魅惑の国 イシャバーム1
この世界には、四つの大国がある。
北部最大の武装国家「レークイス」。
東部の観光大国「ヒルバル」。
南部と中部の一部を統一した、農業大国にして最大面積を誇る「カッカドール」。
そして、西部から中央を横断する形で広がる経済大国「イグラドシア」。
これらの国々は、小国や公国に比べて好戦的で、常にどこかしらで戦争をしている。
俺たちが向かっているのは、今回の戦で勝戦国となった「レークイス」。
この娘を、レークイスの商品として登録しなければならない。そしてその後、販売先を決めるため、中央にある「ウォール特別区」の総合商会に向かう予定だ。
レークイスは単一国家で、国民のほとんどがグルバル人。
その体躯は大きく、筋骨隆々で、見た目はまるで獰猛な獣のようだ。寡黙で、物事への執着が強い者が多い。輸入に頼る生活様式のため、目減りする物や奪われる物を極端に嫌う。女や子供は屋敷に籠り、外出はほとんどしない。
作物の育ちにくい土地柄から、主な収入源は地下鉱物資源と、発達した魔術知識を活かした魔術道具。
その軍事力は世界の均衡すら崩しかねない規模で、他国を見下すような、極めて閉鎖的な気質を持っている。
俺たちはあと二週間ほどで、そのレークイスの玄関口「サザンガード」に入る。娘の怪我や天候の所為で歩みは遅い。予定のスケジュールは大幅に遅れている。
今いるのは、その手前にあるオアシスを抱く中立国家「イシャバーム」。
異国文化の中継地であり、食べ物も衣服も、他では見られないものばかりが集まっている。
「おじさん」
「…はぁ、なんだ」
「ねぇ、あれなに?」
俺はこの娘をどうすべきか、まだ答えを見出せないでいる。
商品として売るには手間がかかりすぎる。
女に求められるのは家事の腕や手先の器用さ、そして従順さだ。反抗的で勝ち気な娘には、基本的に値はつかない。好事家が買う例も稀にあるが、そんな場合は大抵まともな最期を迎えない。
この半月、こいつを見てきて分かったことは──
物作りの知識はあれど、どれも雑で耐久性がない。
飯を作らせたら反吐のようなスープを生み出し、貴重な食材を無駄にした。
口も悪く、粗雑さはその育ちをよく物語っている。
下女にせよ、側女にせよ、ある程度の教養がなければ相手にされない。
まして敗戦国の平民の女子など、値はつけられても叩かれるのが関の山だ。
……強いて言えば見た目の良さと人見知りしない性格だけが、この娘の取り柄だろうか。
そんなことを考えていた時、娘が俺のマントを引っ張った。
「なぁ、あれ、あの膨らむやつは何だ?」
「……サッカームだ」
「美味いの?」
「……“美味しいのですか”だ。そう聞け」
「同じ意味でしょ?」
……口の悪さから直す必要がありそうだ。はぁ、先が思いやられる。
サッカームとは──
バルナやムーゴなどの果物をペーストにして、ヤサム芋、泡立てた卵白、砂糖、小麦粉を混ぜて油で揚げた、子供向けのおやつ。甘くてふわふわした食感が特徴だ。
俺はそれを一つ取り、店主に銅貨一枚を渡すと、娘の汚れた手を取って持たせた。
「食べていいの?」
「俺は食わん」
手のひらサイズの菓子を、娘は頬張って喜色満面で俺を見た。
……もしも、孤児でなければ。
親元で育ち、幸せな幼少期を過ごして──やがて嫁に行っていたのだろうか。
「おじさん!美味しいよ!」
屈託のない笑顔が、胸の奥に波紋のように広がっていく。
──何故笑える?
お前の行き先なんて、娼館か、変態趣味の買い手しか考えられないというのに。
裁縫が得意なら衣料品店に、学があれば貴族子弟の下女に──
俺の関知することではないが、他の商品に比べて、苦労は必至だ。能天気にも程がある。
俺は子供を商品として買わない主義だった。
けれど今回は──ロレント王国が落ちたとの情報が遅れた所為で、虜囚市場に残っていたのはこの娘と老婆だけ。来た道を戻ることも考えたが、レークイスへ向かった後の路銀が足りない。補填のため、老婆よりは売れるだろうと、この娘を引き取った。
……だが、やはり、子供を卸す後味の悪さと罪悪感は、何年経とうが変わらない。
「足はもう大丈夫か」
火傷に擦り傷、こいつの足は酷い有様だった。
最低限の手当はしたが、本格的な治療が必要だったため、イシャバームに入ってすぐ治療師に診せた。
「ん? 平気。ほら」
ぴょんぴょんと跳ねて見せる様子に、ふと想像する。
……もし、俺の子が生きていれば──こうして笑って飛び跳ねていただろうか。
「なら、行くぞ」
「……うん」
最後に子供を卸したのは、いつだったか。
それでも、こいつよりは年上だったような気がする。……10歳。もう少し幼ければ、法に触れて孤児院行きだったのだが。
──イシャバームの歌い子の、異国的な歌声が響く。
軽快な打楽器のリズム。強い日差しに、香る草花。
寺院の香がこの通りまで届いている。
いつ来ても、この街だけは世界から切り離されたような、異質な場所だと思う。
──ここなら、底辺を彷徨う俺たちですら、存在を許される気がするのだ。
※本作はアルファポリスにも第一章まで掲載中です。
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