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トワの奏弦士  作者: 苫古。
◆第4章◆ 悪魔と魔法使いの演劇
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05. 病葉

姿勢()を正し、面を(そら)へ向けよ。

 その足にて、高みを臨め。

 譬え、幾多の血肉に裳の裾を穢そうとも」






 彼女は、選ばれて生まれてきた人間だった。

 翡翠の王冠の如き、艶やかな黒髪。透き通るような粉雪の肌に色付く、甘い果実のような口唇。綺羅を含んだ灰宝玉の如き双眸。

 他に追随を許さぬその美貌を、周りの者たちは褒めそやす。



 まるで、女神の娘であるかのよう。

 これぞ、生まれながらに与えられた、女神の愛の証であろう。

 まさに、我が一族の神子姫に相応しい。



 この世に生まれ出でた時より備えていた麗しさと、高い練祈の力(デュース)

 当然のように据えられた、一族の姫君としての頂点の座。

 与えられる何もかもが、特別だった。

 姿勢を正すことがなくとも天へと押し上げられ、皆の面が、下から彼女を仰ぎ見る。足で(きざはし)を踏むことなく、高みに座した。美しい肢体に纏った極上の衣裳は、穢れることを知らない。

 民が跪く上に流れる血脈に生を受けた、神の愛ぐし児たる選ばれた娘として、自らを囲むすべての者から賞賛を浴びる。

 それが、彼女の世界の、当り前だった。

 だけれど―――――………


「―――どうして! なんで、いつもあの娘だけ!」

 ユイシェルは痛む頬を押さえながら、暗い空き部屋の隅に蹲った。

『お前は、フォンダムの面汚しだ――――!』

 吐き捨てられた罵倒。

 先ほど、気紛れのようにやって来た公師(グラン)である叔父は、そう言って彼女を打った。

 何か、気に入らないことでもあったのだろう。でもどうせ、大したことではない。些細なことで自尊心を害されたと憤る、醜い叔父。

 あれでも、彼女が幼い頃は、もっと優しく接してくれていた。

 当主という地位に在りながら自身に子がなかったせいか、優れた容姿と能力を兼ね備えた姪を、ジオラルムは殊のほか可愛がっていたのだ。

 ――――三年前の、あの日までは。

 悔しさに涙が滲む。

 一面、蒼穹で埋め尽くされた、神殿の最奥宮に立たされたあの日。

 一列に並べられた、ユイシェルを含む四人の神子姫候補たちを見下ろすように、壇上に佇んでいた、乙女。

 春そのものを化現したかのような、薄紅の衣を纏った彼女の、その華色に染め抜かれた指先が、まるで祝福を齎すかのようにあの娘の額に触れた瞬間――――フォンダムの宝玉として柔布に包まれてきたユイシェルの全てが、音を響かせて叩き割られた。

 同じ年に生まれた他家の少女が、最高の玉座を与えられた。その半年後に、砕けた珠の少女は、朽ち葉色の指先による洗礼を、その額に受けた。

 紅爛の巫女姫ランジューム・フェゼルマは、秋の神子姫。

 三番目の神子姫。

 木々の枝に咲き誇る花でなく、地に落ち朽ち果てて、いずれ誰もの足に踏み躙られるだけの、末枯れた病葉(わくらば)

 なのに、あの子は春。薄紅の白に咲き誇る、華鏡の神子姫。 

 朝日の中で軽やかに風に舞う、花色の薄衣裳。あれを纏うのは、私だったはず。なのに、光の世界に進む背中を、暗い神殿の中から眩しそうに見つめなければならないのは、何故?

 白い爪先に踏み付けにされた屍のごとく、今この身に纏う衣裳が紅く染め抜かれているのは、どうして?

 いくら背を正そうとしても、押さえつけて来る幾多の手はそれを赦さず、空を仰ぎ見ることすら叶わない。どれだけ裳の裾を引き裂き、汚辱に身を浸そうとも、天上より差し降ろされた階は、彼女が片足を乗せることすら拒む。

 ユイシェル・フォンダムは、選ばれて生まれてきた人間だった。

 確かに、そうだった。

 しかし、生まれたのち、選ばれる人間ではなかった。

 類稀な美貌と、稀有な癒しの力。

 どちらも、二つとして望めるものでないことは同じなのに。

 ……あの娘と私の、何がそんなに違うというの?

