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トワの奏弦士  作者: 苫古。
◆第3章◆ 月と涙と壊れた鳥籠
33/57

05.白銀の残像

 森は、漆黒の帳に包まれていた。



 夜の闇に染め上げられた樹海は、故郷のそれを思い起こさせる。

 だが、周りの木々を円筒状にくり抜いたようなその場所だけは、闇の領域を切り取る蒼い月光で満たされていた。




「―――ここだね?」

「らしいよ」

「……へえ、ホントだ。べザスタが召喚した〈陣〉の片鱗が、少し残ってる」

 町から少し離れた、森の中の泉。

 それは、長い年月を経て人々から忘れさられた今でも、夜空に浮かぶ十八の月をその水鏡にそのまま閉じ込めるかのように、静かに佇んでいる。

 目的の石碑は、泉の淵で、朽ちた己の姿を月明かりに晒していた。

 中央には大きな亀裂が走り、それはそのまま、本体を地面ごと真っ二つに裂かつ。さらには、巻き付いていた蔦が燃えたらしく、表面には焼け焦げた跡も見て取れた。

 ここは、聖人の手で清められた聖なる地。古き歴史を何よりも尊ぶ。

 だが、この泉が何だったのか、この石碑が何なのか、それを記憶に留める者は、きっともう無い。

「陣を構築した後の魔力残滓を解体もせずに去るなんて、試験じゃ落第モノだな。何の術を使ったのか、確かめてくださいと言わんばかりじゃないか」

「どうでもいいけど、出来るんだったら早くしない? 誰か来たら面倒だし」

「わかってますって。さぁて!」

 深い割れ目ができた地面に、そっと手の平を押し付け、ウィード=セルは眼を閉じた。

 月の力が最も強まる息吹の月、〈后月〉。

 その夜を明日に控えた今宵、聖地と呼ばれるこの場所には、肌に痛いほどの〈マナ〉が満ちている。

 こんなにいい条件は、他にない。

 薄らと瞼が開かれると同時に、ウィード=セルの唇が詠を紡ぎ始めた。


「―――汝、広き道と十字路の女神よ、汝、御手に陽を掲げ夜を徘徊する者よ、来たれ。千変万化の月よ、我に恩寵の眼差しを向けたまえ」


 呪詞の、吟詠。

 地面から手を離したウィード=セルは、虚空を掬うように腕を差し出す。

 その瞬間、


 弾けるように、紫光の線が宙に走った。


 大気に散った何かが光の粒子となり、絡め捕られていくように彼の手の元へ集まる。

 それらは夜闇を斬るように、ウィード=セルの周りを、そして慰霊碑を覆うように半球型の複雑な文様の壁を構築していく。



 ―――〈(サークル)〉。



 正しくは〈魔導陣(ヘキサ・サークル)〉。

 魔力により集積させた〈マナ〉を代価に、いずこかの混沌とこの世とを結ぶ門たる〈魔導陣〉を召喚せしめる。そこより引き込んだ混沌の断片を、方陣に組み込んだ誓約によって縛り、一定の容にすることで使役する法。


