02. 幼馴染
(朝からはずかしー……)
ひどく変わった人達だったから、ついついジロジロと眺めてしまった。
(だって、ねぇ?)
二人のおかしな遣り取りを思い返しながら、少女は小さく笑う。
初めは、家出した良家の子息が、怪しげな旅人に拐されそうになっているのかと思い、近寄ったのだが。どうやら、勘違いだったようだ。どの撃退法を使うか、迷っているうちに気が付けて良かった。
まだ恥ずかしさで火照ったままの頬をぺしぺし叩きながら、目の前の建物を見上げた。
そこは、街のはずれの岩壁に建つ、黒く高い柵に囲まれた小さな神殿。昔はさぞかし美しかったのだろうが、今では外壁がボロボロに朽ちている。
柵と同じ、黒い鉄製の門に手を掛けたところで、ふと髪に触れた。走ったせいで乱れた前髪を直したあと、頭の上の白い飾り紐が曲がっていないことを確かめ、ほっと息を吐く。
門を開き、荒れ果てた庭園を越えると、少女は正面にある巨大な扉を少しだけ開いた。
薄暗いホールに顔だけ突っ込んで、中を見回す。他人に見られたら、泥棒と勘違いされること請け合いだ。
「あ……」
―――いた。
顔に、自然と笑みが浮かぶ。扉の隙間から華奢な身体を中へ滑り込ませると、少女は元気に、その人の方へと駆け寄った。
「おはよ! ルカ」
三脚梯子に腰掛ける人影。
少年は遥か高い位置から、少女を見下ろしてきた。抑揚に欠けた口調で、小さく応える。
「マーセル」
少女―――マーセル・ゴートガードは、少年に笑顔で手を振った。
いつものように、にこりともせず、ルカイスはゆっくり梯子から降りて来る。彼の白い上衣の腰元で、マーセルの胸元のものと同じ、黒い房飾りが揺れた。
年はマーセルと同じ十七。無造作に切った黒曜の髪に、深い夜色の瞳を持った少年。
折角、整った顔立ちをしているのに、少し長めの前髪が目元にかかっているせいで、それも台無しだ。
「はいっ、朝ごはんだよ。どーせ、また食べてないんでしょ?」
降りてきたルカイスに、マーセルは持参した編籠を差し出す。汚れた手と前掛けを叩いていた少年は、半ば押し付けられるようにそれを受け取った。
そっと蓋を開いて、甘く香る編籠の中を、恐る恐る覗く。
まず目に入ったのは、小さな白い花を散らした桃色の布。その上に、幾つかの茶色い紙包みと蜜かけの果物、紅茶の缶、チーズ、そして、こんがり焼けたアップルパイが所狭しと詰まっていた。
あまりの乙女チックさに、口元を引きつらせるルカイスを他所に、マーセルはにこにこと茶色い紙包みを指す。
「今日はサンドイッチだよ。ルカ、好きでしょ? パンもね、今日のは最高においしいよ。テーソン通りにある、ラッテル小母さんのお店のだから。あそこのパンって人気だから、すぐ売り切れちゃって、なかなか手に入らないんだよね」
「………」
「それにね、このレタスはね……って。どしたの? ルカ」
隣で編籠と自分を見比べながら苦い顔をしているルカイスに、マーセルは首を傾げた。
その表情が、急にはっと凍る。
「ルカ、レタス嫌いだったっけ!? 実は、わたしもなんだけどね?」
「いや、そういうわけじゃないけど」
「それじゃ、チーズが好きじゃなかったのね。……だから、背が」
「そうでもなくて。―――というか、余計なお世話だよ」
「もう! アップルパイが嫌いなら、前の時に言ってくれれば良かったのに。でも、折角だから食べてみて? レミナだって、美味しいって褒めてくれたし」
「だーかーらー、違うって」
パイを取り出し、切り分け始めたマーセルを止めて、ルカイスは深く溜息を吐いた。
菓子の欠片を刺したフォークを握ったまま、マーセルはきょとんと彼を見返す。
「――あのさ、マーセル」
「何?」
ルカイスは髪をかき上げながら、困ったように言った。
「別にいいって言ってるのに。毎日、ここに弁当届けなくても。……自分の立場、分かってる?」
「だって。ルカってば、放っておいたら朝食も、昼食も、夕食も、ぜーんぶ抜かしちゃうじゃない。伝説の聖人じゃないんだから、霞だけ食べてれば大丈夫なんて特技、無いでしょ? いくら仕事に夢中だからって、ずっとそんなことしてたら病気になっちゃうんだから」
仕事に没頭すると身の回りのことには一切構わず、ろくに食事も摂らないのが、この幼馴染だ。彼が身体を壊しはしないだろうかと、マーセルは気が気じゃない。
ルカイスは視線を逸らしたまま、何も言わなかった。しばらくして小さく息を吐くと、急に背を向け、側に掛けてあった手ぬぐいで手を拭き始める。
その様子を見とめて、マーセルは栗色の睫毛を少し伏せた。
「……迷惑かな?」
その言葉に、ルカイスはちらりと視線を寄越した。黒髪の帳から覗く、透明な夜色の瞳。言葉の代わりに注がれる視線が何を言いたいのかわからず、マーセルは俯いた。
「マーセル」
吐息混じりに名を呼ぶ声。顔を上げると、いつの間にか、ルカイスが目の前に立っていた。
彼は黙ったまま、手を伸ばしてきた。
自分からそうしたにも関わらず、かなり迷ってみせたあと、フォークを握ったマーセルの手をぎこちなく取る。彼女の顔を見ないまま、ルカイスは切り取られたアップルパイを口に運んだ。
菓子を頬張る少年を、マーセルは呆気に取られたまま見つめる。
「……おいしいよ」
飲み込んで早口に言うと、彼はマーセルの手を放し、再びそっぽを向いた。
そのまま歩き出すと、すぐ側にあった小さい作業台の上に、朝食の編籠を置く。代わりに小奇麗な、厚手の布を手に取った。折り畳まれた清潔な布地が、ばさりと音を立てて大きく広がった。
「ルカ?」
フォークを握り締めたまま、窺うように声を掛ける。短いの沈黙の後、ルカは背を向けたまま、それに応えた。
「食べて行くんだろ? 一緒に」
素っ気なく言いながら、布を床に広げ始める。曇っていたマーセルの表情が、みるみる笑みを咲かせる。
「うんっ」
明るい声で返し、マーセルは布を広げるのを手伝い始めた。