「あの娘なんて……。あの娘さえいなかったら!」

 愛でられる白花と、打ち捨てられる紅の宝玉。

 あの娘さえいなければ、こんなふうに、死した木々の残骸に埋もれることもなかった。


「いなくなればいい」


 ぽつりと、乾いた唇から零れた言葉。

 人気のない、暗い部屋に落とされたはずのその音に、



 ―――そうね。……分かるわ、貴女の気持ち。



 闇色の音程が応える。

「あの娘が、いなくなってしまえば」

 ―――そう。いなくなってしまえばいい。

「あんな娘なんて、いらない」

 ―――これ以上、私から何かを奪うなんて、赦せない。

「マーセルなんて、この世から消えてしまえばいいッ!」

 ―――だったら、消してしまいましょう? 


 伸ばされる凍えた腕。

 蹲る少女の身体を魂ごと包むように、女は闇で抱きしめた。

 堕ちた生者の鼓動。それを背越しに胸元に感じながら、暗く明るい微笑を刷く。






 ―――大丈夫、簡単だもの。







 ■ □ ■ □ ■






 ―――――――――いやアァあァアァあぁああァアアあァぁぁッ!






 鼓膜を割るような、絶叫。


 「な、何? 何ですの!?」

 突然、小さな神殿の空気を引き裂いた甲高い女の悲鳴に、マリー=ベルだけでなく、全員が身を固くした。

 ただ一人、ルカイスだけが、弾かれたように背後の天使像を振り返る。

 二体の天使像。

 そのうち、悲しみにくれた乙女の像が銀色の光を放ち、啼いていた。

 ルカイスはすぐさま魔導陣を解き、像へと駆け寄る。

「……見つけたのか?」

 像を手にし、物言わぬ乙女に問い掛けるように、震えを帯びた声でそう呟いた。

 そのまま、耳を澄ますように閉じられた瞼。

 しばしの無音ののち、急に、目を見開く。


「そんな、馬鹿な……」


「は? さっきから、何を………」

 様子をいぶかしむ魔導士の言葉は、もはやルカイスの意識から完全に弾かれた。血相を変え、扉へと向けて床を蹴る。

「―――――マーセルッ!」

「お、おい? そんな怪我で、どこへ……」

「うるさい! 離せ!」

 すれ違い様に肩を摑んだウィード=セルを、ルカイスは激しく睨み上げた。

 夜色の瞳に灯った、それまでにない強い怒りに、魔導士は、思わず手を離す。

 解放された少年は、二体の像を摑んだまま、脇目も振らず飛び出して行った。




「ねぇ、ウィード=セル」

「……何だい?」

 茫然と、退場していった少年の背を見送っていた主に、銀色の従者は問う。

「あの像が、なんて言ってたのか分かる? 僕、結構長い間生きてきたけど、残念ながら、まだ人形遊びの経験はないんだよね」

「お、俺だってあるわけないだろっ。とういか、経験があっても、分かるはずないだろぉ?」

「まあ、正論かな」

「……そんなことより、どうするんだよ、これ!」

 情けない声音で嘆くウィード=セルの右手には、未だ展開されたままの魔導陣。無駄にキラキラと眩い光を放ちながら、威厳たっぷりにクルクルと回っている。

「張り切って、最高レベルのを出したのに!? 解除するのに、どれだけ手間が……」

「……その辺に、適当に解放しちゃえば?」

「何言ってるんだ! ご近所迷惑なヤツめ。魔術を扱う者として、それ相応のモラルをだなぁ……!」

「だぁ~ったら、ご自分の頭にでも、ぶつけておしまいなさいなッ!」

 ウィード=セルが持論をぶちまける前に、彼の後頭部に、マリー=ベルの靴底が炸裂した。


 



2010.11.01 加筆修正しました。

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