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トワの奏弦士  作者: 苫古。
◆第1章◆ 花とヨルの箱庭
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04. 箱庭の日常

(それは、今も変わらないけど、ね)


 薄暗い、礼拝堂の片隅。等間隔に並べた(イェン)祈光石(トルク)で簡単な炉を作り、二人で囲む。

 マーセルは口にあてたカップの陰から、隣の幼馴染を見つめた。

 今だって、ルカイスは口数が少ない。だけど、初めの頃に比べればずいぶんマシになった……と、思うようにしている。何事も前向きに考えなさいというのが、彼女の従姉妹(師匠)の教えだ。

 彼はというと、さっきから何やら難しそうな古い記録書を熱心に読み漁っている。今では使われなくなって久しい古神聖文字エンシェント・アーシャスで綴られたものらしく、残念ながら、マーセルにはその本の題名すらわからないのが口惜しい。

 じっと、本を読み耽る横顔。抜けるように白い肌は相も変わらず健在で、身長もそれほど高くないことが手伝ってか、下手をすれば綺麗な女の子に見えてしまう。

(もう少し愛想が良かったらなぁ)

 他人の目には、全ッく興味がなさそうな少年の横顔を見ていると、何だかもったいないような気がして、はがゆい思いに駆られてくる。マーセル以外に、ちゃんと友達はいるのだろうか? ……たぶん、いない。

 ぽつんと独り、古ぼけた薄暗い神殿でご飯を食べているルカの姿を思い浮かべると、いてもたってもいられないのだけど。

(―――たぶん、そんなこと言ったって無駄だろうけど)

 昔から、ルカイスはあまり自己主張しない代わりに、自分の意思を絶対に曲げない。

 突然、一緒に住んでいたゴートガード家の屋敷を出て、造りかけのこのオンボロ神殿に住みたいと言い出した時も、嵐のように猛反対するマーセルの言葉など、全く聞き入れなかった。

 このことに関しては、まだ怒っているのだ。もともと一緒に居られる時間が沢山あったわけじゃないのに。

 おかげで朝の、この時間―――マーセルが神殿(グレイス)に出仕するまでの時間にしか、会えなくなってしまった。苦肉の策で、毎朝ここへこうして弁当を携えて来ているわけだが。それだって、会える時間が少ないことには変わりない。

 こうなってくると、神殿職人の証である襟の詰まった真っ白な上衣が、細身の彼に良く似合っていることにまで腹が立ってくる。

 アップルパイをフォークで乱暴に突き刺し、マーセルはガブリと噛み付いた。貪るように読んでいた本から、ルカイスが顔を上げる。

「どうかした? マーセル」

「別にっ。何でもない」

「……そう」

 そう言いながら、彼は本とは違う方向へ不自然に視線を逸らした。赤くふくらんだままの頬でそう言われても全然説得力がないと思いつつも、後が怖いので、とりあえず納得したことにしましたというのが丸分かりだ。

 十年間も幼馴染をやっている自分を甘く見ないで欲しいと、マーセルは口を開きかけた。

 しかし、視界の隅にある物を見つけ、思わず声を上げる。

「あ!」

 マーセルは立ち上がり、少し離れた場所に置かれた作業台へ近付いた。

「これ! 新しいやつでしょ?」

 戻って来た彼女が手にしていたのは、小さな白い立像。

「きれーい。いつ出来たの?」

「今朝」

「ふーん。天使様(フュール)?」

「まあ、そんなところ」

 それは有翼人の像だった。祈るように手を組み合わせ跪いた、髪の長い女の天使。

 身に付けた薄い衣の表現といい、装飾の細やかさといい、恐ろしく繊細で美しい彫像だ。

「でも、ルカ。何でこの天使様、片方しか翼がないの?」

 マーセルは不思議そうな顔をして、乙女の翼に触れた。

「もしかして、取れちゃったとか?」

「違うよ」

「じゃあ、付けるの忘れちゃったとか」

「……そんなわけないじゃないか」

「じゃあ何で?」

「いいんだよ。これで」

「そーなの?」

「そう」

 頷きながら、ルカイスはマーセルの手から像をそっと受け取った。側にあった箱から布を一枚取り出すと、大切そうに包み込む。

「でも、良かったね。これでまた作業が進んだじゃない」

 マーセルの言葉に、まあねと素っ気なく答え、ルカイスはまた意識を本に戻す。そんな彼の様子を眺めつつ、マーセルはにっこりと笑みを浮かべた。

 ここで彼が仕事を始めて、かれこれ三年。

(ルカったら、あんな気が遠くなるほど細かい作業してたら、いつまで経っても、帰って来られないんだから)

