虜囚の値段
あの娘の地頭は悪くない。
一人で生きていくことの難しさを説明して、もしそうなったならと想像し、現実的ではないものの代替案を考える賢さがあった。
無知が悪いのではない。無欲が罪なのだ。知識があったところで、それを己の人生に活かせぬのならば無駄だからな。だが娘は聞いた。
「金のことを教えてくれ!……ま、ませんか! お金のこと分かったら安くして交渉できるかも……しれない」
娘はロレントのハーケンシューバル領でのみ流通していた秤量貨幣の豆板貨幣しか知らなかった。俺の手元にある領貨幣とは別に使用できる共通貨幣を見せ、その仕組みを教えた。
「な、なぁ! どの国もこの金を使ってるのか?」
「……どの国でも、このお金が使えるのですか。だ」
四大国は共通貨幣である聖金貨、聖銀貨、聖銅貨が使用されている。理由は神殿が不正に作られた貨幣を許さず、徹底した管理のもと鋳造した貨幣でのみ通貨とすべきと提言し、各国がそれを容認したからだ。
責任のすべてを神殿に押しつけられる四大国。
一方、価値を保証された貨幣を一括管理することで、各国の輸出入に目を光らせることができ、過去に金融市場を我が物顔で荒らしたような王国が現れても、奉納金で成り立つ神殿はそれを牽制できる立場を得ていた。
共に利害があってのことだが、それ故に世界の金融市場は概ね安定していて急激な変動はない。
聖貨は100単位で価値が上がる。100銅貨で銀貨、100銀貨で金貨、100金貨で白金貨となる。
一方、秤量貨幣は1000単位で価値が上がり、領主や地域により名称も形も違う。値動きが大きいため信用度は低いが、使い勝手は良い。
それ故、俺は聖貨を口座に預け、各地で必要に応じて秤量貨幣を引き出して使っている。まあ、いざという時に幾らかは手持ちに聖硬貨を持ってはいるが。
「何で僕の村じゃこれを使ってなかったんだろう」
「世界に流通させるだけの聖貨を鋳造できないからだ」
四大国以外の国でも共通貨幣〈聖貨〉は使える。しかし、偽造を防ぐための聖紋を施した貨幣を大量に作る鋳造技術はなく、国家・商業間は〈聖貨〉で取引を行い、一般店舗や市民はそれぞれの属する領主が管理する秤量貨幣や領地貨幣を使用していた。
領地を越えての取引になる場合は、手形や割符、小切手が使用されていて、後に領主同士が聖貨によって清算を行うのが慣例となっている。
「ふーん。ならさ、僕の値段ってどれくらいの価値だった?」
「……領地金貨100枚だ」
「なら平民はそれで10年は暮らせるな」
「無理だ」
俺がこの娘を買ったのに使った金貨は、レークイスのフォルアン領で使用されるフォル金貨100枚で、その価値は聖金貨の1/100程度。俺は聖金貨1枚で買ったことになる。
四大国の平民の年平均支出は聖銀貨で20枚か30枚程度。この娘に掛かった費用は、良くて半年程度の物。
「どこで生活するかにもよるが、大体3年…いや、半年保てば良い方だ」
「半……年」
「生活に不慣れだと支出は増える…初期費用も考えれば半年も厳しいかもしれんな」
「…」
「もしもお前が女だと分かれば、更に値は下がる」
「そんな価値しかないのになんでおじさんは買ったんだ?」
もしもロレントで見目の良い男児5人買えば、聖金貨だと約5〜6枚。それを人身販売の商会に卸せば、買値に手間賃に加えて、プラス売り値の1%が手に入る。
もしも商会を介さず直接購入した場合は、購入者との価格交渉となり、商会価格の1.5倍は吹っ掛けられる。となれば、これほど旨い仕事はないだろう。
普通は最低でも成人した男を10人は買う。1人……そんな最低の仕事をしたのは、この仕事を始めた時以来だ。
「他に買える者があったか」
「……」
「俺の到着が早ければ、最低10人は買った」
俺は既にこの娘を買い付けて……損をしている。
ロレントから出国し、通行が許されているサザンガードを目指し西へ向かうために、乗合馬車を使った。
全行程およそ2週間、途中で馬を休ませるための乗り換えが20回ほどあった。5時間ごとに馬が交代される仕組みだ。交通費だけでも聖銅貨20枚。
物資の追加に聖銀貨10枚。イシャバーム滞在の宿代や食事、諸々で聖銀貨82枚。さらにサザンガード通過時に必要な仮証文の手数料と発行費として聖銀貨2枚。
総じて、娘の購入と合わせて聖金貨1.5枚相当の出費。
男児だと思っていた。
聖金貨100以下にはならない。
本気でそう信じていた自分が情けない。
俺はこの娘をどうすべきだろうか。
「損……したよな?」
「大損だ」
俺は損失をどう埋めようかと考えては頭が痛くなるというのに、娘はなぜか笑っている。
しかし、その顔を見ても腹が立たないことに……俺は、この仕事が潮時なのかもしれないと思った。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
この話は「人を売る」という、一般的には避けられがちな題材を扱っています。
ですが、それを通して描きたかったのは、値段で測られる命に、値段では測れない何かが芽生える瞬間でした。
損得で動く大人と、自分の価値を知ろうとする子ども。
その間にある距離感と、そこからほんの少しだけ動いた心――
それを感じ取っていただけたなら、書いた意味があったと思えます。
登場人物たちの正しさや優しさは、時に歪んでいて、決して清潔なものではありません。
でも、汚れた世界の中で、それでも少しずつ「まし」な選択をしていくこと。
その積み重ねが、温もりになることを信じて、続きを紡いでいきたいと思います。
次回も、どうか気が向いたときに、ふらっと立ち寄っていただけたら嬉しいです。