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トワの奏弦士  作者: 苫古。
◆第2章◆ 謳の悪夢
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03. 温かな手の平

 近頃、よく夢を見る。





 何を見ていたかは、あまり覚えていない。ただ、それが間違いなく悪夢だったという感触だけは残っている。

 ――――だが、一つだけ。


(今日も、泣いてた)


 髪の長い、小さな女の子。いつも夢見るのは、彼女が悲しみ、人に隠れて泣いている姿。

 見知らぬ少女なのに、なぜ、繰り返しマーセルの夢に訪れるのだろう。

 

 この夢を見始めてからだろうか。急に居眠りしたり、白昼夢を見てしまうことが多い。かと思うと、夜は何故か、確かに眠っているはずなのに、眠ったような気がしない。

(こんなこと、他の人には言えないし……)

 言えば大騒ぎだ。


 ―――精神の病に蝕まれた、と。


 在りもしないものを目にし、声を耳にすることは〈狂気〉の始まりであると、神官(ドナク)たちの間では古くから怖れられている。

 実際、歴代の神子姫(フェルマ)の中にも、精神の病を負ってしまった者が少なからずいるらしい。体力的にも辛いし、何より、一族からの期待という重圧を一身に受ける身だ。そういうことも、あるのかもしれない。




 マーセルはいつもより重い身体を引きずるように寝台から下ろすと、清潔な水を張った洗面台で顔を洗い、気怠さを流し落とした。それからいつものように大きな鏡台の前へ腰かけ、腰に届く長い栗色の髪を丁寧に梳かす。

 自分の容姿の中で、唯一の自慢といって良い、母譲りの色をした髪。縺れ一つなく指の間をサラサラと滑るのを念入りに確かめて、マーセルはニッコリと微笑んだ――――が、しかし。

「あ」

 鏡越しに、窓の外が薄らと白みがかって来ているのを見て、慌てて立ち上がる。その拍子に鏡台に思い切り足をぶつけてしまった。

「い、いたい」

 だが、痛がっている時間はない。青痣になること間違いなしだと堪えつつ、壁際に具えられた衣装棚を開いた。

 ズラリと並んだ、神殿(グレイス)用の装束と名家令嬢に相応しい衣裳。世の乙女ならば、黄色い歓声を上げて喜ぶ、いかにもな品ぞろえだ。だが、色の洪水を為しているそれらには手を付けず、マーセルは町の若い娘たちが着ているような、ごく普通の服を取り出した。

「今日は、これにしよっと」

 襟の詰まった黒い上衣の上に、深緑色の衣を纏う。さらりと素足を流れた長いスカートを整え、胸の下で切り替えしになった帯を形良く結んだ。

 手早く黒の紐で髪を結い、椅子に掛けておいた外套(マント)を手にして部屋を出る。

 春に入り、暖かくなったとはいえ、まだまだ早朝は空気が冷たい。

 階段をいくつか駆け下り、屋敷の一階にある最奥の部屋の扉を開く。


「おはよう!」

「おはようございます。お嬢様」


 まだ朝日も登り切っていないのに、厨房では何人もの使用人たちが仕事を始めていた。

 だが、その中で挨拶を返してくれたのは、ただ一人きり。

 他の使用人たちはマーセルの姿を見止めるなり手を止め、一斉に、まるで神殿で祈る時のように跪いた。 マーセルは困ったように微笑む。

「今朝は、ちょっと寒いね」

「そうですね。では、身体が温まるレム茶を持って行かれてはいかがです?」

「うん、そうする」

 マーセルの外套を受け取りながら、侍女頭のレミナが、用意しますね、と言って微笑んだ。

 彼女はマーセルの父が生まれた頃から、ゴートガード家に奉公している古参の使用人。母親を知らないマーセルにとって、その代わりともいえる女性だった。

 ルカイスが家を出てしまったので、毎日食事を届けると言い出したマーセルに、料理の仕方や街の中での常識を教えてくれたのはレミナだ。マーセルが持っているこの普段着も、彼女が仕入れてくれた物。

 正直、レミナが居なければ、世間からほとんど切り離されて育ったマーセルが、毎朝ルカの所へ通うことは出来なかっただろう。




「―――よしっ、と。出来たッ」


 最後の一枚を重ね、崩れないよう上手く切り分けたクレープケーキを前にして歓声を上げたマーセルに、レミナは目を細める。

「お嬢様、ずいぶんと上達なさいましたね」

「そーでしょ!? 錬祈(グレヴ)の鍛錬なんかより、気合入れて頑張ったもの」

 胸を張ったこの言葉を聞けば、神殿の神官たちは、嘆きのあまり女神(トゥリアナ)のもとへ召されてしまうかもしれない。

 そんな二人の無邪気な遣り取りに、他の使用人たちは気不味げな視線を交わし合う。

 主家の令嬢とはいえ、マーセルは聖セルゼニザスの神子姫―――しかも、最も神格の高い〈華鏡の神子姫(セイレル・フェゼルマ)〉。

 言葉を交わすことすら恐れ多いと考える彼らには、母代わりの存在とはいえ、レミナの態度は図々しいと映るのだ。

「さあさ、お嬢さま、時間が無くなってしまいますわ。早く身支度なさいませ」

「あ、そうだね」

 マーセルは急いで外套を羽織った。いそいそと持って行くものをテーブルの上に集め、レミナが出してくれたいつもの籐籠へ丁寧に詰めていく。蓋を閉じて、把手を腕に掛ければ準備は完了だ。

「じゃあ、行ってきまーす」

「あ、お待ちください、お嬢さま」

 裏口の戸に手を掛けたまま振り返ったマーセルに、レミナはカップを差し出す。首を傾げながら、マーセルはそれを受け取った。

「薬湯です。飲みやすいように少し冷ましておきました。これを召し上がってからお出かけください」

「え、うん。わかった―――だけど、わたし別に風邪とか引いてないよ?」

 そう言いつつ、不思議そうにカップを覗くマーセルの頬に手を当てて、レミナは心配そうに眉を寄せた。

「最近、顔色があまり良くありませんよ? 朝は特に。祭典の準備や鍛錬で、お忙しいのでしょうが……あまり、無理をなさらないでくださいね」

 

 手に温かなカップ。柔らかな湯気の向こうで優しく笑む、大好きな侍女頭。




「――ありがとっ、レミナッ!」



 たまらなく嬉しくて思わず抱きつき、マーセルは皺だらけのレミナの頬に口付けた。



侍女(メイド)頭のレミナさん(推定年齢56)。マーセルの料理師匠であり、作品実験台になっている女性。

 最近はマシになってきたけれど、マーセルが料理を始めた初期は、かなり酷い目にあっていた模様……。「お嬢様、ずいぶんと上達なさいましたね」の台詞に、実感込めて読んでやってくださいませ。



【お礼】


 拍手をくださった皆々様方々~~~~ッ♪♪♪ 愛してま……げふッゴフッ!!! 感謝しております。そらもー、あの青い空に飛び立ってしまいそうなほどに☆


 今週は、もう一度更新できたらなあと頑張っております。宜しければ、ぜひぜひ見に来てやってくださいまし。 ……あと2回くらいで、ルカイスも出てくるはず!?





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