 それこそが、〈魔術(クラフト)〉。

 千年前、禁忌として葬られた暗黒の技であり、魔導士を魔導士たらしめるもの。


 ウィード=セルの魔術によって紡ぎ直され、修復されたベザスタの魔導陣は、禍々しい光を帯びて、その姿を現した。

 その陣の名を、側で見守っていた銀髪の少年が苦々しく口にする。

「〈カルナ=ミラの円陣〉……」

「みたいだな。まったく、悪趣味極まりないない」

 半球状の陣を満たす紫光に、赤眼鏡の魔導士も顔を顰めた。

 その従者たるヒース=クラウンもまた、穢れたものを見る目つきで円陣を睨み続ける。だが、その表情が唐突に凍った。

 鋭い目で振り返った先に捉えた、鈍い光。

 すぐさま少年は、その光の軸線上に立っていた主を突き倒す。

「ぅわっ!」

 間抜けな声を上げて、無様に地面に転がったウィード=セルを庇うように、少年は立った。

 武器を手にしている間はない。ヒース=クラウンは身一つで、襲撃者の一手を受け止めようと身構えた。

 ―――しかし、

「お退きなさい、ヒース!」

 耳に慣れた、しかし、久しい声。

 低く全身に響く音とともに、ヒース=クラウンの目の前で紅蓮の炎が上がった。

 突然吹き荒れた熱風に、銀の少年は大きく飛び下がり、その身を舐めそうになった炎を紙一重でかわす。

 彼の主に向けて放たれていたらしき小刀は、爆炎に呑み込まれ一瞬で掻き消えた。

 ついでもう一つ、少し離れた場所で火柱が立つ。

 火焔に包まれ、踠き苦しむ一人の男。その服装からして神殿兵だ。小刀を放ったのはこの男だろう。

 悲鳴を上げることもなく、男は紅にとけた。ヒース=クラウンはただ黙して、氷碧の瞳に赤い揺らめきを映す。

 佇む彼の横に、親しみ深い気配が立った。視界の隅で、黒い衣裳がひらりと舞う。

「危ない所でしたわね。まーったく。いつも詰めが甘いのよ、あなたは」

「……おせっかい」

「ぬわんですってぇ!? せっかく助けてさしあげたのに、そのセリフは何ですのッ!」

 きいっ、と声を上げたのは、ヒース=クラウンにそっくりな、艶やかな金髪の少女。

「遅かったね、マリー=ベル。途中で何かあったのかい?」

 騒動の間中、地面に転がったまま事の成り行きを見守っていたウィード=セルは、少年の襟元を摑んで、ガクガクと揺さぶっているマリー=ベルに尋ねた。

 彼女はさらに目つきを凶悪にして主を一睨みしたあと、ぷいっと顔を背ける。

「なんにもありませんわ! なーんにもねッ」

 昼間の少年の言動に腹を立て、それを解消するために、屋台を巡って食い倒れていたおかげで遅くなってしまったのだが、それは秘密だ。乙女として。

「それより、さっきの男は何ですの? あなた方、神殿兵に目をつけられるようなことを仕出かしたんじゃないでしょうね?」

 昨日、自分が不用意に路地裏で魔術を行使したことを、マリー=ベルは都合よく忘れて責め立てる。

「そんなヘマするわけないじゃないかぁ」

 にっこりと笑いながら、ウィード=セルはとりあえず否定しておいた。

 昼の林檎菓子の一件など、やましいところは全く無いと言い切れば嘘になるのだが。

「んー、たとえ巡回にしても、こんな森の中まで来てるってのは変だよなぁ。俺らが聖地に入り込んだことが、バレてるのかもしれないねぇ」

「でも、もしかしたら僕たちじゃなくて、べザスタの奴が目を付けられてたのかも知れないよ?」

「あー、それもあるかもなぁ。確かにまあ、俺たちが今夜ここに来るってのがバレてたら、もっと大勢で来てたと思うしね」

「それもそうですわね。……でも、おかしいですわ。昨夜までに比べて、今朝から妙に兵の数が増えましたもの」

 おかげで動きにくいことこの上ない。

 うーん、と唸りつつ、ウィード・セルとマリー・ベルが口元に拳を当てて考え込んだ時、

「―――あ」

 思いついたように声を上げたヒース=クラウンに、二人は視線を注いだ。

 もしかして、と少年は人差し指を立てて言葉を続けた。

「昼間の騒動のせいなんじゃないの?」

「あ~、そうかもしれないなぁ」

「騒動? ってまさか、あなた方が起こしたんじゃないでしょうね!?」

「嫌だなあ、違うよ。俺達ってそんなに信用ない?」

「ありませんわ」

「そ、そうなのか……?」

 しょんぼりと肩を落とす主に、うっとおしい、と言わんばかりの視線を叩きつけたのち、銀と金の少年少女は向かい合って、話を先に進める。

「今朝さ、若い女の子が惨殺死体で見つかったんだってさ」

「乙女の惨殺死体ですって? まあ、なんて物騒な。神に護られた聖地が聞いて呆れますわ」

 ふん、とマリー=ベルが冷たく嗤った。その小さな顔には、神殿(グレイス)に対する嫌悪がありありと浮かんでいる。

