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トワの奏弦士  作者: 苫古。
◆第2章◆ 謳の悪夢
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05. 目覚めの言葉

 朝の冷気で凍った鉄柵にもたれ、マーセルは痛いほど波打つ胸を押さえて、呼吸が落ち着くのを待った。

 頬を濡らす涙を拭いながら、胸の辺りを凍てつかせる黒い塊を吐き出すように、大きく息を吐く。

(目、赤くなってないといいけど……)

 ルカに、変な心配をかけたくない。

 そう思ったあと、マーセルは少し考えて、小さく自嘲の笑みを浮かべた。


(ルカがわたしの心配なんて……)


 してくれるのだろうか? 

 もしかしたら彼はマーセルのことを、ただ疎ましく思っているだけかもしれないのに。

 そう―――父のように。

 そこまで考えて、マーセルは力なく頭を振った。


 そんなふうに考えてはいけない。

 ルカまで疑うのなら、誰を信じればいいのか。

 

 それに、ルカのことを大切に思っている自分の心だけは、確かなのだから。

 

 ……そう。だから、それだけでいい。


「よし、っと!」

 マーセルは両手で自分の頬を叩いた。

 空気の冷たさで赤く染まっていた頬に、いつもより痛みが強く響いた。






 ■ □ ■ □ ■






 幼い頃、自分自身の夢を見た経験がほとんどない。


 夢見るのはいつも、他人の悪夢(ユメ)




 力を抑える術を知らない未熟な器に、他人の〈残滓〉は毎夜寄りたかり、彼ら自身が与えられた苦痛を、悲しみを―――そして死を、彼に幾度となく垣間見せた。



 夢の中で逃げ惑う自分。


 穢される自分。


 無残に命を奪われる自分。



 怖いと泣き叫んでも、誰も助けてくれない。黒い恐怖が、夢の幕開けと共に幼い彼をおとなう。

 夢を見るのが大嫌いだった。

 だが、同じくらい、目覚めることも恐ろしかった。

 決して優しくはない彼の世界は、目覚めた彼を迎えても、まるで悪夢の延長にあるかのように彼を傷つける。夢からはいつか抜け出せるが、現実は常に、彼に寄り添う。

 彼自身が生み出した血の海という、現実の悪夢。

 赤に塗れた自分の手を取り、優しく夢から揺り起こしてくれる存在など、無い。

 そう、思っていた。

 ―――だけど……。


「おはよう、ルカ」


 そう言って、彼女は彼の両手を握る。

 ―――何がそんなに嬉しいのだろう。頬に朱色をのせて、彼女は微笑う。

 それを見る度、温かな痺れで胸が痛むのはどうしてだろう。


(あぁ……いけないのに)

 何故いつも、思わず零れそうになった涙を堪えているのだろう。


(僕に触れてはいけない)


 柔らかで脆く、小さい両手。

 いつか僕は、君を壊してしまうかもしれないのに。







■ □ ■ □ ■







 大きな声で朝の挨拶をしかけたマーセルは、慌てて口を塞いだ。静かに近寄って、まじまじとそれを覗き込む。

(わ~、珍しい)

 いつもは早起きなのに。

 なんだかいいものを見つけたような気がして、そっと笑う。



 造りかけの礼拝堂の中、奥壁の前で毛布に包まって転がり、ルカイスは眠っていた。

 そばに工具と、作りかけの小立像が置きっ放しになっている。形はまだ荒いが、背に翼らしきものがあるので、昨日の像とペアなのかもしれない。

 寝顔にいつもの無愛想さは微塵もなく、閉じられた瞼の縁を飾る長い睫毛や、毛布の温かさでほんのり染まった頬は、あどけない可愛らしささえ感じさせる。

(なんて綺麗な顔してるんだろ……ホント) 

 女神リタ=ミリア=リアは、この世の全ての人間に対して平等の愛を与えてくださるはずだが、これはどう考えても贔屓だ。

 マーセルは自分の鼻を撫でた。ちょっと低めのこの鼻を、実は結構気にしていたりするのだ。それに、昔から「可愛らしいお嬢さんね」と言われたことはあるが、「綺麗なお嬢さんね」と言われたことはない。

