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トワの奏弦士  作者: 苫古。
◆第1章◆ 花とヨルの箱庭
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06. 春の神子姫

 水底から、水面を見つめながら浮き上がっていくような感覚。


 瞼をそっと開き、吐息をつく。


「……何を見た?」


「夢を。哀しい、女の子が泣いてる夢」

「そう」

「……あの」

「なあに?」

「わたし、どーしちゃったんでしたっけ?」

「あら、やだ。マーセルちゃんってば。覚えてないのー?」

 いやぁねェの手振りをしながら、青い神官長衣を纏うその女性は、ウフフと笑った。やや童顔気味な顔は至極にこやかだが、紫の双眸は全く笑んでいない。

 不穏なものを感じながらも、マーセルはへらっと笑みを返してみた。その途端、流れるような動きで、書物による打撃が彼女の頭を襲った。

「痛ッたーいっ。何するの! ルシアッ」

「何するのは、ないんじゃなぁい? 私のありがたーい講義の途中で寝てくれちゃって。今日を除けば、祭典(フィア)まであと一日しかないっつーのに、随分余裕なのねぇ? うりうりうり~」

「いだだだだだだ! ご、ごめんなさい、ごめんなさい―――!! わたしが悪かったです。悪かったですってば!」

「ふむ。許して進ぜましょう」

 マーセルのこめかみから拳を外して、ルシアはニッコリと微笑んだ。

 マーセルは頭を押さえながら、上目使いに自分の教師を見上げた。さっきのこめかみ攻撃は、新しい技だった。彼女は神官(ドナク)であると同時に、名家の令嬢でもあるはずなのだが、どこでこんな庶民的なお仕置きを覚えて来るのか。


 ふと窓の方を見ると、部屋に差し込んでいたはずの夕日は消え去り、辺りは夜に沈んでいた。

 窓の向こうの空に、十八個の月が、歪な楕円を描いている。

 その中で、いま最も鮮やかに光を放っているのは、第四の月〈星杖の煌女宮(シャ―ザ・カウィール)〉。この世界を満たす蒼銀の月光は、春の祭典の夜に最も美しく輝く。

 庭園の白い薔薇の花弁が青く染まっている様を眺めながら、今日も謳や舞の鍛錬ばっかりで、あっという間だったなぁとマーセルは吐息を洩らした。

 今も、手元には散らかったままの黒板と、解かれた羊皮紙。黒板には儀礼に必要な聖句が、白墨でやる気無さそうに書きなぐられている。

 どうやら本当に、講義の途中で机に突っ伏したまま爆睡してしまったらしい。一対一の授業で寝ることができる自分に、ある意味感動してしまった。

「全く。こんな時期になんて居眠りだなんて、あなたも大物ね。ほらほら、ここ違うよ」

「えー、またぁ? ……う、ホントだ」

「ほれ! さっさと直す直す直すッ。聖句は唱えるだけじゃなくて、一言一言意味を解さないと、祈りに反映されないんだから」

 そう言いながら、ぺしぺしと頭を叩いてくるルシアは、エルヴェルク大聖堂に籍を置く、セルゼニザス神教の皇位神官(ファンデ・ドナク)だ。ゴートガードに連なるルブルス家の令嬢であり、マーセルにとっては父方の従姉妹にあたる。

 彼女は神殿(グレイス)における式典の運営―――特に、神子姫(フェルマ)の教育役を担っており、毎年、春の祭典が近付くと、こうしてマーセルをしごきにやってくる。


「しかしねー。たった一年で、普通こんなに忘れる?」

 胸元で切り揃えた紺色の髪を払い、紫の目を細めながら、ルシアは不満げに唇を尖らせた。

「一年経ったから、です!」

「でも、〈華鏡の神子姫(セイレル・フェゼルマ)〉に選ばれて、もう三年目じゃない。全く、だからいつも上に言ってるのよ。派手さ重視のお飾り儀式や、してもしなくても変わらないような形式修行だけじゃなくて、実践的な祭典教育に力入れとけって。焼け付き刃じゃ、すぐに忘れちゃうお馬鹿さんばっかりなんだから」

 神子姫たちに、過労死しろと? 暗い視線を送っている弟子を無視し、ルシアは一人、自分の意見に頷いている。

 その土地の神殿によって異なるが、このエルヴェルクでは、擁立される神子姫は四人と定められていた。彼女らは、通常の神官階級には組み込まれない特別な存在であり、頂点に立つ四人の聖家(ランス)当主・公師(グラン)以上に尊ばれている。神殿中での神子姫の役割は最も多く、式典・祭など、とにかく大きな儀礼を伴う場面には欠かせない。

 その極めつけが、段取りもややこしく着る物もめんどくさく、やけにながーい時間をかけて行う恐怖の大祭典だ。大祭典は一年に四回。四季に一度ずつ。それぞれの季節を司る巫女姫を中心に、他の三人の神子姫が補佐するという型で執り行われる。

 古き掟に従い、四聖家フォン・ランスそれぞれの家から一人ずつ送りだされる、高い錬祈力(デュース)を持つ娘たち。神子姫として選び出された彼女らは、一族の誇り全てを背負った存在だ。 よって彼女らには、生まれ持った錬祈力をより高めるため、幼い頃から厳しい修行を積む事が要求される。ゴートガード家の神子姫である、マーセルもそうだった。


