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トワの奏弦士  作者: 苫古。
◆第5章◆ 白銀の奏
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02. 華の鏡

 遠い日の記憶。

 引きずられるままに身を任せたくなるようなそれを打ち消し、アルザスは伏せていた瞼を開く。




 ちょうどその時、少女は舞台へと続く階段の、最期の段を上がり終えたところだった。

 すらりとのびる、両の足。

 繊細な銀の細工で飾られた白い素足が、曇りない乳白色の石の上を、静やかに渡っていく。

 彼女はそのまま、円形舞台のさらに上の段、最上階である祭壇舞台に繋がる階段の前へと向かった。

 腕と背中の素肌を見せる薄い桃色の衣が、淡く儚げに揺れる。下ろされたままの長い髪を飾る、幾本もの細い銀鎖と、それに繋がる雫の白真珠が、彼女の歩みに合わせて銀色に鳴る。

 まろく輪郭を溶かすような祈光石の灯りの中、星屑の煌めきを纏う少女の姿は、人でなき者であるかのような神性を、見る者皆に抱かせていた。




 弦楽器が、高く爪弾かれた。

 三人の乙女―――神子姫たちの澄んだ声が、詩を紡ぎ始める。

 異なる音階、高の音色が繊細な和を織りなし、広い石造の空間と人の心を、響でもって震わせる。


 ―――女神に捧げられし、謳。


 粛々と立ち上げられていく清冽な舞台の中、花弁の衣装を纏った少女は、奏でられる音楽に身を任せ、酔いしれるように、舞う。

 しなやかな腕が空を裂く度、素足が軽やかに床を蹴る度、まるで彼女自身が一つの楽器であるかのように、衣装のあちこちを飾る小さな鈴が涼やかに響く。

 飾られた甘い栗色の髪が、軽い桃色の衣装が、共に舞を愉しむが如く、身に添い、そして、そよぎ流れる。

 緩やかな拍子から、徐々に速い拍子へ――――――さらに、速く速く…………。

 差し上げられた細い腕。連ねられた銀の鈴が、シャン、と鳴る。

 高い調子の奏が消えた。

 空を切るように振り上げられた手の甲の鈴が、涼やかな音を残し、静寂に溶け込んでいく。

 春の神子姫が礼をとると同時に、儀式の広間全体、観衆から盛大な拍手と歓声が起こった。








■ □ ■ □ ■ 








〈迎えの舞〉を無事に終えたマーセルは目を閉じ、呼吸を整えようと息を吸った。

 残るは最後の儀式、〈華鏡(セイレル)〉。

 それを終えれば、春の祭典は終焉を迎える。

 儀式が終わったら―――、


(ルカに、会いにいこう)


 肺に取り込んだ空気を吐き、蒼の双眸を開く。

 彼と話をしよう。

 出会ってからこれまで、会話だけなら数え切れぬほど幾度もしてきた。だけど、それは本当に〝会話〟と呼べるものだったろうか。

 聖地(ここ)に来る前は、どうしてたの?

 誰と一緒に暮らしてたの?

 毎日、楽しい? 

 寂しくない?

 ここが、嫌いじゃない?

 ―――こわくて、訊けなかった言葉。

 嫌われたくなかった。あの綺麗な夜の目に、拒絶の色を見たくなくて、本当は知りたかった問いも、いままで口に出来なかった。

 でも、たぶん、ちゃんと訊いて、知るべきだったんだ。

 そして、伝えるべきだった。

(だから、行かなきゃ)

