもりなんだ?」


「羽ペンの販売権とメルディスの奴隷証文を交換するつもりだろうな」


「それ、上手く行くのか?」


「まぁ、シェリフは金には目が無いからな。やり方によっては上手く行くんじゃないか?」


 投げやりな言い方に、ユリアーナはカチンと来た。

 彼等にとってアルベルトが息子の様な存在だと思っていたのに、『上手く行くんじゃないか?』とは何て言い草だ。ユリアーナはホアンリーの肩に噛み付いた。


「なっ!おっ、おいっ!ユリちゃん?」


「何でだよっ!上手く行かなかったらアルどうなるんだよっ!また奴隷として生きて行くのかっ⁉︎なんでそれを2人は許せるんだよっ!」


 これまでに無い程の激しい怒りが、ユリアーナの中にある糸の様な物をブチリ、ブチリと断ち切って行く。


『母さんっ!守ってよ!私のこと……守ってよっ!』


 響く声、割れる音、ドスン、ドスンと何かに拳を叩きつける音がユリアーナの意識を過去に引き戻して行く。


『お前達は俺が養ってやってるんだ!俺のカンに障るなら殴られて当然だっ!しかも子供なんて産みやがって!お前がどうしても懇願するから許したのに、俺に歯向かいやがって!』


 聞きたくない言葉ばかりが流れてくる。

 耐えているのは誰なのか。


 アカネなのか、ユリアーナなのか。


 プツンと最後の糸が切れた音がした。


『ママ…』


 足元に広がる赤い血溜まりに、頬を叩かれた。

 何を怯えていたのだろう。

 愛する娘を傷つけて、なにを私は怖がっていたのだろう。


『私を殺せば?』


 殺すなら私を殺せばいい。

 そんな事にも思い至らない自分に反吐が出そうだった。


『は?お前が生きる事も、死ぬ事も、俺の許可無しには許されないんだよっ!お前は殺さない……要らないのは子供だ』


 命を繋いだなら、自分の役目はその命を育てて終わりを待つ事だ。この夫はただの糞ガキだ。甘ったれで、愛情不足で、承認欲求の塊で……糞より役に立たないヘドロだ。


 なのに、今更死ぬ事を怖がっていたなんて。


——馬鹿だ。蹲り続けた私も、すべてを思い通りになって当たり前だと勘違いしている夫も。大馬鹿だ。


「「ユリアーナッ‼︎」」


師匠(アル)は死なせない……」


 ユリアーナは立ち上がり、馬車の扉を開くと、フワリと舞い上がる様に飛び降りた。


「「ユリアーナ⁉︎」」


 元来た道を駆けるユリアーナの後ろ姿を、馬車の後部窓からホアンリーとトーレスはポカンと見ていた。そして我に返ると、馬と馬車を切り離して後を追った。





次話▶︎ 過去を切り捨てる

ご無沙汰です。本職が忙しく更新止まっておりました!

スローテンポにはなりますが更新致しますので、どうぞ宜しくお願いします。

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