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トワの奏弦士  作者: 苫古。
◆第2章◆ 謳の悪夢
24/57

09. 願望と囁き

「ルカイスが来ているのですか?」



 両手を肩の高さに上げたまま、マーセルはくるりと身を回して振り返った。

 祭典(フィア)のために用意された神子衣装。その最終的な調整を行うため、布地を待針で留めようとしていた神官(ドナク)が、急に動いた神子姫(フェルマ)に、小さく悲鳴を上げた。

 慌てて膝を突こうとする若い女神官の肩に手を置き、少女はにっこり微笑んで詫びる。

「ごめんなさい。貴女のせいではないのだから、顔を上げて?」

 神子姫としての最上級の微笑。感動する神官たちを余所に、マーセルはルシアの方へ向き直る。

「今、彼は?」

 そう問う声音は、あくまで淑やかだ。

「さあ。そろそろ、アルザス様との謁見を済ませて帰る頃だとは思いますが」

 傍の椅子に腰掛け、樹皮紙に羽ペンを走らせているルシアも、神官らしい丁寧な口調で答えた。

 人目がある時は、互いにきちんと振舞うという約束だ。いつもの調子だと、神子姫であるマーセルは小言を食らってしまうし、神官に過ぎないルシアはお給料を減らされてしまう。

「……ルシア」

「何でしょうか、神子姫?」

 小首を傾げて微笑んで見せる姫君に、ルシアもニコリと笑みを返す。

「そろそろ、お茶の時間ではないかしら?」

「さっき、昼食を終えたばかりと記憶しておりますが?」

「……そうでしたね。衣装合わせのためにと思って、あまり口にしなかったから、つい」

「そうですか。そこまで祭典の準備に、御心を砕いてくださるなんて。さすがは(マベル)の称号を冠する神子姫! 教育係として、わたくしは感涙にむせんでしまいそうです。ささ、では一刻も早く衣装を―――」

「あ、えと! わたくし、せっかくだから、この衣装で部屋の外を歩いてみたいわ。その方が、ちゃんと丈に合っているかどうか確認できるでしょう?」

「まあ、待針を付けたままで行かれるおつもりですか?」

「幸い、まだ一本も留めてないの。ね?」

 急に話を振られた神官は、妙に迫力のある神子姫の笑顔に、コクコクと頷いた。

 マーセルが、顔をルシアに向け直す。非の打ち所がない姫君の仮面を面に貼り付けながらも、その蒼い瞳は懇願と期待に輝いていた。

 ルシアは、苦笑を噛み殺すように息を吐く。仕方ないわね、と思いつつもそれを表には出さぬよう、あくまで優雅に、ペンの白い羽先を部屋の扉の方へヒラリと振った。

「衣装を汚したりなさいませんよう」

 途端に、少女の表情が面白いほどの速さで、明るい本物の笑顔を咲かせた。

「では、わたくしは失礼します。皆さんも、少しお休みになって」

 スカートを広げて礼をとる神官たちにそう言い残し、マーセルは淑やかに部屋から退いた。

 回廊から、少女の静やかな足音が聞こえる。天井が高い石造りのため、思った以上に音が反響するのだ。

 姫君の小さな足が奏でる、ゆったりとした音。少し遠ざかり、聞こえなくなりそうな所まで来たとき、その調子が急に軽やかなものに変わった。

 外に響いた、空色の石床を蹴る楽しげな音に、部屋に残った神官たちが顔を見合わせる。

 そんな神官たちの様子を横目に、ルシアは込み上げてくる笑いを必死に堪えた。







■ □ ■ □ ■ □







「その分だと、アルザス様はようやくその気になってくださったようだね」

 聞き覚えのない声に、緩慢に振り向いた。

 その先には、やはり見たことのない青年。

 二十歳を少し過ぎたくらいだろうか。さらりとした黒髪に涼しげな空色の瞳。背の高い、整った顔立ちをした男だった。

「それにしても早かったなあ。夕べ、少しだけ他家の傍流の人間に話を流しただけなのに。もうウチの当主様に、誰かが催促をつけてくれたなんてね。やっぱり、業深きフォンダムあたりを選んだのが勝因か。君はどう思う? ルカイス・フィルス君」

 不敬罪を免れないような台詞を言ってのけただけでなく、自分の名を知っていた青年に対し、ルカイスは目を細めた。

 彼の警戒を読み取ってか、青年はおどけた様に肩を竦める。

「ああ、なぜ私が君を知っているのかってことかい? 君の存在を知らされている人間は限られているはずだからね。君が不審に思うのも無理はない。でも、名前くらい知っておいて欲しかったよ。もうすぐ親類になるんだから」