 現在、マーセルが司るのは(マベル)

華鏡の祭典(セイレル・フィア)〉だ。


「あ、また欠伸したわね。この不届きモノっ! あぁ、私は悲しいわー。『ルシアちゃん。遊んで、遊んで』っておねだりしてた、純真で可愛い私のマーセルがこんな反抗的な子になっちゃうなんて。言って御覧なさい! 何が、貴女をそんなに黒くしてしまったというの!?」

「従姉妹の黒い心を回す潤滑油に、塗れちゃったんじゃない?」

 マーセルは目を擦りながら、主人と同じくやる気無さそうにビロリと伸びた羊皮紙を、丁寧に開き直した。

 実際、祭典本番を控えたここ一ヶ月は、異常に忙しかった。謳の練習に神に捧げる舞の鍛錬、儀式で用いる聖句の勉強。毎回の事ながら、これで倒れてしまわないくらい丈夫な自分の身体が、逆に恨めしくなってくる。いっそ寝込んでのんびりしたい。

「まー、でも、眠たいのも仕方がないわよね」

 なんだか妙な含みのあるルシアの口調に、へたっていたマーセルは視線を上げた。彼女は何故か、ニヤニヤしながら、悪戯気に口元を歪めている。

「な、なに?」

「いや、ちょっと小耳に挟んだだけなんだけどね?」

「な、なにをよっ」

「歴代の神子姫たちが音を上げるほど、忙しい祭典準備の時期にね? 毎日毎日、愛しい想い人のために差し入れを届ける、意地らしい神子姫いらっしゃるそーなのよ。そんな感心な神子姫様だったら、睡魔に襲われちゃうのも無理ないかな、って。今朝も行ってたんでしょう?」

「―――なッ」

「あら、やだ。耳まで真っ赤」

 おもしろーいと、きゃらきゃら笑うルシアの長衣に、マーセルが縋りつく。

「どこで聞いたのぉ!? そんな話!」

「どこでって、みんな知ってるわよ。神殿の関係者なら、たぶん」

「何で!?」

「そりゃ、毎朝、神殿の敷地を横切って、街外れに行ったりしてればね」

 みんな気付くでしょ、と言ってルシアは肩を竦めたが、あまりの恥ずかしさにパニックを起こしたマーセルの耳には入らない。

「あ~、もう! 大神殿の中歩けない――!」

「そんな大袈裟な。というか、今さら? あなたたち婚約してるんでしょ?」

「……話はそんなところまで」

 体から空気が抜けたように、マーセルはくたりと机に突っ伏した。

 ルシアがよしよしと、その頭を軽く叩く。もしも、こんなふうに天下の神子姫の頭をペシペシ叩くルシアの姿を他の神官が目の当たりにしたならば、真っ青になって卒倒すること請け合いだ。

「そんなに見つかりたくないのだったら、神殿の門じゃなくて、屋敷の私門を使えばいいじゃない」

 四聖家の屋敷は全て、大神殿と同じ敷地内に建てられている。その正門は、大神殿の庭園に出るよう繋がっているが、私門はそれぞれ、神殿を通らなくても外に出られるよう別に造られていた。

 確かに、ルシアの言う通りなのだが、マーセルは困ったように目を伏せる。

「んー。だってお父様が……」

「『高貴なる聖家の姫が、下々と同じ門を使うんじゃないっ』、って?」

「今度は何の小説の台詞なの、それ」

「秘密。それで、どうなのよ?」

「そんなこと仰ったりしないよ。……お父様は、わたしのすることを、一々咎めたりする方じゃないもん」

 父は普段、全くと言っていいほどマーセルに構わない。

 生まれた瞬間に架せられた神子姫になるということ以外で、父はマーセルを縛りはしなかった。―――ただ。

「ルカと一緒にいることには、あまりいい顔をなさらないの」

 だからマーセルは、父の部屋から見える私門ではなく、そこからは見えない正門を使って、ルカイスの神殿に出かける。

「何故? あのコを連れて来たのって、あなたのお父様でしょう?」

 うん、と頷きながら、マーセルも疑問に思う。

 ルカイスを引き取って、彼女に引き合わせたのは他でもない。父のアルザスだ。

 なのに何故だろう? どうも昔から、父は彼女がルカイスと一緒に居ることを好まなかった。一緒に居てはいけないと言うことは決して無いにも関わらず、二人がいる場面に出くわすと、いつも渋い顔をする。

「ルカのこと、お父様はお嫌いなのかな……」


 そして、もしかしたら、娘である自分のことも。


「バカね」

 あからさまに落ち込み始めた従姉妹を見て、ルシアは苦笑した。指通りのいい少女の栗色の髪を優しく撫でる。

「年頃の一人娘が同じ殿方のところへ毎日通ってたら、どこの父親だっていい顔しないわよ」

「そういうもの?」

「そう! ほら、ぐーたらせずに、残りを早くやっちゃいなさい。あと少しでしょ。それが終わったら、今日はもうお仕舞いにしてあげるから」

「わかりましたよう」

 軽く唇を尖らせたマーセルは、手元に顔を落とす。


 何だか、小さな子供みたいなことを言ってしまった。

 恥ずかしくて、でも、ルシアの言葉は嬉しい。


 ルシアには気付かれないよう、マーセルは頬杖を付いて赤く染まった頬を誤魔化した。



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