 隣にそっと腰を下ろし、マーセルはルカイスの寝顔に見入った。こうしてぼんやり眺めていると、子供の頃のことを思い出して、何だかおかしくなる。

(昔もよく、こんなふうにルカの寝顔を眺めたっけ)

 夕方、神殿(グレイス)の勤めから帰ると、マーセルは真っ先に庭へ走った。茜色に染まった緑深い庭の木陰で、本を広げたまま眠っているルカイスを迎えに行くために。

「ルカ、るーかーっ」

 そろそろ起こさねばと我に返ったマーセルは、彼を毛布ごとグラグラ揺り動かしてみた。

 しかし、いくら呼びかけても何の反応も返って来ない。

 規則正しく聞こえ続ける安らかな寝息に、やっぱりね、とマーセルは腕を組んだ。ふふん、と鼻を鳴らして、毛布の芋虫状態になった幼馴染を半眼で見据える。

 ルカイスは一度寝入ったら、なかなか目を覚まさない。近寄っても、いくら声をかけても起きないので、よくこうして長い間、寝顔を眺め続ける羽目になった。おかげで夕食に遅れてしまい、何度レミナに叱られたことか。

 まあ、大人しく他人の寝顔を観察し続けていたマーセルもマーセルなのだが。

「ったくもう! 時間無くなっちゃうでしょーーッ」 

 彼の全身に巻き付いた毛布を剥がそうと奮闘したが、上手くいかない。息切れで肩を上下させつつ眉を釣り上げる少女とは反対に、夢にまどろむ少年の寝顔は至極平和そうだ。

「ふんっ、いいもんね。そっちがその気なら、久々に必殺技を使っちゃうから」

 意識のないルカイスにはその気も何もないのだが、そんなことは預かり知らない。

 軽く乱れた呼吸の下で、マーセルはにやりと嗤った。


 この必殺目覚まし奥義を見出したのは、ただの偶然。

 あの時幼い彼女は、その寝顔があることが嬉しくてたまらなくて、つい……。

(―――でも、これやると凄い勢いで起きるのよね。何故か)

 効き目抜群だとはいえ、ちょっと失礼なんじゃないかと心内でボヤく。

 

 

 

 マーセルは身を屈め、あの頃のように、そっとルカの頬に口付けを落とした。



 「――――ッ!」



 いつものように面白いくらい勢い良く、ルカイスが目を覚ました。

 どうやら、よほど驚いたらしい。目を見開いて上半身を起こしたが、屈み込んでいたマーセルと顔がぶつかりそうになり、慌てて身を引いた。

 そんな幼馴染の様子を見て、マーセルは弾けるように笑う。

「やーっぱり起きたっ」

「ちょっと、マーセル!」

「ごめん、ごめん。だってルカってば、ぜんぜん起きないんだもん」 

 渋い顔で嗜めようとするルカイスに、マーセルは目に笑い涙を浮かべながら謝った。

 いつからか、幼馴染の少年が少し遠くなってしまったと感じていた。けれど、あの頃と変わらない部分を見ると、なんだかほっとして嬉しくなる。

「ルカ」

「……何?」

 ぶつぶつと文句を言いつつ起き上がろうとした彼の両手を握った。はっと見上げてきたルカイスに、マーセルは微笑う。


「おはよう」


 マーセルを映した、夜色の双眸が揺れた。

 ルカイスの口が何か言いたげに、微かに開く。だが、その唇が音を紡ぐことはない。




 結局、視線を逸らしただけで、彼は何も口にしなかった。



ルカ、久しぶりー。



【お礼】

 拍手をくださった皆様! ありがとうございましたーーーっ☆

 拙い文章にも関わらず、いつも読んで頂いて感謝です。


 もっと話が進んで、登場人物たちが落ち着いてくれたら、小話とかも書いてみたいと思っておりますので宜しくお願いします。

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