「あなたは……」

 青年を険のある目で見つめ返し、ルカが汗ばんだ両手を握り締めた時、

「るーかッ」

 たんっ、と床を蹴る軽やかな音の後に、ルカイスの腕に柔らかいものが巻き付いた。

 彼に気付かれないように、そっと歩いて来たのだろう。驚くルカイスの隣で、彼女は洗練された、いとも優雅な一礼を青年に贈った。

「ごきげんよう。レーナス様」

「お久しぶりです、華鏡姫(フェゼルマ)。お変わりありませんか?」

 彼の至極丁寧な返礼に、マーセルが少し拗ねたように眉を顰める。

「まあ、以前も申し上げましたわ。貴方は、姉ともいえるわたくしの大切な従姉妹の、伴侶になられる方ですよ? もう兄上も同然です。マーセルとお呼びください」

「そうでしたね。お許しください、マーセル様。おや、祭典の衣装ですね。よくお似合いですよ」

「ありがとうございます」

 はにかみ、マーセルは軽くスカートをつまんで見せた。幾重にも重ねられた、薄い桃色の衣装の裾がふわりと踊る。

 無邪気な神子姫と対しながら、優しい好青年の笑みを浮かべるレーナスに、さき程までの皮肉気な雰囲気は見られなかった。

 ルカイスは、胸の底から息を吐く。

 どうやら、この青年はあの『マーセルの従姉妹(ルシア)』の婚約者らしい。ならば、自分のことを知っていても、おかしくはない。  

 そう考えながら、ふと、ルカイスは自分の腕にマーセルの手が触れたままなのを思い出し、身を硬くした。

 それに気が付いたらしい彼女が、彼を不思議そうに見上げる。

 春の花弁を纏ったかのような細い身体。それが動く度に、首や肩に掛けられた細やかな装飾品が銀の音色を立てる。

 覗き込むようなマーセルの視線から、ルカイスは逃げるように顔を逸らした。

「どしたの? ルカ」

「別に」

「そう? 何かヘンだよ。……もしかして、父様に何か言われたの?」

「何でもないよ」

 目を逸らしたまま、嘘を吐いた。

 こんな嘘を吐いても、どうせすぐにばれる。でも、どうしても、彼女に自分から伝える気には、到底なれなかった。

「だったらいいんだけど」

 ほっとしたように、マーセルが微笑みを零す。

 見慣れたはずの笑顔だ。それでも、眩しいものを見たかのように、ルカイスは思わず目を細めた。


「―――良かったね。もうすぐ手に入る」


 見透かすように囁かれた言葉に、ルカイスは背筋を震わせ、顔を向けた。

 表向きは好意的な、しかし、どこか得体の知れない微笑を絶やさない青年。ルカイスは底なしの夜色の目で、それ見やる。

 これまで何度も見てきた、眼。今、レーナスが自分に向けているような視線を、ルカイスは良く知っていた。この色を宿した眼を彼に向ける人間が内に抱くのは、大であれ小であれ、同じ情念。

「あなたの望みは、何だというのですか」

 その声音は静かで透明だったが、レーナスに対する怒りが明確に込められていた。

(……珍しい。ずいぶんと御立腹だな)

 これまで幾度か、目の前の少年にたいする監視の任を任されたこともある。彼は、基本的に感情を動かさない大人しい気性をしていたはず。だがどうやら、それも物事の対象によっては均一である訳ではないようだ。

 ふ、と息を抜かし、レーナスは少年の隣に立つ少女をちらりと見る。

 姫君は困ったように、彼を見つめ返してきた。自分の幼馴染とレーナスとの間に流れる危なげな空気に、少々戸惑っているようだ。

 そんな彼女に向けて―――しかし心の内では彼女の幼馴染に向けて、柔らかい笑みを滲ませる。


 レーナスは知っている。


 ルカイスはレーナスを恨む一方で、きっと自分自身を責めるのだろう。

 この少女を不幸にしてしまうのは、それでもやはり自分のせいなのだと。


 居場所を欲した、自らの欲の為なのだと。



「君と同じだよ」

 レーナスは、ルカイスが求めた答えを口にした。

 少年の眉間が訝しげに寄せられる。

「何が……」

「そして、君と同じようにはなりたくない。これが私の望みだ。もういいかな、〈柱の君〉?」

 そう呼ばれ、ルカイスの眦が跳ね上がるように吊り上がった。

 それを横目に、マーセルが首を傾げる。

「〈柱〉? なに、それ?」

 無邪気に少年の袖を引こうとした彼女へ向け、レーナスがはぐらかすように問いを投げた。

「マーセル様、祭典の準備の方はよろしいのですか?」

 彼の言葉に、あ、と表情を揺らした神子姫は頬を軽く染め、照れながら答える。

「ちょっとだけ抜け出して来たんです」

「……だったら、早く戻った方がいいよ。僕も、もう帰るから」

 そう言うなり、ルカイスがマーセルの手を腕から解いた。

「え? もう帰っちゃうの?」

「うん。――――では、失礼します」

 少年はレーナスに軽く一礼をし、すたすたと回廊を歩き始める。マーセルはあわてて従姉妹の婚約者に別れを告げ、幼馴染の跡を追いかけた。

 彼らの後ろ姿を、にこやかに見送る。


「そう、僕は君みたいに諦めたりはしない」


 空色の目を細め、レーナスは己が身に纏う青い神官衣を見下ろした。

 刻み付けるように、心の内で呟く。




 自らの望みを、絶対に諦めたりはしない――――――――――。



レーナスさん、私の中では結構お気に入りキャラだったりです。そのうち、ルカより出張りだしたりして……。


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