お爺ちゃんとの約束事
プールから帰って来てから五日後の土曜日、佳織さんが俺の家に来た。スマホでの連絡は毎日していたが、会う約束はあくまで土日だけだ。
その間は受験生らしく二学期の予習をしたり、本屋から問題集を買って来たりして、それをこなした。(「たり」は重ねて使う)
土曜日は、自由に出来る日だけど、外は思い切り熱い日差しが照り付けている。仕方なしに俺の家に居るが、趣味もない俺は、二人でいても共通の話題に欠ける。
でも佳織さんは、何も話さなくても俺の傍に居るだけで良いと言う。ただ、座って俺に寄り添って自分が持って来ている本を読んでいるだけだ。
「佳織さん、散歩でもしますかと言いたいのだけど、外は暑いし、映画とか特に見たいものあります?」
「無いです。こうして居ればいいです」
俺の部屋でエアコンを掛けながら、ただぼんやりと本を読んでいる。佳織さんも同じだ。
でもその内、居眠りを始めた。俺に寄りかかる様にしている。ブラウスの緩い胸元が開いて、白い肌と大切な体を覆い隠す、真っ白なブラが見えている。
意図的に見せているのか知らないが、俺もこういう状況は精神的にちょっときつい。ゆっくりと彼女の体を立て直しながら倒れない様にすると
「祐也さん、何も遠慮する事はありません。むしろ私はそうして欲しいです」
「…もう少し待って下さい。はっきりと俺がそう出来ると確信が持てるまで」
「待っています。でも前の様な言葉は言わないで下さいね」
多分、川べりを歩いて〇ックに入った時の言葉だろう。あれは冗談だったが言い過ぎたと反省している。
「大丈夫です」
「信じています。でも、これなら良いですよね」
彼女は俺の唇に自分のとても柔らかい唇を付けて来た。既成事実の中でも俺も慣れてしまったらしい。抵抗なく、ゆっくりと彼女の背中に手を回しながらそのままにさせた。
どの位経ったのか。彼女の方から放すと
「ふふっ、嬉しいです」
それからもう一度して、
「祐也さん、やはり外に出かけましょう。このままでは私が限界に来てしまいます」
俺も危なかった。
そんな時間を過ごしている間にお父さんの墓参りの日がやって来た。俺は二日分の着替えをスポーツバッグに入れて肩に掛けると手にお爺ちゃん達のお土産を持ってお母さんと一緒に家を出た。
電車に乗って一時間と少し、着いた駅からタクシーに乗って十五分位でお父さんの実家に着く。
お母さんが連絡して有ったのか、去年と同じ様にお爺ちゃんとお婆ちゃんそれに仕えの人がお爺ちゃん達の後ろに三人程立っていた。
タクシーが停まって外に出ると
「祐也か、一年ぶりだな。ほう、顔つきが少し変わったか?」
「そんな事ないと思うけど」
「お義父様、お義母様、お久し振りです」
「和香子さん。久しぶり。さっ、中に入って」
「はい」
門を通るといつ見ても大きな庭がある。それを通って、母屋の玄関に入ると上がり間に衝立が置いてある。
それを避けてそのまま廊下を十メートル位進んで右に在る部屋、そこに仏壇が置いてある。中務家代々の写真が壁の上の方に並んでいる。お父さんは一番最後だ。お父さんの写真に写る顔を見ながら、来たよと心の中で言った。でもお父さんは何も言わない。当たり前だけど。
お爺ちゃんとお婆ちゃんが線香をあげて、次にお母さんと俺があげた。俺は、お父さんの写真に手を合わせながら
お父さん、一年ぶりです。元気にしていました。お爺ちゃんとお婆ちゃんに俺が決めた事言うけどそれで良いよね。
心の中でお父さんに言いながらお線香をあげて手を合わせた。
四人で居間に行って大きな和膳に座るとお母さんとお婆ちゃんが台所に行って冷たいお茶と和菓子を持って来た。
それが和膳の上に置かれてお母さんとお婆ちゃんが座るとお爺ちゃんが
「祐也、藤原の娘さんとは上手く行っているか?」
「うん、お爺ちゃん、その事で話がしたいんだけど」
「そうか、今日はゆっくりして、明日頼道の墓参りが終わったと聞こうか」
「お願いします」
その日は、俺の学校の事や友達の事をお爺ちゃん達に話した。勉強も成績が上がって、国立を目指せると言ったら、とても喜んでくれた。
翌日は、朝起きて朝食を摂ってからお父さんが眠る中務家代々の墓に行った。毎年来ているが、今年は少し心持が違う。手に持っている線香に火をつけてから、バケツに水を汲んで墓の傍に行った。
お爺ちゃん達がいつも世話をしてくれているのだろう。墓は綺麗に掃除されていた。お母さんが手に持っている花を花活けに差してから、お爺ちゃん、お婆ちゃん、お母さん、俺の順で線香をあげて手を合わせた。
昨日母屋の仏壇で言った事をもう一度、お父さんとご先祖様の前で心の中で言った後、墓から離れた。
母屋に戻ると洗面所で手を洗ってから、居間に行った。そして
「お爺ちゃん、話したい事が有る」
「言ってみなさい」
「俺は、大学を卒業してからお爺ちゃん達の養子になる」
「……………」
「そして藤原佳織さんを妻として迎えます。但し彼女は中務の養女としてではなく、藤原姓のままで」
「……………」
「俺が中務の養子になったら、お母さんもここに一緒に住まわせたい」
「……………」
「それと…鷹司の家を支えてあげたい」
「えっ?!」
祐也どういうつもり?