 例え、ルカイスが抱いている望みをはっきりと告げられて、その結果、一緒にいられなくなってしまうかも知れなくても。それでも、彼に会おう。

 気持ちを、言葉にするために。

 なによりもあなたが大切だよ、と。

 だから、あなたを幸せに出来るなら、どんなことだってするよ、と。

 ルカイスが望むなら、神殿だって敵に回しても構わない。

 傍にいるのが私じゃなくてもいい。

 彼が笑っていてくれるなら、それでいい。

 そのために、会いに行かなくちゃいけない。

 ルカ自身の口から、彼のことを聞くために。

 本当の彼を、知るために。



 三つの階を為す円形状の舞台、その中央にある泉の淵に、マーセルはようやく辿りついた。

 金色に煌く粒子を含む、不思議な聖水―――星水(セーラ)を湛えた泉。

 花の染料で紅く染められた爪先をそっと浸せば、星を含んだ清冽な水が、柔らかく迎えてくれる。

泉の中央へゆっくりと、マーセルは身を滑らせた。散りばめられた白い花が、彼女を誘うように水面を舞う。

 胸元まで迫る泉の水。

 それを両の手で掬うと、夜空に浮かぶ月々に向けて厳かに捧げるよう、マーセルは腕を掲げ上げた。

 今宵、最も大きく闇の帳に輝くのは、第四の月、蒼銀のシャーザ=カウィール。


「―――天上(あまかみ)にたゆいし、己が光翼のひとひらを」


 マーセルの口唇が紡いだ聖句が、月光にとける。 


 ―――蒼き冠火、照らし満ちたる、白銀の御鏡

 ―――永久の奏、結い結び、己が慈愛のひとひらを


 マーセルに続き、三人の神子姫の旋律が、聖句を彩る。


 ―――其は、流れ出る蒼き御柱

 ―――聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな………


〈星杖の皇女宮〉の名を持つシャーザ=カウィールは、慈愛と守護を司る。

 セルゼニザスの聖具・祈光石(トルク)はすべて、月光に包まれる星水でしか、生み出すことが出来ない。

 エルヴェルクにおいて、最も純度の高い星水を湛えている、聖なる泉〈華鏡〉。

〈華鏡〉の祭典(セイレル・フィア)――それは、その年の祈光石練成の守護を祈願する儀式祭。

 マーセルは祈りを、星の水に込めた。

 星の煌めきを濃く宿す極上の星水と、藍の帳で最高に満ちた光を放つ、生みだされる石に祝福を与える聖なる月。

 この二つは、祈光石の精製を為すにあたって考えられる至高の組み合わせであると言えるが、その練成の難易度は、一般的な石を生みだす際のそれとは、桁を異にする。

 ―――初めて、華鏡に臨んだ三年前。

 なかなか石の姿に変化しない星水を扱いかねて、大量の錬祈の力を無駄に注ぎ過ぎてしまい、儀式を終えて舞台から下りたのちに、マーセルは過労で倒れた。

 華鏡姫になったばかりの自分に、戸惑うばかりだったあの頃。

 今だって、未熟だ。神子姫としても、人としても。

 だけど……。


 温かな光が、手の平に灯る。


 その光が柔らかさを帯び始めた瞬間に感じた、両の手の内に生まれた確かな重み。

 硝子貼りの天井を介して降り注ぐ月光に染まった指の間に、とろりと甘い白の石を見とめ、

(うまく、いった)

 マーセルはそっと、安堵と誇らしさの吐息を洩らした。



 わたしは、変わっていける。

 だから、ルカも―――――………。



 大きく息を吸った。

 続く、女神への感謝の謳を唱えようと、唇を開く。

 だが――――、




『―――邪魔なものは、消してしまえばいい』




 唐突に止んだ旋律の一つに、マーセルは首を傾げた。

 おかしいと思いつつも、儀式の途中で謳を止めるわけにはいかず、そのまま聖句を詠唱し続ける。

 しかし、やがて全ての旋律が途切れると、さすがに彼女も中断せざるを得なかった。

 騒めく儀礼場。

 何事かと振り返ったマーセルの視界に、床に蹲った秋の神子姫に歩み寄る、〈冬〉の神子姫の姿が入った。

「……ユイシェル?」

 四人の中で一番幼い(トラン)の神子姫は、気遣うように(カーマ)の神子姫の肩に触れるが、

「――――触るな」

 途端に発せられたユイシェルの低い声に、小さな冬の巫女姫は、ビクリと身体を引いた。

自分を見上げるユイシェルの瞳の底暗さに、幼い巫女姫は震えながら更に身を小さくする。彼女の怯えようを目にした夏の巫女姫も、戸惑うように一歩下がった。

 周りの神官たちもやはり、異変を感じ取ったらしい。二人の姫に駆け寄り、秋の巫女姫から引き離すように遠ざけた。

その後に、他の幾人かがユイシェルの元に駆けつけようとしているのを見止め、マーセルも泉の縁へと向かう。

「ユイシェル、どうしたの?」

 神官たちより早く辿り着いたマーセルは、膝をつき、ユイシェルの顔を覗き込んだ。

 手で肩に触れてきた少女の顔を、ユイシェルは緩慢に首を傾け、仰ぐ。

「大丈夫?」

 そう尋ねながら首を傾げたマーセルの肩の上で、解かれたままの栗色の髪が、さらりと流れた。

 血の気を失った白い貌で、黒い睫毛に飾られた翡翠の双眸だけが大きく開かれ、長い髪が筋を描いて零れていく様を、無機質に映す。


『―――長い、栗色の髪………あの子と、同じ』


「ったッ!」

 唐突に、頭を強い力で引かれ、マーセルは前方に倒れ掛った。

 何が起こったか分からぬまま、打ちつけた肘の痛みに耐えながら視線を上げる。

「ユイシェ……?」

 玲瓏とした美貌。床に倒れ込んだマーセルを見下ろす宝玉のような瞳は、無表情であるにも関わらず、そこだけが恍惚とした歓喜を宿していて……。

「―――ッ!」

 彼女の細い白皙の指で粗雑に握られた、癖のない栗色をした髪の束が、乱暴に引かれた。

 中途半端に身を起こしていたマーセルは、バランスを崩して、再び冷たい石の床に倒れ込む。

 その衝撃を受けて、神子装束の装飾や装身具が、それぞれに音を鳴らせた。

 銀の細鎖や腕輪の鈴が奏でた涼やかな音色の中、痛みを堪えるマーセルの耳に、そこはかとなく愉しげな、無邪気で禍々しいひそめき嗤いが届く。


「―――見つけた」


 それは、長年焦がれ続けた者にようやく出逢えた、歓びのような声にも似て。







『――――見つけたわ』




 ユイシェルの顔に、狂った微笑が花のように咲いた。


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