楽園に2人
観光大国ヒルバルは、内陸側で中央特区と接しており、北と南には予備国がある。しかし、最も長く接しているのは、果てなく広がる海だった。
「こ、これ……何っ⁉︎」
ミーセスとラディッツと別れ、少し沈んだユリアーナの気分を変えてやろうと、俺は嫌いな海にユリアーナを連れてきた。
「初めてか」
「う、うん……大っきい……池?」
鮮やかなコバルトブルーの海。星屑を撒いたような砂浜。寄せては返す白波に、スカートを風に靡かせたユリアーナは目を輝かせている。
そんなユリアーナを見て、俺は眩しさに目を細めた。
ずっと見ていられる光景だと思った。
「海だ」
この旅で、ユリアーナをここに連れてくるつもりはなかった。さっさと必要な手続きを終わらせ、カッカドールへ向かう予定だった。――だが、
「アル、ここは何する所なんだ?」
「『ここは、何をする場所なの?』――だろ」
「……なにする場所なの?」
「ここは他国に比べて湿度も気温も高い。だから皆、この時間になると海に涼みに来る」
海岸沿いをスーリで歩くユリアーナを見て、もっとゆっくり旅をしても良いのかもしれないと思った。
俺の人生で、初めてのことや楽しさを感じることはもう無いと思っていた。大抵の大人はそうだろう。純粋に感動することなど減っていくものだし、損得勘定が常となるからな。
だから、幼いユリアーナに見せたかったのかもしれない。
損も得もない、ただ美しいと感じるものや、楽しいことを。
「ここはどんな国だ?」
「国ですか?」
口を尖らせたユリアーナは鼻を鳴らすと、わざとらしく言い直した。
「ぶぅっ……国ですか」
不貞腐れるユリアーナは年相応で、出会った頃のような、捨て猫のような汚さも、噛み付くような刺々しさも薄らいでいた。
そして初めてであろう綺麗な服がとても似合っていて、なぜだろうか、充足感に満たされて久方ぶりに穏やかな気分だった。
「ここは観光大国ヒルバル。人々が癒しと享楽を求めてやってくる。だから裕福な者たちが多い」
ここには、意外と寒冷地の多い南部や西部の大店の店主、商会の上役、貴族たちが観光に訪れる。それに、芸術の都、流行の発信地として名高く、世界各国の商人が多く集まってくる。
だからユリアーナの言葉遣いを矯正できるかもしれないと思った。
「すごーーい! 見たかっ? あの押し車に動物が乗ってたぞ?」
……簡単にはいかんと思い知ったが。
「行くぞ」
「ん? また商会か?」
「いや、海に入ってみよう」
海は、俺にとって見たくもないものだった。
18だったあの頃、俺は奴隷で、主人に良いように弄ばれるだけの獣だった。だから海を見るたび、過去を思い出しそうで嫌だった。
「きゃーーーーっ! アルッ! 気持ち良いよ!」
イシャバームで、ユリアーナは言った。
『おじさんと一緒だから、ここは魅惑の国なんだ』と。
ユリアーナといる今なら、あんな過去も、いつか見た喜劇の一幕だったと受け流せる気がした。
「あぁ……気持ちが良いな」
認めよう。
ユリアーナは、俺の家族だ。
俺の過去がユリアーナを苦しめることもあるかもしれない。だが、きっとあの子は俺の側に居てくれる。
そして俺も、あの子の側に居て欲しいと願うだろう。
「アルッ! この海の先には何があるんだっ⁉︎」
美しいと、宝石や装飾品で飾り立てられたあの時よりも、何も持たず、ありのままの俺が受け入れられた今を……幸せに思う。
「他の大陸がある。言葉も人種も違う人間が生きている」
「マジかー⁉︎ んーーー! 世界は大っきいなっ! なっ?」
「……そうだな、広い、な」
サナ……お前と生きたのは、たった3年だった。
互いに子供だった。でも、2人でなんとか家族の形を作った3年で、俺にとってはかけがえのない日々だった。
「みんなこんな気分になりたくてここに集まるのかー!」
もう二度と、あんな幸せは無いと思っていた。
お前やあの子以上に、命を賭けられる存在などいるはずがない。
そう思い込んで、俺は目を瞑り、ただこの世界の終わりを待っていた。
終わるための旅。人をやめ、虐げられようとも、いずれ同じように皆、悲惨な末路を辿るのだ。それを見てやろうと思っていたな。
「なぁ、ここの……かへいかち? 高いのか?」
「……ここの貨幣価値は他の国に比べて高いのですか……お前はもっと文法から学ばねばならんな」
してやらねばならない事は山ほどある。
生きる術、それを活かす方法、人の使い方。
しかし、それはすべて未来の姿を描けて初めて意味を成すことだ。
だから、幸せを与えてやろう。
小さな幸せを山ほど。
そして、絶望を一つずつ希望に変えよう。
「ユリアーナ……楽しいか」
「ん? んーー……」
俺の想像する子供の幸せと、ユリアーナの幸せは違うようだ。
「別の所に遊びに行くか?」
「アル、僕はアルとお金の話をしたりさ、砂漠で乾物の果物作ったりしたろ? ――あぁいうのが楽しくて好きだよ」
「そうか」
学びを楽しいと思える此奴は、十分に商人としての才がある。なら、もっと話をしよう……旅をしよう。
「見てーー! 変な魚がいるよっ!」
「……あれはビーネ、動物だ」
「変なのっ! 可愛いけど変な顔っ!」
「ユリアーナ、アイスを食べてみるか?」
「アイスー‼︎ ……って何っ? 食べるー!」
サナ、ユリアーナも俺たちの子供と思うことを、許してくれないか。
お前たちを忘れることはない。
妻は永遠にお前1人だし、我が子は、生まれて名前もないあの子だけだ。
だが、俺は……もう1人では立っていられない。
ユリアーナが必要なんだ。
「アルっ! ここには沢山人がいるのにさー」
「あぁ」
「なんか2人きりみたいだなっ!」
「?」
「楽しいから周りが見えなくなるぅー! きゃーー!」
砂にまみれながら走り回り、見たことのない遊具に興奮する。
けれどユリアーナは、俺がどこに居るのかをいつも確認する。
それが……嬉しいと思う。
この世界で、お前は俺たちが2人きりだと言う。
今は、それで良いと思うし、それが良いと願う。
「はしゃぎ過ぎるな。この後、お前も一緒に人と会うからな」
少しずつ、自由に近づいている。
ゆっくりと、けれど確かに――。
▶︎次話 観光地の商売と移動商人
アルベルト独白回でした。
死んだ様に生きる人間は、簡単に生き生きとはなれない物でしょう。なのでスローテンポですが。。アルベルトの人化、ユリアーナの成長にお付き合い下さい。




