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トワの奏弦士  作者: 苫古。
◆第6章◆ 白い花の姫君
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05. 祈り石と白の祈り

 幼い頃に読んだあの童話の中の、両親に会うために空を渡ったという少年のように。

 彼女は、彼に逢えるのだろうか。

「……逢えるといいよね」

 マーセルに出来るのは、ただ祈ることだけ。

 ならば、いくらでも祈ろう。二人のために。


『――――姉さま……?』


 落された黒く滲むような呟きに、マーセルは振り返った。

 そこに在るのは、長い髪を背に垂らした、乙女。

 独り現世に取り残された彼女は、姉が消えたその一点のみを見つめていた。

 今しがた光に消えた娘と同じ面差しには何の感情も映っておらず、口唇はただ、壊れたかのように、同じ言葉を虚ろに繰り返す。


『―――姉さま、姉さま。姉さまは何処? 何処? ドコ?』


 (うろ)のような眼からはらはらと零れる涙を拭うこともせず、幻視の娘はただ立ち尽くす。

「ラティカナ……」

 名を呼んではみたものの、マーセルには、その先どうすればいいのか分からない。

 ―――何が出来る?

 望むものを与えることなど出来ようはずもない。彼女が狂気的なまでに求めた存在は、もはやどこにも無いのだから。

 でも、だからと言って、放ってはおけない。

 考えあぐねながらも、マーセルは片手をおずおずと持ち上げた。

 差し伸べるように向けた指の輪郭が、嘆く女の横顔に重なっていく。

 

『―――わたくしのものなのに』


 どうしようもなく伸ばされただけの手に、まるで応えたように発せられた言葉。


『わたくしだけの……そうよ。姉さま、姉さま。愛してるの、わたくしが一番姉さまを愛してるの! だから、他の誰にもあげない―――ぜったいに渡さないっ! 姉さまの瞳に映るのは、わたくしだけで十分だわ? 姉さまのことを見つめるような奴は、わたくしが眼玉を抉り捨ててあげる。勝手に触れるなら、その手を切り捨ててあげる。これからも、わたくしだけが姉さまを大切にするの。他のものは全部ぜんぶ壊して、姉さまを守ってあげるわ。……だから、だから、だから! 姉さまぁああぁッ』


 何処? 何処? 何処?

 溢れるがままに狂った感情を吐露するラティカナは、まるで姉は必ず傍にいるはずだと言うように、おぼつかぬ足取りで辺りを彷徨い始めた。絶えず姉を呼びながら、長い髪を振り乱して周囲に忙しなく視線を巡らせる。

 止め処なく涙を流しつつも、壊れた笑みを全面に浮かべたその面。

 愛おしい人を探すその姿に、もはや正気の色は皆無だった。

「……それじゃ、駄目だよ」

 マーセルは、彼女に向けて呟くように語りかける。

「誰も、貴女を赦してくれないよ」

 きっともう、この女性(ひと)には、何も届いていない。

 それを承知で、続ける。

「涙を流せば、自分がしたこと全てが許されるわけじゃないんだよ?」

 誰からも大切にされてきた彼女は、ずっと、自身以外の人間を大切にすることを知らずに来てしまったのかもしれない。

 その機会を得ることが出来なかった者が、皆こうなるわけではないだろう。

 でも……貴女はたぶん、どうしたら相手が幸せになれるかを、考えたことなどない。

 彼女が悪かったのか。それとも、彼女をこうしてしまった周囲の罪なのか。……マーセルには、どうしてもわからなかった。


『姉さま』


 最後の涙がラティカナの頬を滑り落ちた瞬間、一陣の光の風がマーセルの背後から吹き抜けた。

 白銀色の眩しさに、思わず眼を閉じる。

「……ルカ」

 舞い上がり乱された髪を押さえながら、ようやく瞼を上げた時、マーセルの視界からラティカナの姿は掻き消え――――彼女が立っていた位置に、銀色の燐光を帯びた片翼の天使像が、乾いた音を立てて転がった。





