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風に手をかざし、すり抜ける物を掴む


 何かを期待してた訳じゃない。

春になれば東風(こち)が吹き、夏になれば黒南風(くろはえ)が吹く。そして嵐と共に青北風(あおきた)が吹いて、

冬と共に木枯(こが)らしが吹き荒ぶ。


そう、期待したところで全ては定まっているんだ。

そして定まっている予定調和な日々は……本当に退屈だ。


揺れる馬車の中、手の平の上でコロコロと音を鳴らす包装された箱を揺らしながら、シェリフは物思いに耽っていた。


昼前にヒルバルの女王と謁見し、商会へと顔を出して今後の港の使用料の変更を通達したシェリフ。そして、レークイスと聖王国の緩衝材として、独立を許されたクスクイユで商会を立ち上げる許可を得る為に中央と聖王国へ顔を出しに行こうとしていた時だった。


「会長」


並走する護衛の1人が窓の外から声を掛け、意識を飛ばしていたシェリフを現実に引き戻す。

普段ならば、その時点で不機嫌さを露わにしている所だが、長年仕えていた護衛は主の機微の違いを良く知っていた。だから、問題ないだろうと声に感情を乗せず声掛けた。


「どうしたのかな?」


「商会からの遣いが来ております」


その言葉に、野生の勘とでも言おうか、シェリフは退屈を癒してきた物が手元に転がり込んで来たのを確信する。


「分かった……停めろ」


ゆっくりと止まる馬車。

そこから降りてきたシェリフは、微笑を貼り付けたまま、猛禽のような目で男を射抜いた。


「会長にご伝言をお預かりしております!」


息を切らせて駆け寄る中年の男は、シェリフを前に、恭しく伝言が入っている、美しく装飾された封書を差し出した。

シェリフはそれを奪い取る様に取り上げ、長く伸ばした人差し指の爪で蝋を割ると中を見た。



彼の桟橋にて、夕の鐘と共に首輪をお返し申し上げる。

貴方様と私の2人だけで夜を終わらせましょう。



その意味あり気な内容が書かれた便箋を見て、シェリフは口角を上げた。


「なんで私がお前を野に放ったのか……まだ理解していないんだな」


享楽の無い人生はつまらない。

もがき苦しむ人の顔は私に悦楽を与えてくれる。

商売も、社交も、権力争いとてただのスパイスだ。

金に溺れ、金の手綱にしがみつく。

そして金によって首を絞められる者の怯えは……全てを持つ者である私には極上の快楽だ。


その中で最も私を満足させたのはお前だけだ。

アルベルト。


「さて、今度はどんな趣向で私を楽しませてくれる?」


アルベルトが思い違いをしてるとすればたった1つだけだろう。それは——シェリフを人間の物差しで計っていた事。


「金で釣るか、人で釣るか……ふふふっ、あははっ!そんな物、どうだって良いんだよっアルベルトッ‼︎」


シェリフ付きの者達はただ黙っていた。

何か一言では発しよう物ならば、気分を害したと叱責され殺される事を知っていたから。


「旦那様、誰からのお手紙ですか?」


誰もが緊張を持って目を伏せていたのに、そんな空気を物ともせずにアマルがシェリフの横に立って彼を見上げている。その目にはただ好奇心があった。


「ふふ、アマル……よく聞いてくれたね!この手紙はね、私の愛しい番犬からだよ」


飲み込んだ光を放つ様な金髪に、紫がかった青い目を輝かせるシェリフ。彼は色の落ちた白髪に、成人なのに子供と変わらない体躯のアマルの肩を抱き寄せ笑う。アマルは、主人の今までに見せた事の無い蕩けるような甘い笑顔に眉を寄せた。


「……そんな方が居るのですか?」


「あぁ、可愛がりが過ぎてね……自由を与えなかったからかな、逃げてしまったのさ」


その言葉に、アマルは頬を膨らませてシェリフの腰に抱きついた。寵愛を与えられているのは自分だけだという自覚があった。ただ、それが弟や子供に対するそれだと知っていても、他者には与えられない優遇を失うかもしれない、そんな事をアマルは恐れた。


