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トワの奏弦士  作者: 苫古。
◆第5章◆ 白銀の奏
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03. 狂い咲く

『姉さま、姉さま、姉さま、姉さま、姉さま、姉さま、姉さま、姉さま、姉さま、姉さま、姉さま、姉さま、姉さま、姉さま、姉さま、姉さま、姉さま、姉さま、姉さま、姉さま、姉さま、姉さま、姉さま、姉さま、姉さま、姉さま、姉さま、姉さま、姉さま、姉さま、姉さま、姉さま、姉さま、姉さま、姉さま、姉さま、姉さま、姉さま、姉さま、姉さま、姉さま、姉さま、姉さま、姉さま、姉さま、姉さまぁああぁ!』



 右手で握った像の中で、壊れたように叫ぶ女の魂。

 反対の手で、ルカイスは腹の傷を押さえた。指に纏わりついた紅色に、鋭く舌を打つ。

「マーセル……」

 額の汗を拭い、呟く。

 大気に散った〈マナ〉が、異常に煩い。

 大神殿に近付くにつれ、それは酷くなるようだ。

 ……何だか、嫌な予感がする。

 焦燥に押されながら、ルカイスは神殿へと続く長い残りの階段を、全力で駆け上った。







■ □ ■ □ ■ □






 

 ―――――マーセルッ!




 誰だか分からない。

 遠くで、たぶん男が、自分の名を呼んだことしか分からなかった。



「――――ッ!」

 大きな波動に、全身が弾かれる衝撃。

 次の瞬間、吹き飛んだマーセルの身体は、〈華鏡(セイレル)〉の水面(みなも)に叩き付けられた。

 白い花が幾つも割れ、水に散る。

 全身の痛みに口を開いてしまったマーセルは、水の中で息苦しさに踠いた。必死になって泉の底に足をつき、水面から顔を出す。途端、飲んでしまった水に咽た。

華鏡姫(フェゼルマ)!」

 苦しさと苦痛に歪むマーセルの視界に入ったのは、駆け寄ろうとしてくれている神殿兵たちの姿。もう一方で、ユイシェルを取り押さえようと向かう神殿兵もある。

 だが、いずれも双方にたどり着くことは出来なかった。

 軽く片手を振るったユイシェルの前に生じた、大気の揺らぎ。周りに駆けつけた神官(ドナク)や神殿兵は皆、疾風の波により、弾かれたように吹き飛ばされた。

 壁や床に打ち付けられ、激痛にのた打つ者。

 そして――――動かなくなった者。

 眼前の信じられない光景に、マーセルは口元を覆う。

 そんな彼女に向かって、ユイシェルは壊れた笑みを浮かべた。そのまま、場違いなほど優雅な足取りで、ゆっくりと近付いてくる。

「ユイシェル? ―――――あなた、ほんとに……」

 ユイシェルなの?、と問いかけたマーセルを、水際に立ったユイシェルは、笑みを浮かべたまま薙ぎ払った。マーセルは再び、星水(セーラ)の中に引き戻される。

 再度の衝撃にマーセルは身を縮め、襲ってきた痛みに耐えた。幸いなことに、今度は水が緩衝となり、力が緩和される。

 吐き出してしまった空気を求め、マーセルは必死になってもがきながら水面を打ち破った。 

「あら、まだ早いでしょう? ラティカナ」

 水に濡れた頬に、冷たい吐息が触れる。

 瞬き、水を払って眼を開けたマーセルは驚愕した。

 ユイシェルの顔が、マーセルを見下ろす。花の笑みを、絶えず貌に浮かべたまま。その彼女は、一切濡れていない。

「う、嘘……」

 マーセルは震える声でそう呟き、後ずさった。

 それを許さないというのか、緩やかな歩みで、ユイシェルは間合いを詰めて来る。

 彼女の足跡に沿って、水面に波紋が生まれる。一歩進むごとに広がる無数の輪が、揺らめく水鏡面に、重なり合いながら模様を描いていく。

 ユイシェルは――――彼女は、水面を歩いていた。

 水を吸った衣装の重みと震えで、上手く頭と身体が動かない。近付いてくるユイシェルの視線から、眼を逸らすことが出来ない。

それでもなお、本能的に逃れようと後ろに下がるマーセルを嘲るように、朽ち葉色の少女は、その両の手で彼女の細い肩を捕らえた。







■ □ ■ □ ■ □







「放せ!」

 数人がかりで動きを抑えられ、引かれていく。アルザスはそれらの腕を振り払おうと、必死で踠いた。

〈華鏡の間〉が遠ざかる。

 中に娘を、マーセルを取り残したまま――――。

「まずは御身の安全を! 華鏡姫は必ずや、無事お助け致しますゆえ!」

 抗いを止ませようとする神官たちの声は、今のアルザスには届かない。


 あなたは、この子を幸せにしてくれるわ……――――――。


 リティシア。

 アルザスが、唯一愛した女性。

 その彼女との間に生まれた、たった一人きりの娘。

 妻が、命と引き換えに産み落とした娘が、生後数ヶ月でゴートガードの次期神子姫(フェルマ)候補に選ばれてしまったあの時。

 アルザスは、マーセルへの接し方を見失ってしまった。


 ――――幸せにすると、約束したのに。


 決して、自分たちのように、神殿(グレイス)の犠牲となる人生を歩んで欲しくはないと、二人で願った。

 ……自分は何一つ、リティシアとの約束を守っていない。

 神子姫として生きる以外の道を選ばせてやることも、〈柱〉の伴侶となる道を断ってやることも出来なかった。

 それなのに……――――。

 そんな出来損ないの父親である自分に、娘は、マーセルは常に、愛情を向けてくれた。

 罪の意識から、彼女と向き合うことが出来なかったアルザスに、いつも、ずっと……。

 口にすることも、態度で示すことも出来ない、どうしようもない男だ――――だが、



 そんな娘を―――――愛していないわけがない。



「頼む……放してくれ!」

 枯れ始めた声で、アルザスは叫ぶ。

 身を盾にしてでも、掛け替えのない娘を守ってやらなければならない、この時に。

 アルザスは己の無力さから、妻に祈ることも出来なかった。



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