 結局、この厳重警戒態勢は、その事件のせいだということで、二人は結論付けた。

 会話が終わったのを見取り、従者たちの蔑みから立ち直ったウィード・セルが、おずおずと声を掛けてくる。

「あのー……それよりさ、二人とも。もしかして、こっちのこと忘れてない?」

 ウィード=セルは両手を広げて、魔導陣を示した。

 そういえば、と呑気に返すヒース=クラウンとは異なり、マリー=ベルはその輝きのおぞましさに表情を険しくさせる。

「これは……、〈カルナ=ミラの円陣〉ですわね」

 第十の月、カルナ=ミラ。

 夜空に浮かぶ十八の月の中で〈黄泉の魔泉〉の名を冠する、紫紅色の月の名。

 この円陣に限らず、魔導陣召還の構式には、十八の月のイメージが基盤として組み込まれるのだが……。

「べザスタが、たぶん最後に召喚したものさ。下ッ手クソな陣形成式だねぇ、何に焦ってたんだか。やっぱり、神殿に侵入がバレちゃいでもしたんじゃないか?」

 見てみなよと、添削するように、ウィード=セルはところどころ欠けた部分を、順々に指差していった。

 主の魔術蘊蓄をどうでもよさそうに聞いていたヒース=クラウンだったが、一つだけ確認するように問う。

「やっぱりそれ……死者を呼び還すためのもの?」

 カルナ=ミラは、黄泉と現世の狭間にたゆたう月。いかなる死者をも呼び起こし、いかなる聖者をも常闇に沈める魔源。

 魔術の心得があるものならば、この月の名を耳にして、連想することはだた一つ。


 〝死者の復活〟

  魔導士が犯してはならぬ禁忌として、最高位に挙げられる行為。


 生命は、やがて死を迎える―――それが世の理。

 世界(トワ)の律を一部でも乱す行為は、やがて全体の崩壊を招く。よって、決して律の流れに手を触れてはならないという禁忌の観念は、魔導と練祈という相反するものの中でも、共通の倫理なのだ。

 

 べザスタは、ウィード・セルたち三人に追われ、この聖地へと逃れた。


 そこでさらに神殿の追跡に合い、絶望の際、活路を見出すために禁忌を犯したのだとすれば―――山羊を捕え損ねた、ウィード・セルたちの罪は重い。

 ヒース・クラウンが危惧するのはもっともだった。だから、そんな彼を安心させるように、ウィード=セルは首を横に振る。

「いや、大丈夫。心配するな。これは……何かの破呪? まあ、カルナ=ミラだから、死者に関わるものに間違いはないんだけど。たぶん、この石碑にはもともと何かが封印されてたんじゃないか?」

 欠けた魔導陣のあちこちを見ながら考え込むと、ウィード=セルはもう一度、手のひらを地面に押し当てた。

 目を閉じ、紫円陣の下に覆い隠された、もう一つの魔導陣を探す。

 破呪の陣に砕かれ、大気に霧散しかかったそれは、ほつれかけた細い糸のように、彼の指に掠め取られていく。

 やがて、禍々しい紫円陣は、崩れるように消えていった。

 代わりに、さっきのものより遥かに弱々しい白銀の光糸が、繊細な文様を描きながら空中へ伸びていく。

 幻のように儚い――――だが美しい、銀色の帯が再生される。

 魔導士と石碑。

 その両者を囲み、幾本もの白銀の円環が重なるように現れた。それらはゆっくりと、それぞれの方向に回転を始める。

 ヒース=クラウンとマリー=ベルは、怖れの入り混じった驚愕を、その相似した貌に浮かべた。

「―――これは……!」


 白銀の魔導陣。


 ウィード=セルも、目を細めて注視した。

「俺も……目にするのは初めてだな」


 ―――それは、神にも、闇の眷属にも、決して存在してはならぬものとして忌避される輝き。


「なんで、なんでこんなものがここに!? ここは神殿の治める地でしょう!」

「しかも何だか……すごく、古いものみたいだけど」

 ヒース=クラウンの言うと通り、おそらくは何百年も前に召喚された魔導陣だろう。

 この石碑に何かを封じるために施されたもののようだが、その存在を忘れるほどの永きに渡って機能し続けていたことは、驚嘆に値する。

 もっとも、不完全なべザスタの魔術に破られてしまう程度には、強度が薄れていたようだが。

「どーやら、とんでもなく面白いものを見つけちゃったみたいだね」

「もう、冗談じゃありませんわ! カルナ=ミラだけでも恐ろしいのに……こんなッ!」

 青ざめた顔の中で唇を震わせ、マリー・ベルは己の小さな身を搔き抱いた。







 夜の闇に映える、十八の月。


 そのどれにも合わない白銀の光は、淡く儚いながらも蒼い月光を退け、地上に立つ魔導士たちに自らの存在を示している。




 ―――――何百という月日を経た、闇夜の舞台で。




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