アハルモニ
イシャバームを太陽が昇る前に俺たちは出国した。
意気揚々と俺の前を歩くユリアーナの背には、昨日買ってやった荷物が背負われている。
昨日の夕方を俺は思い出す。
共に行ける事を喜んだユリアーナ、
そして虚無の様なもう1人のユリアーナの姿を。
望んではいけない
そう強く思っている様な事を、ユリアーナは言いながらサンダルを抱きしめていた。
初めて俺があいつに与えた物だ。
確かに、金の無い生活をして来たのならユリアーナの様な思考にもなるのだろうが、当のユリアーナは違うんじゃないだろうか。
あの時の瞳に、悲しみも、妬みも、羨望すら無かった。
『だってそれが私達底辺でしょう?』
そう目が訴えている気がした。
「欲しい」とさえ言えないのは、底辺かどうかの問題じゃ無い。
抑圧された者が手放した思考の問題だ。
使い古し品とはいえ、綺麗に使われていた物、使用期間が短い物、補強し直されている物を選んで買った。
急には俺を親と思えとは言えない…。
俺だってなれるとは思わんからな。
だが、少しづつ…良い物に触れて欲を出せる様にしてやりたい。
それ位なら俺にも許されるだろうか。
「おじさんっ!」
「…」
まるでサナと付き合い出した頃の様なやり取りだ。
名を呼べと、俺はサナが慣れるまで言い続けていたな。
ガキだった。
今もきっと大して変わらんのかもしれんがな。
「~~っ!アルおじさんっ」
「アルでいい」
「えーそれ…なんか恥ずかしくて嫌だっ!」
「俺はお前の叔父じゃない」
「そうだけどそっちじゃねーよ!…むむむっ!んーーっ!」
「別に良いけどな…何でも」
「何でも良いんじゃないかっ!…ア、アルッ!」
今から名前を呼ぶ事に慣らさないといけない理由が俺にはある。
ユリアーナに強制するつもりはないが、レークイスは一筋縄では行かない土地柄だ。
疑り深い、執念深い、誤魔化しが効かない。
アルシャバーシャ様に頂いた証文が何処まで効力を発揮するか分からない。もしも弟君がアルシャバーシャ様の縁者だと既に知っていたなら、この証文が逆に仇となる可能性もある。だからこそ既に買い手が付いた事、俺がその指導係となった事を理解させる必要がある。
師弟関係、もしくは気兼ね無い関係。それらを見せられたなら真実味が出るだろう。
「これから向かう場所はオアシスを2箇所。テカハ、フリオリ。そしてサザンガードで一泊したらレークイスだ」
次第に昇り始めた太陽を背に、キラキラと光る銀髪を靡かせ後ろ歩きをするユリアーナ。
俺は一瞬、ほんの一瞬だけ眩しさに目を瞑りこれからを話した。そして気持ちを切り替える様にアルシャバーシャ様から頂いた、首から下げたペンダントを取り出し見せた。
「これはアルシャバーシャ様から頂いた物だが、これがお前を虜囚…奴隷から解放する物だ」
「……何で、あの女男はそれをくれたんだ?」
「それについてはテカハで話す。今覚えておかなくてはならないのは—— これからお前はアルシャバーシャ様に買われた小姓で、俺はお前の指導係だ。という設定だ」
「はぁ?」
「……ぶっ」
こいつの怪訝な顔はまるで地面で干からびたエーリの様で思わず吹き出してしまった。本当に、ふっ、良く似ている。
「クッ…ふっ…」
「何…は?…何笑ってんだよっ!」
「いや……ふふっ、ふっ、何でもない」
一頻り噛み殺した笑い声を溢していたら、急にびゅうびゅうと強い風が立ち上がった。
その風は俺のフードをはためかせ、ユリアーナのポンチョもバサバサ揺らしている。その隙間から覗く銀糸の様な髪は風に遊ばれていて、一瞬だったが、俺は嬉しそうなユリアーナの瞳を見た。
「…何か知らないけどさ、良いよ…笑ってもさ」
「……」
何か悟った様な顔はまるで大人顔負けで、狡賢いユリアーナは俺という人間を見透かしているようだ。
だが ——。
太陽に照らされたその顔を、ちゃんと見れて良かったと思う。
それはきっと俺の知らない過去のお前なのだろうから。
「アハルモニ」
もう使われる事のないエルセンティア語。
光の神の名で、祝由の言葉。
今日という日に、始まりの日に、これから続く日々に。
「?アハ、何?」
「アハルモニをお前に」
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