 いつも黙々と作業をする幼馴染の姿を思い浮かべながら、憂鬱な気分で、マーセルは彼が唯一手掛けている正面の奥壁を見やった。

 そこには、他の神殿のように色鮮やかなモザイク画が貼り詰められているわけでもなく、美しいレリーフが刻まれているわけでもない。裏の岩山に貼り付くようにして建っているこの神殿は、その山肌がそのまま奥壁になるよう設計されている。

 ただ自然のままの岩の壁。そこに大小様々な穴が荒く削り掘られ、天使や神々、聖人、そして聖獣を象った小さな像が、まるで神話の一場面を再現するかのように飾り立てられていた。

 ここに来る前からもともとあった像もあれば、ルカイスが作り足した物もある。ここを代々造り続け、脈々と伝えてきた名も知れぬその先人たちから、彼はその仕事を受け継いでいるのだ。

 像の波は遥か天井まで続き、その暗がりの中、所々に(アージュ)祈光石(トルク)が備えられている。日の差さないこの空間で、決して絶ゆることのない祈光がぼんやりと緑色に揺らめく様は、なんとも幻想的だ。

 この神殿が、いつから此処にあるのかは分からない。だが、世界中探しても、こんな風変わりな礼拝堂を持つ神殿なんて他に無いんじゃないかと、マーセルは思う。

「いつになったら出来るのかなあ。ここ」

 ポツリと洩れたマーセルの独り言に、ルカイスは顔も上げずに答えた。

「さあ。でも、僕が生きているうちには、完成しないだろうね」

「は!? そうなの?」

 それは困る。

「それじゃ、ルカってば、ずっとここに居るつもりなの!?」

「……さあ」

 気のない彼の返事に、マーセルはくらりと傾いた。

 そんなこと聞いてない。長くかかっても、いつかは帰ってきてくれると思っていたのに。

 常識で考えて、小さいとはいえ神殿の装飾という大仕事を、たった一人で請け負うということ事態が異常である。しかし、それをいまいち理解しきっていないあたりが、マーセルのお姫様育ちなところだった。

 人の気も知らないでと、がっくり下ろされたマーセルの視線が、ふと、ルカイスの指で止まる。

「あ、削る時にやっちゃったんでしょ?」

「……平気だよ」

 彫刻刀による切り傷。確かに小さい傷だが、まだ乾ききっていない血のせいで、なんだかとても痛そうだ。

「いーからっ。ほら、貸して」

 マーセルは、引っ込めようとする幼馴染の手を無理やり捕まえた。両手で包み、目を閉じる。


 途端、祈るように組まれた彼女の指から、暖かな光が溢れた。


 透明な花々が咲き誇るがごとく、周辺に白い粒子が散り広がってゆく。柔らかなその光と、心地よいマーセルの手の温もりが、朝の冷気で冷えていたルカイスの指先をとかす。

「はい、もういいよ」

 マーセルが放すと、ルカイスはすぐに手を引いた。もう一度掴んで、傷を確かめようかとも思ったが止める。その指に、もう傷が無いことは分かっていた。

 これこそが、マーセルが聖地エルヴェルクの至宝・神子姫(フェルマ)に選ばれた理由。聖母神(トゥリアナ)リタ=ミリア=リアの寵愛を受けし〈白花の姫君(レイ・ファーシャ)〉と謳われる、マーセルの奇跡。癒しの御手と呼ばれる、錬祈の力だ。

 祈光石の生成や、他の術とは比べものにならない高度な治癒の力を、いとも容易く行使できる錬祈術士(グレヴ・ドーナ)は、世界広しといえど一握りにも満たない。

 マーセル自身は色々な理由から、この力があまり好きではない。ただ、こんな時には便利だと思う。こういう、自分に無頓着な幼馴染を持った場合には。

 当の幼馴染の少年は、何を考えているのか、さっきから顔を背けたまま礼も言わない。彼の態度に、マーセルは唇を尖らせた。頬でも引っ張ってやろうかと、手を伸ばしかける。

 その時、大きな鐘の音が、薄暗い礼拝の空間に反響した。

 二人同時に、頭上を仰ぐ。

 街の中に幾つかある小神殿の鐘と、丘の上にそびえ立つエルヴェルク大聖堂の鐘。一斉に響き渡るその音色が、街に始まりの刻を告げていた。

「―――そろそろ帰ったほうがいいよ。神学の時間に間に合わなくなるから。祭典(フィア)の準備とかで、忙しいんだろう?」

「うん、そうだね」

 古文書を片付け始めた少年の言葉に、マーセルはしぶしぶ頷く。

「じゃあね、ルカ。また明日」

 空の編籠を下げ、立ち上がる。いつものように笑顔を残すと、マーセルは小走りに出て行った。何か言葉を掛けることもなく、ルカイスはただ、彼女の後姿を黙って見送る。

 しばらくして、そばに置いたままだった布包みから、先ほどの像を取り出した。小さな天使像(フュール)に視線を落とし、その片翼をそっと撫でる。



 天使の顔は、今の自分の顔と同じように、曇っている。



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