退屈なる正道に憧れる
シェリフの影を感じた時、背筋が凍るような恐怖が走った。
だが、ユリアーナがこちらを真っ直ぐに見た瞬間、それは確信へと変わった。
──もう、囚われはしない。
「ユリアーナ」
「な、何?」
「羽ペンの販売を……シェリフに一任してもいいか」
本来なら、弟君のペンダントと一緒に羽ペンの販売もアルシャバーシャ様に任せるつもりだった。
だが、それを変更すると告げると、副会長が詳しい理由を求めてきた。
「すごいなユリアーナ! これは貴族が欲しがるぞ!」
「ユリちゃんはすごいなぁ! さすが、俺の孫だ!」
大人たちが興奮する横で、ユリアーナは金の瞳をきらりと揺らし、「アルシャバーシャ様じゃないの?」と問いたげな顔をした。
だが、一瞬だけ考えた後、まるで何でもないことのように、あっけらかんと答えた。
「ん? アルの好きにしていーよ?」
俺はユリアーナが思い出した【羽ペン】を、正しい商売人であるアルシャバーシャ様に任せたいと考えていた。
あの方なら間違いなく正道を歩むと信じられるからだ。
「悪いな。お前の物を……利用する形になる」
「ん? そのための商売なんだろ?」
確かに、商売とは金を稼ぐだけじゃない。
適切な物流、製造、販売、そして法整備まで。
それらを整え、仕組みを作るのも商売だ。
「……お前って奴は」
ユリアーナの品を正しく広げたかった。
だが、それだけじゃない。
アルシャバーシャ様の過去を考えれば、ユリアーナをタンクとして国家間の取引材料に使うことはないと思う。
だが、俺は隙を与えたくなかった。
だから、有用性を示し、もう一つ鎖を作るつもりだった。
だが、そんな悠長なことを言っていられないと悟った。
だから俺は賭けることにした。
──シェリフは金を選ぶと。
アイツは金の匂いに敏感で、何よりも金に執着する。
ならば、必ず飛びつく。
アルベルトの考えを察したのか、トーレスが低く呟いた。
「アルベルト、それは悪手じゃないか?」
少し焦りをにじませるその声に、俺は首を横に振った。
「いえ、アルシャバーシャ様はある意味、善意でユリアーナを買い上げ、後ろ盾となってくださいました。
商人として信頼を重んじるなら、むしろアルシャバーシャ様に渡す方が“悪手”になるんです」
担保も保証も見返りもなく、あの方はユリアーナを守ると決めてくださった。
その上でお礼や販売専有権を渡せば、普通の貴族なら憤るだろう。
だが、あの方は裏まで読んでくださる……俺はそう信じている。
「お前……今の今まで信用してなかったのか? どれだけ疑り深いんだよ」
「本当だぞアルベルト。俺はてっきり礼の意味合いかと思っていたが……」
ホアンリーはしばらく黙って見ていた。
アルベルトの行動は、てっきり礼だと思っていた。
あれほどの後ろ盾を前にして、あえて“信用ならない”ように振る舞うのは、彼なりの感謝の形だと。
だが──
シェリフに渡すと聞いて初めて、そうじゃなかったと気づいた。
アルベルトは“信じたから預けた”のではなく、“信じきれないから念を押した”のだ。
思わずホアンリーは口を開いた。
「……どこまで臆病なんだ、お前は」
「勿論、その意味も強いです。ですが、ユリアーナはタンクという枠を超えて、別の意味でも目をつけられます。
だから、先に俺が示す必要があったんです」
「なら、尚更アルシャバーシャ様に渡す方が安全じゃないか?」
「ユリアーナは守れます。だが、俺が消される可能性は高いでしょう……」
そうだ。ユリアーナをアルシャバーシャ様は守るだろう。
だが、保護者として俺が失格と判断されれば、真っ先に俺が消される。
それはシェリフの危険性の比じゃない。
世界に散らばるイシャバームの民は、忠義に厚い諜報員であり、暗殺者でもあるのだから。