「で、その方が戻ってくるのですか?旦那様の……お側に」


「どうかな……戻ってくれると良いんだけど。嫌われちゃったからなぁ」


嫌われている自覚はあるのか。

そう、従者達は心で嘲笑し、内心ほっとした。

もしもアマル同様に次から次へとお気に入りを増やしたなら、彼等のストレスが天元突破しそうだからだ。


「アマル」


「はい、旦那様」


「これを持って聖王国へと先に向かっておくれ」


「え……旦那様のお側ではダメですか?」


「……弁えなさい」


ピリピリと肌に何かが突き刺さるのを感じたアマル。黙って頷き馬車に乗り込んだ。止まらぬ震えに、己の腕を抱きしめ、ただ俯いている。王族であり、海運商会の会長あり、魔術道具師でもあるシェリフに誰も逆らえないでいた。


「レブ」


レブと呼ばれた従者がシェリフの足元に跪く。一歩前へと進んだシェリフは彼の耳元で何か囁いた。


「畏まりました」


レブは立ち上がり、踵を返して馬に乗ると、どこかへと駆けて行く。それをシェリフや護衛、従者達が見送った。


一瞬の沈黙を切り裂くように、シェリフは悠然とした歩みで来た道を戻って行った。





「どうせあいつは護衛を連れてくるだろうな」


ヒルバルの海は、観光地の海岸と、港の海岸と2つあり、それらは桟橋一つで分けられていた。だが、その桟橋を使う事をシェリフは誰にも許してはおらず、桟橋の存在を知る者は殆どいない。それもあるのか、一帯に人の気配は無い。


「やぁ、久しぶりだね」


橋を挟んで向こう側に佇むシェリフ。

沈み始めた太陽が赤く彼を染める。

ただでさえ得体の知れない上に、内に孕んだ狂気が炙り出されるようで、アルベルトは恐怖を覚えた。


「……」


観光地側に立っていたアルベルト。1つ息を吐くと、海に向けていた顔をシェリフへと向ける。そして肩から下げていた荷袋を手に持ち、桟橋の中央に置いた。


「なんだい?それは」


首を傾げ、楽しげな笑みを見せながらも、目だけは静かに獲物を狙っていた。


アルベルトはチラリと周囲の気配を探る。

だが、彼の背後に誰かが居る気配はない。


「お前の懸念を全て取り払える物だ……」


「懸念?」


「あの日…俺が持ち去った物を返そう」


その言葉に、シェリフは腹を押さえて笑い出した。

何を言うのかと、期待していたのに。そう言いたげな目をアルベルトに向けている。アルベルトも、シェリフの出自を示す物を返したからと言って、彼が持つ奴隷証文が返って来るとは思っていない。


だが、そう侮って貰わなくてはならない。

そうアルベルトは内心で呟いた。


「カッカドールで暮らすんだってね」


「……まだ決めてはいない」


「戸籍取得したんだろう?」


「あくまでも取得しただけだ」


「ふぅん……ねぇ、ユリアーナってどんな子なんだい?」


これは……全て筒抜けになっているな。

まぁ、それも想定内だ。

俺が人買いをしていたからシェリフは俺を放置出来た。だが、商会を立ち上げるとなれば……面倒事は早めに潰そうとするだろうな。


「何故気にする」


「だって……その子供の所為で私の番犬の牙が折れたんだ」


「馬鹿馬鹿しい」


「本当だよ。私の物に手を出したのが子供だなんてね……馬鹿馬鹿しい冗談だと……思ったよ」


「取引がしたい」


本当ならばシェリフに言わせたい言葉だったが。

ユリアーナへの興味を深くはさせたく無い。

さっさと終わらせて中央へ急がねば。


ユリアーナが俺を待っている。


「取引?そんな事出来る立場?」


夕日を遮る様にシェリフは手を空に翳す。

その影に口元は隠れ、指の隙間から差し込む赤い光に目の鋭さをアルベルトは見た。


「あぁ……俺を待っている者がいるからな…さっさと終わらせたい」


俺をユリアーナが待っている。

その事実は、剣を持つよりも心を強くする。

半刻後、お前が今握った拳から俺は抜け出しているだろう。


いい加減……それで終いにしよう、シェリフ。

俺はお前の犬の代わりには……もうなれない。





▶︎次話 不安と覚醒


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