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異端と革新の境界

 俺は、ここに来ているであろうシェリフに、過去の影を踏まれるまいと店の奥で身を潜めていた。何分経ったのか、既に茶を二杯も飲んでいる。


「すまない、もう……一杯」


「あいよ!兄さん、なんか食うか?顔色悪いぞ?」


「いや、大丈夫だ」


 気が狂いそうだ。

抗い、立ち向かう相手だと奮起して、希望を持っても、いざその存在を認識しただけで過去の記憶が体を雁字搦めにする。


 身動きが取れない——これは逃れられない恐怖なのか?


 ……いや、俺はユリアーナと生きるために、恨み辛みを手放したはずだ。これは恐怖じゃない。武者震いだ。


「アルッ!いたーー!」


 邪気を祓うようなユリアーナの声が店内に響いて、俺は振り返った。


 真っ赤なワンピースを着たユリアーナが、弾けるように駆け寄ってくる。その姿は焔のようで、火の粉みたいな笑顔が、きらきらと彼女を輝かせていた。


「ユリ……アーナ?」


「アルッ!ついてきてっ!今すぐっ!」


 小さな手と、細い腕が俺を引っ張り上げる。すんなりと上がった腰に、俺自身が驚いた。


「どこに行くつもりだ」


「奥っ、奥のガラスのお店!」


「あぁ、ティオロか」


 ガラス細工、加工の専門店・ティオロ。若いが、その腕と目利きが確かな店主。

ユリアーナは、そこに目を付けたのか。


「急いでっ!早くっ!」


 恐れ知らずなユリアーナが、まるで光へ導くように腕を引く。なんて安堵感だろうか。


 ……助かった。情けないが、そう思ってしまった。


 通りを二人で駆けていく。

なのに、周囲の目などまったく気にならない。シェリフの影さえ、霧散していた。


「ははっ……お前はすごいな」


「?……何言ってんだよっ!も、もっと驚くぞ!」


「そうか。それは楽しみだ」


 店内はあえて照明を落とし、外の光が商品棚を照らすよう計算されていた。

並べられたガラス細工たちは、宝石のように光を受けてきらめいている。


「やぁ、戻ってきたね!」


 どういうことだ? 店主と何かあったのだろうか。


「アルッ!聞いてくれよ」


「言葉」


「うぁぅ。…聞いてください!」


「どうした」


「僕、買い付けたんだ!」


 そうか! 自分で売れる物を見つけられたか!

こんなに喜ぶ姿は初めてだ。興奮と歓喜——あぁ、俺とは違う商人に、お前はなるんだな。


「……貴方は、人買いの……」


 ふと、声の主に目をやると、まだ若い男が立っていた。


「店主は代替わりしたのか?」


「……はい。父が昨年、亡くなりまして」


「そうか。それは、残念だったな」


 細工師としての技量は中々と思っていた御仁だった。亡くなったのか。


「そ、それより……貴方が、この子の保護者でいらっしゃいますか?」


「あぁ」


「僕はアルから、商人について教わってるんだ!……ですっ!」


「そ、そう……」


 人買いであった俺を知っている。それだけでその不安はわかる。

俺がユリアーナを売るために、手練手管を仕込んでいるとでも思っているのだろう。


「……俺は人買いをやめた。今はユリアーナと、商会立ち上げのために顔繋ぎをしている」


「そ、そうだったのですね……! な、ならばぜひっ!直営店に加えていただきたい!」


 ……は? 直営店? 何の話だ。


 俺はユリアーナと店主を交互に見た。

二人は何故か満面の笑みで、俺は少し……いや、かなり面倒な事になっているのではと、不安になった。


「まずは、こちらをご覧ください!」


 店主は羊皮紙を広げ、設計図を俺に示した。

腕に絡みついてくるユリアーナを抱き上げて近づくと、首元にくすぐったいほどの吐息と笑い声がかかった。


「彼女は、当店に置いていた細工用のダランの羽をご覧になり、すべて買いたいと申し出ました。そして、その羽でペンを作るとおっしゃったのです。ペンといえば、貴族であっても木炭筆か鉄筆が主流。ところが彼女は、塗料をインクにして、インクをガラス管に収め……その先から滲ませるという、まったく新しい《羽ペン》を構想されたのです!」


 早口でまくしたてる店主に圧倒されつつも、その構造をユリアーナが考えたということに、俺は驚き、そして焦った。


 ユリアーナにこんな知識はない。

食い物も金も知らず、料理すらまともにできない。なのに、こんなものを……?


「ユリアーナ」


「すごい? すごい?」


「前世の知識なのか?」


 ビクリと、彼女の体が震えた。怒っているように聞こえたのか。


「わかんない……でも、知ってたんだ。綺麗な羽はきっと、お貴族様に似合うって。それに、それでアルが字を書いたら、絶対に素敵だって思ったんだ」


 俺を見る金の瞳が揺れていた。

褒められたかったんだ。そう、訴えているようだった。


「……すごいぞ。これは、きっと高く売れる。現物は確認したのか?」


「あ、まだガラス管の加工が終わっていないので、試作品段階ですが……形だけなら」


 台の上に置かれた獣毛の敷布の上、真っ白な羽と芯に銀の細工が施された飾り、そしてガラス管と鈍色のペン先が一体となった《羽ペン》があった。


 美しく、洗練されていて、まるで天使の指のようで——俺は息を飲んだ。


「これは……素晴らしいな」


「だろっ! しかもこれ、魔術道具師がいなくても使える魔道具になるんだ! みんなが使える道具になるんだっ!」


 ——みんなが使える。


 その言葉は確かに素晴らしい響きがある。

だが、その一方で、俺は眉を寄せてしまった。そこには危険も孕んでいる。


「アル?」


「店主……わかっているのか?」


 店主は小さく息を吐いて、羽ペンを手に取り、静かに言った。


「ええ……革新的な品というものは、いつの時代も、異端から生まれるものですから」


「既得権益を脅かしてまで……俺は、これを売りたいとは思わない。これを売るためだというなら、直営店など考えるべきではないぞ」


「えっ……アルっ! これ、売れないのか?」


 泣き出しそうなユリアーナをそっと床に降ろして、俺は肩に手を置き、言って聞かせた。


「誰もが使える魔術道具を作っていいのは、魔術道具師を従える者だけだ。そのほとんどは貴族で、貴族たちはその利益を他者に奪われるのを嫌がる。……だから、そういう商品は許されていないんだ」


 手を出せば、殺される。

不可侵の領域に足を踏み入れる必要はない。

闇に生きる者が生き延びるためには、無難に、安全な道を選ばなければならない。


「……ならさ。この作り方……お貴族様に売ったら?」


 「……」


 「……」


 異端と革新の境界線はどこにあるのだろうか。

そもそも、そこに違いはあるのか?


 それが善意であろうと悪意であろうと、人の意思がそこに介在しなければ——


 それはただの『発明』なのかもしれない。



▶︎次話 ホアンリーとメルディスの抱擁



嫌な記憶というのは忘れていてもふと顔を出して嫌な気分になる物ですが、ユリアーナがそんな記憶を飛ばしてくれました。さて、ユリアーナの知識によるチート無双があるのか、無いのか(笑)


次話もよろしくお願いします

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