依頼と買付
今回は、アルベルトとユリアーナがヒルバルで迎える、とある穏やかな朝の話です。
…とはいえ、平和な時間の裏では、ちょっとややこしい事情が動いていたり。
密輸とか配送とか、エッケルフェリアとか、名前が出てくるだけで胡散臭い(笑)けど、ちゃんと大事な話です。
それから、後半では「商会ってなに?」「合同商会ってそんな不便なの!?」っていう、ちょっとした商売の裏話も。
ユリアーナの反応と、アルベルトのちょいちょい見せる「親バカモード」も楽しんでもらえたらと思います。
ヒルバルの朝は、イシャバームのように暑くもなく乾燥もしていない。だからいつも他国に比べて、心地よく目覚めることができる。
俺はまだ眠っているユリアーナをそのままにして、ガルフェウス殿から預かったペンダントを、どうアルシャバーシャ様に届けるかを考えていた。
商会を通すなら、発送は海路になる。陸路は現実的ではない。
ヒルバルの対岸、中央側にあるイシャバームへ向かうには、中央特区とイグラドシアを通過しなければならず、さらにその間にある聖教会の総本山・聖王国も経由する必要がある。
関税、輸送品の検査……面倒事や心配事を挙げればキリがない。金は無駄に飛ぶし、ユリアーナの存在を知られる可能性もある。……だが。
「使いたくはないが……航海輸送を使うか」
少しの逡巡と、ユリアーナの寝息が、心の緩みを生んでいた。
「鍛え直すか?」
気づけば、トーレス殿が背後を取っていた。いつの間に入って来たのやら。
「そうですね……一からやり直しですね」
この方とやり合って何手もつだろうか?
6手が限界だろうな。
「…何だ? 配送か?」
「ええ、形見を預かりましてね。持ち主に返すよう、依頼を受けたんです」
「どこに送る?」
「イシャバームです」
「そうか。海路か……相手は誰だ?」
「アルシャバーシャ様です」
「なら、ウチに依頼するか?」
エッケルフェリア。傭兵派遣専門の商会であり、裏の顔は密輸業。
確かに良い手かもしれない。
だが、脚の速い人間が、今のエッケルフェリアにいるだろうか?
……まぁ、もう何年も経っている。いるのだろう。
「しかし……」
「なに、元ガザンだったクスクイユ自治区が今度独立するらしくてな。ウチに依頼が入ってんだ。イシャバームと聖王国、レークイスに挟まれてるし、ちょうどいいだろ?」
クスクイユ自治区。
元はガザン王国の端にあった山岳民族の集落だったが、レークイスに落とされてからは、息を潜めるように民が隠れ住んでいたと記憶している。
独立、か。
「なら、お願いします」
「おう。ユリアーナも連れて来いよ。会長が喜ぶぜ」
「ホアンリー会長……お元気ですか?」
エッケルフェリアの会長、バフェル・ホアンリー。
ガザン王国元騎士団長。55歳にして、その剣の腕は未だ衰え知らずだという。
「お前、ウチに情報寄越すくせに、会長に伝言ひとつ残さねぇからな。すーぐ拗ねて面倒くせぇんだぞ? ……たまには顔出してやれ」
「……えぇ」
俺の逃亡を助け、アルベルト・ダッカートという男に戻してくれた会長。
今も昔の名である『メルディス』と俺を呼ぶ。
その名は、過去と共に捨てた名前だ。呼ばれるのが嫌で、それ以来、会長と距離を置いていた。
……だが、不思議なものだ。
あの人があの名を呼ぶ声だけは、まるで幼い頃の――家族の記憶のように、心に沁みるのだから。
「アル、今日は何するの?」
真っ赤なワンピースに白シャツ、赤いスーリを履いたユリアーナが手を繋ぎながら、きょろきょろと辺りを見回している。
「今から買付に行く」
俺は右手でメモ紙の束をめくりながら、左腕にじゃれつくユリアーナを制した。
その後ろ姿を見ていたメーテスは、煙草に火をつけ、口元を緩ませる。
「アルベルト、俺は先に3番街の集合所に行ってる。話はつけとくから、終わったら来いよ!」
「了解です。15時頃には伺います」
「じゃあな!ユリアーナもまたな!」
「はいっ!また後で!」
メーテスと別れ、俺たちは1番街から、カッカドール方面の関門に近い5番街を目指した。
「アル、何を買い付けるんだ?」
「何を買い付けるのですか、だ。……これからカッカドールの南端では、一足早く冬が来る。そこに売る木炭と薪を仕入れる。それと、時間があれば別の商会で穀物も買っておきたい」
「そっかー。冬かー。僕、冬好きだよ!」
「そうか」
俺はユリアーナのために、昨年の冬物衣料を買えるなら今のうちに……と考えた。衣料倉庫のある合同商会にも足を運ぶべきだろう。
「これから向かうのは、小さな店を集めて商会を運営している“ミッツラー商店通り”だ」
「ミッツラー商店通り?」
商会を設立するには、規模に応じて聖金貨10~50枚、後ろ盾となる商会の紹介状、そして物流総合商会の承認が必要だ。
だが、それを準備できない店も多く、個人経営の店同士で商店街を形成し、商会として体裁を整えている。
「ならアルもそうすればいいのに」
「得られる物が少ない」
「どう違うの?」
俺はユリアーナと繋いだ手を上げて、くるりとユリアーナを一回転させた。
何故か前を歩いていた親子の真似をしてしまったようだ。
「ん? 何で僕回ったの?」
「……特に意味はない」
(……何だ。つい、やってしまった。手を繋いでいたせいか)
咳払いし、個人商会と合同商会の違いを説明する。
「まず、商会として与えられる権利が違う。個人商会は何を扱っても問題ないが、合同商会は食料品、布物、家庭用素材や家具しか扱えない」
「家庭用素材?」
「炭、薪、油、洗剤……基本的に加工品のみ。脱穀前の穀物や獣毛、野菜そのものが欲しければ、商会に連なる店か、個人商会でしか買えない」
「好きな物が売れる商会と、限られた物しか売れない合同商会……それじゃダメなの?」
「備蓄もできないし、建物も自前か、賃料がかかる。売上なんて吹っ飛ぶ」
「他に、個人でやる方が良い理由って?」
「金を貯められることと、信用の差だ」
「?」
「合同商会は、各店の売上が合同商会全体の売上になる。季節によって売上の悪い店が必ず出て、内部留保――貯めた金を使って補填する」
「えぇ…他の店の為に自分のお金が使われちゃうの?」
「お互い様だ。……合同商会は1店潰れると、連鎖で崩れる。だから上納金も、個人商会より高くなる」
話が難しくなってきたせいか、ユリアーナは眉を寄せながら、必死で俺の言葉を理解しようとしていた。
そして、ちょうどその頃。
俺たちは目的地――5番街のアーケードへと、たどり着いた。
▶︎次話 ライバル現る
ここまで読んでくださって、ありがとうございました!
今回のお話は、物語の本筋というより“日常の一コマ”みたいなパートです。
でも、ユリアーナが見る世界、アルベルトの選択、そしてちょっとした思い出や過去との再会……。
静かに色々なものが動き出している感じを、ゆるっと楽しんでいただけたら嬉しいです。
あと、アルがユリアーナをぐるんって回すとことか、本人も無意識なのがちょっと可愛いなって思ってます(笑)