01. 持たざる者
◆第3章◆ 月と涙と壊れた鳥籠
あの少女が遺体で発見されたのは、早朝のことだったという。
―――おそらく、殺害されたのは昨晩。
ルカイスは唇を噛み締めた。
あのシェンナという少女の死は、自分にも責任がある。あの凄惨な悲劇を止める事ができたのは、その使命を与えられたルカだけだったはずだ。
なぜ昨夜、もっと街を見回らなかったのだろう。もしその現場に居合わせさえすれば、もしかすると……。
(―――いや。今更そんなことを言っても、もう遅い)
あの少女は命を落とし、母親は娘を永遠に失ってしまったのだから。
「ちょっと、そこの貴方!」
街はずれの古びた小神殿へと続く、いつもの道。ルカイスはぼんやりと足を進めていた。
惨殺された少女への罪悪感と、マーセルの「ごめんなさい」という呟き。
子供の頃から、似たような場面に出くわすことは何度もあった。その度に、彼女は自分を小さくして、相手に詫びる。
(君は、自分に出来る限りのことをしたじゃないか)
なのに―――何故、謝るんだ。
「ちょっと!」
マーセルがどんな思いで謝罪を口にしたのか、それは分かっている。
だけど、分かりたくない。
彼女は人を癒すという、自分とは正反対の力を持っているはずなのに。他の誰にも出来ない、他者を癒す行為を繰り返すたび、逆に彼女が傷付いているみたいだ。
こんなことで、塞ぐことはない。何度も、ルカイスは彼女に言ってきた。
それでも、無責任に希望を預けようとする他人のために、いちいち自分を傷つけるマーセルに、酷く腹が立つ。
自分が相手を傷付けることしか知らないから、こんなふうに感じるのだろうか。
……ふと、考える。
初めて人を殺めたのは、幾つの時だったろうかと。
「ねえ!」
救えはしないのに、どうにか出来るはずだと他者から期待される痛みと、壊すことしか出来ず、怖れられる痛み。
どちらの方が、より辛いのだろう?
そんなことを考えながら歩いていたものだから、
「ちょっと、って言ってるでしょう! 無視する気ですの!?」
服の裾をぐいと引かれるまで、ルカイスはその声に気が付かなかった。少し驚いて、振り返る。
「ふんっ。このわたくしの呼びかけになかなか答えないなんて、無礼にもほどがあるわ」
まだ十四かそこらだろう。見たことがないくらい可愛らしい女の子だった。
艶やかな金の髪。何より印象的なのは、長い金の睫毛に飾られた氷碧の大きな瞳。
にっこり笑えば、それこそ蕩けるように愛らしいのだろう。だが、今の彼女の表情は、氷に閉ざされだ大地に生息する野生動物でも、瞬時に凍死させることが可能なくらい凶悪だ。
周りを往く人間も、少女の天使のような容姿にまず目を留め振り返るが、その形相に驚いて目を反らし、足早に通り過ぎようとしている。
だが、ルカイスが彼女に抱いたのは、そんな感嘆の念でも驚きでもなかった。
「テーソン通りにある、パン屋の位置を訊きたいのですけど……って、何ですの?」
真顔でじっと自分の顔を覗き込んでくるルカイスを、少女は訝しむような目で睨み上げてきた。
「……君は……」
「は? ったく!! 愚図ですわね! 何が言いたいんですのっ」
ナンパは御免被りますわよッ、と憤る少女に、ルカイスは静かに問うた。
「――――君は、〝何〟?」
「!」
初対面の人間に、しかも小さな女の子に言うべきとは到底思えない酷い言葉だ。
だが、ルカイスにはそれ以上に的確な言葉を浮かべることが出来なかった。それ以外に、彼の目に映る、この少女異様さを言い表す言葉が見つからないのだ。
少女は目を見開き、一瞬だけ表情を引き攣らせたが、
「最ッ低」
恐ろしく冷たく言い放ち、ルカイスから離れて行った。
まあ、当然だろう。
少女は憤慨した足取りで、人込みの中に消えてゆく。ルカイスは目を擦り、再び彼女の後姿に目を凝らした。
「……やっぱり」
―――ない。あの少女には、見えない。
この世界に生まれて来たならば、誰もが身にしているはずのものが。
……有り得ない。
(こんなこと、あるはずがない……!)
もう一度確かめようとしたが、その後ろ姿はすでに雑踏の中に消えていた。