敵の顔をした敵は破顔する 1
アルシャバーシャのペンダントが諸刃の剣である事は、アルベルトが誰よりも分かっていた。
「イシャバームの至宝が奴隷を? しかも女児……なのに小姓?」
その役持ちであろう男は、灰褐色の瞳を鈍く光らせ、アルベルトと暴れるユリアーナを見た。
「あぁ、この奴隷ですが男なんです」
「男? ユリアーナという名で?」
一見、武人のように見える体躯や顔つきとは裏腹に、その言葉遣いや雰囲気は文官のもので、アルベルトはどう対峙するか冷静に考えた。
――阿呆を取り繕うか、不心得な態度を取るか。
「あぁ、アマラッタの村には子を守るために逆さ名をつける家もあるようで。あのガキの妹はグレオルというそうですよ」
事前に兄妹の名を聞いていてよかった、とアルベルトは顔色変えずに頷いた。
アルベルトはユリアーナから、両親と母方の祖父母、伯父、叔母の名前まで聞いていた。詳しく知り過ぎて藪蛇となるかもしれなかったが、対応策を増やすには仕方ないと考えていた。
「……奴隷のこと、よくご存知ですね。商品とは情を交わさぬのが人買いなのでは?」
「あぁ……今回あのガキ以外に買えませんでね。二人旅、まぁ暇つぶしに会話をしてしまいましたよ」
「その割に、あの子供にえらく噛みつかれていますね」
疑い、探り、利を得るための情報をこの役人は探っている。そう感じたアルベルトは、同種の人間だと背筋が凍る思いだった。
「……まぁ、この一月寝食を共にしましたからね。売るなと、弟子にしろと強請られまして」
俺の側にいたい、売られたくない。だから暴れているのだとアルベルトはその役人に伝えたが、あまり信じていない様子にも思え、出方をひたすらに待った。
「ユリアーナと話をしても?」
ドクン。アルベルトとユリアーナの心臓が跳ねた。
通常の買い付けや荷卸しで、役所に向かって役人に話しかけられる可能性はゼロではない。が、この状況に陥らぬように二人は演技した。なのに、役人はアルベルトの横を通り過ぎて、恐れ顔のユリアーナに近付いた。
「お役人様っ! お辞めをっ! 噛みつかれますっ!」
このままじゃまずい——! 口から心臓が飛び出そうだった。
そんな事しか言えない自分に、アルシャバーシャとの対話で感じた無力感が再び襲いかかる。
「こんなシャークに噛みつかれたところで何ともありませんよ」
ゆっくり、静かに役人はユリアーナの前に歩み寄り、ユリアーナの顎を掴み顔を上げさせた。
瞳を見られたら……終わるかもしれない。
アルベルトは固唾を飲んで二人を見つめる。
握り締めたその拳がギュッと音を鳴らした。
「……」
チラリと振り返る役人。
だが、その瞬間ユリアーナが役人の腹に膝蹴りをかました。それは綺麗に、威力を持って脇腹に入った。
「っ!!」
「おぉぉっ! いっ……綺麗に入ったぞ、あれ」
赤ら顔の役人は受付の窓から痛そうに歪めた顔を出し、からかうようにアルベルトに声を掛けた。そのお陰でハッとしたアルベルトは二人に駆け寄る。
「だ、大丈夫ですかお役人様っ! おいっ! ユリアーナっ! 何て事をっ! 殺されたいのかっ!」
「殺せっ! 僕は僕の物だっ! 売り先だって僕が決めるっ! オッサンが買えって言ってんだろっ!」
「お前なんか邪魔だっ! それにアルシャバーシャ様に気に入られたんだぞっ! 他に売るなと厳命された!」
アルベルトはユリアーナの肩を掴み怒号をあげる。微かに口を開けて「目を瞑れ」そう言ってドンっと壁に叩きつけた。
「知るかよっ! あのクソ野朗、僕の首絞めて喜んでたんだぞっ! うっ、うぅっ、わーーーっ! あーーっ! 嫌だっ!」
泣き喚き床に突っ伏したユリアーナ。
その姿を背に隠すようにアルベルトは振り返り、役人を気遣った。
「あぁっ、すみませんっ! あのガキ、本当に手が付けられなくて! 大丈夫ですか?」
「……っ。あ、あんな子供を本当にアルシャバーシャ様が?」
憎々し気な顔で、横腹に手を当て役人は立ち上がる。そして何かを考えた後に「ふっ」と笑って窓口に戻ると、書類にサインをした。
何が起きた。なぜ急に興味を失った?
そうアルベルトは驚きながら、役人の背を見つめた。