◆ ◇ ◆ ◇ ◆





“涙を流せば、全てが許されるわけじゃない。”




「―――そうだよね……」

 呟き、マーセルは天使像を拾い上げた。

 滑らかな像の表面を撫で、その顔を眺める。悲しみだけを湛えていたはずの乙女に苦悶と絶望の影が、そんな表情が浮かんで見えた。

 片方しかない、温度を持たない翼。


 ―――わたしは、わたしの大切な片翼を失いたくない。


「……ねえ、ルカ。―――ルカ?」

 返事が無いことを不審に思い振り返った先で、崩れ落ちるように倒れた少年を見つけ、マーセルは顔面を蒼白にして駆け寄った。

「―――マーセ……」

 荒い息遣いの下、額に脂汗を浮かべて彼が押さえつけている腹部は、真っ赤に染まっていた。

 見れば、マーセルの衣装も彼の血で紅に染まっている。……てっきり、彼女自身の血だと思っていたのに。

「や……やだ、やだっ!」

 咄嗟に、服の上から癒しを施すが、失血が多すぎるために治癒の速度が追い付かない。

 身体へ直に力を送りこむためにルカイスの白い上衣を取り払おうと、マーセルは震える手を掛けた。

焦りと恐怖で指が上手く動かない。

 早く、早く!

 ただその思いだけに駆られていたマーセルだったが、ようやくはだけた彼の胸元で見つけたものに息を呑み、思わず動きを止めた。

「これ……」

 茶色い皮紐で結えられた白い石の首飾り―――小さな祈光石(トルク)

 子供の頃、ルカイスと初めて出会った日に、マーセルがあげた石。

 ……もう、無くしてしまったんじゃないかと思っていたのに。

「お願い、力を貸して……!」

 皮紐から引き千切った石に、マーセルは口付けた。

 幼き日に、癒しの想いを込めて生み出した祈光石。この石が、誰かを助ける助けになればと祈って……。

 十年振りに主の手に戻った石は、その想いに応えるように温かな光を帯び始める。

 ルカイスの傷口に両手を当て、マーセルはかつてないほど強く、心から女神(トゥリアナ)に祈りを捧げた。

 淡く白い、蛍火のような柔らかな光が、二人を包み込むように湧き溢れる。

 傷は瞬く間に癒え、苦痛に歪んでいたルカイスの表情も解けた。役目を終えた祈光石が、創り手であり使い手でもある少女の心に安堵を促すかのように、ゆっくりとその光を失っていく。

 それでもマーセルには、自身の身体が小刻みに震え続けるのを抑え切ることが出来なかった。

 確かに、傷口は塞がった。だが、流れてしまった血は戻らない。

 まだ、彼が危険な状態にあることには変わりないのだ。

 浅く繰り返される、苦しそうな呼吸。血の気のない顔を覗き込み、泣きそうになりながらマーセルはルカイスを怒鳴りつけた。

「馬鹿っ! こんな酷い怪我してるのに、なんで来たの!? どうして、こんな無茶するのよ!」

 涙ぐみつつも、いつにない激しい怒りを露わにした彼女を、ルカイスは驚いた表情で見上げていた。

 だが、ふと可笑しそうに目元を緩め、

「……君が、無茶、するからだろ? ――――それに……」

 傷があった場所に当てたままだったマーセルの手。それを、力が入りきらない手でルカイスは握った。

「早く、君に謝りたかったんだ」

 堪え切れずぽろぽろと涙を零し始めたマーセルの目をまっすぐに見つめ、彼は微笑んで言う。

「――――ごめん、マーセル」

「………」

「今日は、よく、泣くんだね」

「…………いっ、いいのっ。これは……」

 嬉しい涙だから――――。

 そう最後まで言い切ることが出来なかったから、代わりに横たわったままのルカイスの腕に、額を押し付けた。

 そんな、幼子のような彼女をあやすかのように、そっと髪を撫でる彼の指の感触。

 単調に繰り返されるそれを心地よく感じながら、マーセルは胸の内に宿った温かさに身を委ね、そのまま瞼を下ろした。



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