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トワの奏弦士  作者: 苫古。
◆第6章◆ 白い花の姫君
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03. 真実

 どれだけの時を、共に過ごしただろう。

 どれだけの言葉を、想いを交わしてきただろう。


 だからこそ、赦せなかった。

 彼の裏切りが、きっと、他の誰の裏切りよりも、私を深く絶望に落とした。



 要らなくなって捨てるつもりならば、名など呼んでくれなければ良かったのに。






 * * * *






 ―――私は死んだ?


 あの時首を掻き切って、全てを終わらせたはず。

 食い込む刃の冷たさや、皮膚を切り裂いた直線の熱さを、こんなにもはっきりと覚えている。傾いて行く視界や、地面に身体を打ちつけた、あの音のない衝撃さえも。


 なのに何故、私はここにいるのかしら?


 あの日のまま、何も変わらない私。夢をみているかのように、不確かな感覚しか得られない足で、どこともなく彷徨い続ける。

何処に行きたいわけでもない。もう、逢いたい人がいるわけでもないのに。

命を絶ったというのに、あやふやなまま存在し続ける私のことなど、もう誰の意識を掠りもしないだろう。




 ……いいえ、居た。


 あの子。

 あの子が―――――あの妹も、どこかに居る。


 

 感じる。ただ、まだあの子もここに〈居る〉のだということだけを。




 皮肉だわ。そう感じとってしまうのは、あの子が私の片割れだからなのかしら。

 共に生を受けた双子を二人で一つの存在とするならば……、

 あの子は、私。

 私は―――あの子。


 私が未だ現世に居るのは、あの子がまだ居るせいなの?

 死んで、全部終わらせたと思った。こんな苦しい想いから解放されて、今度こそ自由になって、独りきり、心地よい闇に包まれて眠りに就きたかった。



 苦しい。

 痛い。

 辛い。

 寂しい。


 ―――――だれか……助けて。



 誰にも届かない、声なき言葉。

 苦しみに喘ぐ私の姿さえ、きっと誰の眼にも映ってはいない。

 死した者の魂は、女神の楽園へと導かれるのだという。だとすれば、未だ楽園はおろか、常闇の安らぎすら与えられず、この世に縛り続けられている私は、今罰を受けているというのだろうか。

 ……嫌だ。嫌だ、嫌だ!

 終わらせて! 

 お願いだから、私を消して!

 どうすればいい? どうすれば絶ち切ることが出来る?

 私を現世に繋ぎとめている楔―――片割れのあの妹を消してしまえば、今度こそ私は私を辞めることが出来るかしら。

 消さなきゃ。

 あの子を探して、今度こそちゃんと、私たちを殺さなきゃ。







 あの子を見つけることは、簡単だった。

 栗色の長い髪、白い肌を持った娘。私たちの姿にどこか似ている、そんな女の傍に、あの子はいつも居た。

「姉さまぁ」

 見知らぬ少女を、私だと呼ぶ。

 何も知らない私に似た少女に、私たちの記憶―――〈夢〉を見せ、堕とし、その魂と身体を絡め取ろうとする。

 恍惚とした表情で、私でない私に肢体を這わせる、醜悪な女。

 その女に我が身を許すあの少女たちは、私自身?

 ……だったら、消さなきゃ。





 一人、二人、三人……十五人、十六人……二十二、二十三。


 幾度となく、妹に取り込まれた〈私〉を屠り続けて己を血に浸しても、〈私〉は留め処なく湧いてくる。

 いつまで続ければいい?

 円環のような、地獄。どれだけ〈私〉を殺せば、私は私から逃げられるの?

 ここから出して。

 誰か。

 誰か。

 誰か――――たすけて……おねガイ…………










 それが幾つ目の〈私〉だったのかは、もう分からなかった。

 それを壊そうとした日、あの男が―――彼が、目の前に現れた。


 私の全身を戒める、銀の鎖。

 なんで? どうして、邪魔をするの?

 動けなきゃ、そこにいる〈私〉を殺せない。

 私を殺さなきゃ、死ななくちゃ、私、逃げられないじゃない!



 誰にも見つめて貰えない〈私〉から。

 誰にも愛して貰えない〈私〉から。

 貴方に捨てられた〈私〉から。


 どんなに裏切られても、それでもまだ―――貴方を憎みきれない……愛してしまう、愚かな〈私〉から………。



『涙を素直に流せないひとは、苦しみや悲しみを心の外に流す術を知らないから、他のひとよりずっとたくさんの辛さを抱えてしまうんだよ』

 だから泣いて、と私を抱きしめてくれたのは、貴方。

 逃れるために終わらせたい、ただそれだけの私の渇望を、貴方はきっと理解しているはず。

 前に聞かせてくれた、貴方の力の話。世界を変えることさえ出来るその力があれば、私の望みを叶えることなど、容易いでしょう?

 ……なのに何故、その力で私を戒め、封じようとしているの?

 泉のほとりに建てられた、まるで墓標のような石碑。ちょうどその場所で、水面で煌めく月光を浴びながら、私たちは逢瀬を重ねていた。

 幸せだったあの頃。

 今、そんな思い出などなかったかのように、記憶に刻まれたその場所で、永久に続くような冷たい夜の中に、貴方は私を閉じ込めようとしている。

 癒えぬと知っているはずの、心の傷。

 ならば貴方は私に、増してゆくだけのこの痛みの中に、ずっと魂を浸しておけというの?

 ―――また、裏切るのね。

 ―――また、私を捨てるのね。

「―――赦さない……」

 赦しはしない。

 全てを奪っていった、あの子を。

 そして……貴方を。


 最期の瞬間、彼を見た。

 彼は――――……



 彼は、泣いていた。



「―――レイファーナ」

 白銀の光が止み、沈黙を取り戻した石碑。その前で力尽きたように膝をつき、涙を流し、彼は恋人の名を呼ぶ。 

 ……何故、こうなってしまったのだろう。

 神の堕し児と呼ばれた彼を、初めて愛してくれた女性。

 時間を共にすることが許されなくても、心だけはずっと、彼女と共にあろうと誓っていた。だが……。

 レイファーナを封じた冷たい石のほとりには、止まってしまった彼女の時間に沿うように、静かな泉が水を湛えていた。幾度も、逢瀬を重ねる恋人たちの姿を映した水鏡には、この先もう、愛おしい彼女の姿を見ることも出来ない。



 ――――彼女が眠る、この場所を護ろう。せめて、何人にも蹂躙されぬよう。



 経ちゆく時の流れに彼女の心が癒され、石から解き放たれたとき、また再び出逢うために。

 それまで、彼女を護ろう。

 ……今度こそ。





 凍えた石碑を抱き、彼は彼女の名を呼び続けた。

 

 ――――ずっと……。





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