終わりの始まりは来ない
俺の言葉にアルシャバーシャ様は一点を見つめたまま、身動きすらし無くなった。
ただ何かを回顧しているようで、表情を落としたその姿は…。
迷子になった子供のように見えた。
「……真理…だ、ねぇ…そう、止めれたんだ私は多分…イルシャムを」
その言葉を口にした己に、アルシャバーシャ様は一瞬、目を見開いた。
まるで今の言葉が“本当に自分のものだったのか”を確かめるかのように。
俺の問いは意図せずアルシャバーシャ様が蓋をした筈の過去を掘り起こした様で…溜飲が下がる思いがした。
この人にも俺達の様な人間には理解も及ばない、
深く心を澱ませる苦悩もあるのだろうが……。
だからといって、俺達がその慰めに使われる道理はない。
「アルシャバーシャ様…娘をお返し願います」
「…君は…いつ…その覚悟を…持った?」
「…子を持ち、その子が殺されてからでしょうか…」
「なのに人買いを…?」
「国を持たず、何処にも受け入れて貰えぬ者はどう生きれば良いのでしょうか?」
仕事も得られない、庇護も貰えない流浪の兵士崩れは、俺の幸せを壊した者達の様に人を殺め、物を奪い、生きろというのか?
そんなの…無理だ。
だから最低の中からマシな物を選んだ。
「…あ、あぁ…あぁ…そう…だね」
これ以上俺はアルシャバーシャ様と話を続けるのは耐え難く、早くこの場から離れ様と俺は立ち上がり娘の側に歩み寄った。
意識を失いぐったりとした娘を抱き上げた。
重いと思ったが…。
あぁ、まだこんなにも小さかったのか?
いや、知っていた、分かっていたのに。
すまなかった。
俺が教えるから…世界を回る術を。
だから共に、共に行こう。
「御前、失礼致します」
アルシャバーシャ様は何も言わなかった。
ただ俺達を見つめ、呆けた顔をしている。
「まって…待ち、待ちなさいイシャバ…いや…」
「…はい」
「これを……持っていくといい…も、もう…人買いは…」
貴方に言われなくても、俺がどうすべきかなんて
分かっている。
「辞めます」
金の入った皮袋。そしてイシャバームの民を証明するペンダントが俺の汚れた手に乗せられた。平民のそれは銅製だが、それは純金で出来ていた。俺は突き返そうと思った。だが、身じろいだ娘に体が震えた。
いつもの俺が計算する。そして心が叫んだ。
もらえる物は何でも貰え。
それが身を守る物なら尚更、と。
「有り難く頂戴致します」
背を向けたまま、未だ呆然としつつもアルシャバーシャ様は俺に縋る様に声を掛けて来た。
「また、会いに……来てくれないか?」
「…」
「魔力貯蔵の…幸せを…見て…みたいんだ」
俺は領事館を後にした。そして知らず知らずに駆け出していて、その内に目覚めた娘が俺の肩に噛み付いた。
「おじさっ!とまっ、止まれよっ!」
「ハァッ、ハッハッハッ……うぅっ!ぐっ!うぅっ!」
後悔と安堵に心が乱れ、不安と焦燥感に体が力む。
だが、諦めていた願いと喜びが今、俺の腕の中に在ることに、
——妻と子が死んで以来、初めて神に感謝した。
第一章 完
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「おじさん、これから何処に行くの?」
もう人買いは廃業だと彼は言う。
そしていつか失った真っ当な人生を、
娘の自由を取り戻す為に彼はレークイスへと向かう。
死に場所すら奪われた男と、生きる術を知らない子供。
お互いを「家族」と呼ぶには遠すぎて、けれど、決して離れられない。
沈黙の旅路。
出会いと別れを繰り返す中で、少しずつ二人の歩幅は近づいていく。
元人買いが選ぶ、新たな生き方。
そして少女が見た、おじさんの「強さ」。
それは、誰かを守るための商売の知恵だった
第二章、来週より公開します