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ミーセスの育児論

「ユ、ユリアーナちゃん?」


猫撫で声のミーセスは、御者台に乗っているユリアーナに媚びるように声を掛けた。


「何だよオッサン‼︎」


「オッサン呼びに戻ってるぅ」


顔を真っ赤にして怒鳴るユリアーナは床をドンドンと踏み鳴らす。アルベルトは頭を抱えてどう宥めるかを考えていた。


「ユリアーナ、街に戻ってどうするんだ?」


「そんなの決まってるだろっ!アルいじめた奴を僕がボコボコにしてやるんだっ!」


「どうやって」


「そんなの決まってる!」


ユリアーナは懐から金槌を取り出し、ブンブンと殴る真似をして、グッと留めを刺すように金槌の釘抜き部分で何かをくり抜く動作をした。


「こらーーーっ!怖い怖い怖いっ!めっ!ユリアーナちゃんめっ!」


「……」


ミーセスは慌ててユリアーナから金槌を取り上げ、アルベルトは一歩後ろに下がってたじろいだ。


「アルっ!」


「な、何だ」


「アルが泣いたのは心がもう、もうっ!駄目ーーーって、なったからだろ⁉︎そのまんまで次の街に行ったら…行ったら…」


「「行ったら?」」


ユリアーナは夢の中での日々を思い出す。

蹲り、咽び泣いて立てずに殴られた姿を。


「もう…絶対…立てなくなるよぅ…うぇっ!わーーーっ!」


「ユリアーナ…」


ミーセスは頭掻いてどうするか考えた。

アルベルトの為と言うよりも、これはユリアーナの為になるのでは無いかと、ふと思い至った。



「うしっ!行くかっ!」


「は?待て……団長!」



ミーセスの肩に手を置いたアルベルトだが、首を横に振るミーセスには何か考えがある様で、アルベルトは深く息を吐くと『俺は知らんからな』と言って荷台に乗り込んだ。



「「しゅっぱーつ!」」


二頭立ての幌馬車は、来た時よりも速度を上げて道を駆けて行く。


「参った」


アルベルトは揺れる荷台でため息を溢す。

そしてぼうっとしながらも考えた。


いつから自分はこんなにも弱く、愚かな判断をする様になったのだろうか。

自身の事すらあんな男に乱されて、あまつ幼子に慰められるなど、過去の忘れたい記憶を塗り替える程の物だ。


だが、ユリアーナとミーセスの煩い程響く声に、自然と瞼が重くなった。そしてガタンと馬車の揺れにハッとして、何度か瞬きをする。不意に訪れた開放に手が震えた。


「あぁ…もう…良いのかもしれない」


心の奥底に蓋をしていた物が、無理やりこじ開けられた事で消えてなくなった。望んでいた訳ではない。なんならこのまま永遠に隠しておきたいとさえ思っていた過去だった。


「で、どうやってボコるんだよ」


「だからこれでだよ!」


国を捨て、過去を捨てて放浪の身となった。

その日暮らしをしながら世界を転々とし、時々で出会った者を信頼しては裏切られた。


「死んでしまうわっ!」


「死なせないし!ギリギリ狙うしっ!」


イグラドシアで護衛をしていた時分に出会ったラディッツ。子供でも無く大人でもなかった彼はバカをした。そんな彼を、護衛対象を放って助けたのが運の尽きだった。


「ギリギリって…どこ狙うつもりだよ」


「母さんが言ってたんだ。男の人に襲われたら股を蹴りなさいって。そしたら絶対動かないからって」


「おまっ…何て恐ろしい子っ!」


ラディッツは金の為にアルベルトの護衛対象を狙い、それに失敗して逃げる所を別の護衛に押さえ込まれて斬り殺されようとしていた。


情けを掛けるべきでないと分かっていた。

だが騎士団員だった頃の矜持から、ラディッツを救ってしまった。後悔は無い、だが絶望があった。


そして俺は男であり騎士であったという矜持…人としての人生を失った。



「おーい!アルベルトっ!もうすぐ着くぜ!」


「アルっ!見ててよ!僕が絶対!ぜーーーったいアルをいじめた奴を懲らしめてやるんだからなっ!」


幌の隙間から顔を覗かせるユリアーナとミーセス。怒り浸透のその顔に、思わずアルベルトは笑ってしまった。


ユリアーナは、アルベルトの心を脆くした。

けれど、受け入れる強さをくれたのも、彼女だった。