「……お前は、いつまでたっても臆病なんだな」
「……万全を配したいだけです」
「確かに、ユリアーナを表に出す前に、シェリフと交渉してお前が自由にならなきゃな」
そうだ。俺自身の鎖を断ち切らなければ、ユリアーナを守れない。
「覚悟は出来てんだな」
ホアンリーの視線が鋭くなる。
先ほどまでの穏やかな顔は消え、敵を射抜くような威圧が漂った。
「シェリフの奴隷には二度となりません」
俺は強くなる。ならなければならない。
覚悟を胸に、俺はリュクリュートスへ連絡を入れると二人に告げた。
トーレスに遺品の発送を依頼し、シェリフと対峙した後を考えたアルベルトは、ホアンリーにユリアーナと共に中央へ向かって欲しいと頼んだ。
「メルディス、あっちでの事は整えておいてやる……ただ一つ、お前がすべき事は」
ホアンリーとトーレスの目は強く、そして柔らかくアルベルトを見つめていた。
そして肩にドンッと拳をぶつけると、力強く言った。
「「生きて帰ってこい!」」
その姿を、ユリアーナは少し離れたソファに座って見ていた。
そして、理由も分からず自分だけ取り残されたような気がして、ホアンリー達に少しの嫉妬と焦りを感じていた。
「なぁ、アル……僕が一緒じゃダメなのか?」
今にも泣きそうな、つぶやきのようなユリアーナの言葉に、アルベルトは変わらぬ無表情で頷いた。
「ユリアーナ、これは俺がつけなきゃならないケジメだ。
全て終わらせてくる……だから何も聞かずに会長と共に待っててくれないか」
アルベルトにそう言われたら、ユリアーナは「嫌だ」とは言えなかった。
けれど、自分にも何か出来ることがあるのではないか。
手伝わせて欲しいと、言いたかった。
「僕は役に立てるっ!」
無神経に首を突っ込んで、問題を引っかき回すことはアルベルトのためにならない。
そう分かっていても、言わずにはいられなかった。
ホアンリー達が『生きて帰って来い』と言うほどなのだから、きっと危ないことだとユリアーナには想像できた。
「あぁ。役に立ってもらわなきゃ困る……
だから会長と共に中央に行って、ミーセス達に会ってきて欲しいんだ」
「ミーセスのおじさんっ⁉︎」
「あぁ。そしてお前の記憶の中にある物で……
金属を使った武器…いや…生活品があれば、それをミーセスに全て伝えて欲しい」
「いいけど……なんでだ?」
「その商品をミーセスに売らせる……
そうすれば蛇と熊が戦ってくれる」
よく分からない言葉に、ユリアーナは首を傾げた。
けれど、アルベルトがニヤリと笑ったのを見て、きっと何か大きなことをするつもりなんだろうと分かった。
そして、その肝が自分なんだと理解し、大きく頷いた。
「分かった! アルッ! アルのために僕は下準備すればいいんだな⁉︎」
「そうだ。頼むぞ、相棒」
力強く、甘美なその言葉に、ユリアーナはブルッと体を震わせ、何度も頷いた。
正しい商売をしたくても、できなかった。
できる者を羨み、それが叶わぬ故に、大手を振る商人を「退屈だ」と嘯き、
卑屈さに身を沈めていた──そんな過去を言い訳にして、底辺に甘んじていたアルベルト。
けれど今、そんな日々に自ら終止符を打つように、アルベルトは初めて、心からの笑みをユリアーナに向けた。
「なぁっ! 僕が覚えてるやつで、“無水鍋”ってのがあるんだ!
……それ、作ってもらえるかな⁉︎」
あふれ出す記憶に、胸を躍らせるユリアーナ。
指を折りながら、あれやこれやとアイディアを口にする。
その姿に、いつ“アカネ”が現れるかという不安もある。
だが、アルベルトはそれごと飲み込み、大きく頷いた。
「どんどん作れ。そして……どんどん売るぞ。良い物をな」
「うんっ!」
そして、アルベルトは一人、エッケルフェリアの集会所を後にした。
▶︎次話 風に手をかざし、すり抜ける物を掴む