 裏路地を歩く3人、アルベルトは昨日同様に道をスイスイと歩いて行く。


「ここだ…やるんだな?」


どう見ても、倉庫にしか見えない場所の扉を背に、アルベルトは手の甲を扉にコンコンと軽くぶつけて最後の確認をする。


「よーし!任せろっ!」


「ユリアーナ」


「ん?」


「ここに押しかけて…お前は満足するんだな」


「うん!」


「お前が逆に殴られて…最悪死んでもか?」


その言葉に一瞬ユリアーナは息を呑んだが、爛々とした目でアルベルトを見上げて頷いた。


「…死んでも……譲れない物が僕にはあるっ!アルが……泣くほどだよ?あいつはきっと、心をぐちゃぐちゃにして笑ってたんだ!」


その言葉にアルベルトはミーセスをチラリと盗み見た。そこには他所を向いて口笛を吹くミーセスが居た。


「俺は…助けんぞ」


「最初からアルに助けてもらおうなんて思ってない!」


その言葉を聞いてアルベルトは目を瞑るとノックした。


コンコン、ドンドン、ココン…。


「あれ?アルゥ?また来たの?」


「ラディッツを呼べ」


「う、うん。待っててねー」


そして暫くすると扉が勢い良く開いた。

緊張がユリアーナを包むが、その目は『やってやる!』と息巻いている。


「アル…どうかし…」


ラディッツが扉を開け、余裕の笑みを浮かべかけた――その瞬間だった。



「行けっ!先手必勝‼︎」



ミーセスはビシッとラディッツを指差し、ユリアーナは勢いを付けて体当たりと共に金槌…ではなくミーセスが持っていたレーク金貨の入った袋を顔面に叩きつけた。


「やーーーーーっ!!!!」


「えぶっ!」


ガシャン、ガシャン、ジャラッ!ジャラッ!

ガツンッ!


「アルをいじめたら僕が許さないんだからなっ!分かったかっ!」


「なっっっっ!痛って!って金貨で殴んな!やめっ!」


「やーーー!」


ラディッツはクラクラする頭を押さえ、ユリアーナの頭を掴んで床に叩き落とす。


「止めろって言ってんじゃんよっ!俺が何したってんだよ!」


「おむ…むああむむ…ぐいぃ!《お前がアルを底辺にした》っ!」


まるで狂犬の様なユリアーナをミーセスは腹を抱えて笑い、アルベルトに縋りついた。


「あはっ!あはっ!ふひっひっ!き、聞き取れねぇが、怒ってるのは伝わる…!くはっ!」


倒れたユリアーナの腹部を蹴り付けるラディッツ。

ユリアーナはそれを物ともせずにラディッツの太腿に噛みついた。


「ぐぁぁぁっ!!クソッ!やめろっ!この傷に触るなぁぁっ!マジでっ!やめてぇぇっ!」


けれどユリアーナは容赦なく歯を食い込ませ、手に持った金貨の入った袋をラディッツの股に向かって叩きつけた。


「アグッ‼︎おっ…おおっ…おっ」


「「うわぁぁ……っつ!」」


その場に居た誰もが股を抑え、痛そうに顔を萎ませた。

そしてユリアーナの猛攻は続く。



「ミーセス…」


「大丈夫だって。俺の育児メソッド…舐めんなよ」


「腹を蹴られた時は殺そうと思ったが…」


「くくくっ、腹にゃ鉄板と木板巻いてっから。あの男の方が痛かったんじゃねぇの?」



眼前に広がる地獄絵図。阿鼻叫喚に染まるその空間に、唯一冷静なアルベルトは目を瞑った。


「これは……どう回収…するんだ」


「……な、なる様になるってぇ~」


そして、ユリアーナは留めを刺した。


「アルに謝れっ‼︎アルにあやまっれーーー!」


ガシャンっ!



床に散らばる金貨。

飛び散った血痕。

笑い転げる男達。


そして白目を剥いたラディッツ…を仁王立ちで笑みを浮かべたユリアーナが見下ろしていた。


「アルベルト、これが…俺の育児だ」


「お前はもう…ユリアーナに関わるな」


「えー、強くなるよぉー!元騎士団長仕込みなんだから」


「強くしようとするなっ!……せめて令嬢に育てろ」


そんな2人に向かってユリアーナは親指を立てて、ニカッと笑った。


アルベルトは、ただそっと目を伏せて──笑った。



▶︎ 次話 洒落込む3人と1人の下僕

すみません。

作者のストレス発散回となりました。

少しは前話、前々話の不快が解消されると良いですが。

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