「言いたい事はそれだけか」
「はい」
「祐也が中務の養子になってくれる事はとても嬉しい事だ。よく決断した。しかし、藤原の娘は養女として迎える。
祐也、もしお前があの子を藤原姓のまま迎えたら、あの子はお前の妻としての立場になるだけだ。
中務としてはその目でしか藤原家を見れない。単なる縁戚だ。しかし、養女として迎えるという事は、中務の資産を分与相続出来る権利を持つという事だ。この意味が分かるか?」
そういう事だったのか。佳織さんが幼い頃から中務の養女になると言われ続けて来たのは。
「もし、祐也だけであったら、中務の全ての資産は祐也の物となる。考えたくも無い事だが、もし、祐也が頼道の様になったら、中務の資産は相続者がいない事で全て国庫に入ってしまう。
それは中務の崩壊を意味する。分かるな。だから藤原の娘を養女にし、お前と婚姻を結ばせる事で絶対的に強固な関係を藤原家と結ぶという事だ」
「……………」
俺は、佳織さんとの事は、俺が中務の養子になって彼女と結婚すれば、藤原家を支えられると思っていた。
だけど、それでは俺が死んでも、あくまで佳織さんは俺の妻として相続するだけだ。その考えは幼稚でありあまりにも遅すぎるという事か。そしてそれは藤原家を支えるレベルではないという事だ。藤原家を支えるとはそういう事なのか。
「どうだ。分かってくれたか」
「はい」
「鷹司の事だが、儂はあの家に興味も何もない。あの家が消えても儂には何も関係ない」
「……………」
やはり甘かったか。
「しかしだ。裕也が儂の後を継いで中務の統領となった後は、…お前の好きにすれば良い」
「それでは、鷹司の家が消えてしまうかも知れません」
「知った事か。確かに藤原の分流で有る事には間違いないが、中務も葛城の家も鷹司家とは何も関係ない。
あるとすれば藤原家がどう思っているかだ。つまり藤原の娘がどう思っているかだ」
佳織さんが鷹司の家を支援するとは思えない。俺が中務の統領になるまで鷹司家は持つのだろうか?
「さて、祐也。和香子さんの件だが、本人されよければ私達にはなんの異存もない。むしろ婆さんが喜ぶだろう。なあ、婆さん」
「はい、和香子さんは元々は頼道の妻。結婚した時はこの家に住んでいた人。戻るとなれば喜び以外に何もありません」
「そういう事だ。だが和香子さんの気持ちはどうなんだ?」
やはりここまで話が進んでしまったか。
「私は…」
「お母さん。お母さんのお兄さん、葛城の当主とも話します。お母さんはここに居て欲しい。勿論、俺が大学を卒業するまでは今のままだけど」
「祐也、その返事は後にさせて」
あれ程までに頑なに縁戚との連絡を絶って、私の実家と、夫の実家からも疎遠にしていた私が、この家に戻る事は許されない。裕也が、中務の養子になっても私は一人で生きるつもりでいたのに。
「お母さん。俺はお母さんの幸せを最優先にする。お母さんが幸せになって貰えなければこの話は全て無かった事にする」
「どうだ。和香子さん、もう過去の事は過去の事。頼道と結婚した時の様にここに戻って来てくれないか」
「少しだけ考えさせて下さい」
「分かった」
「さて、もうお昼だわ。和香子さん手伝って」
「はい」
お母さんとお婆ちゃんが台所に立った後もお爺ちゃんと俺が養子に入った後の事を話した。
俺にはとても広く深く大きな世界が待っている事だけは理解出来た。そしてそれをお爺ちゃんが生きている間に受け継ぎ掌握しなければいけない事も。
それに比べれば、佳織さんの事で悩んでいた自分がどれだけ小さかった事か分かった。もう腹をくくるか。
前日は、お爺ちゃん、お婆ちゃんそしてお母さんとあれからも色々話した。そして決めた事。
―俺が中務の養子になり中務祐也になるのは、二十才の誕生日。
―佳織さんを養女にするのは彼女が二十二才の誕生日。
―お母さんと俺は大学を卒業するまで今の生活のままでいられる事。
―佳織さんを妻として迎えるのは彼女が養女になった翌日とする。
―俺が大学を卒業して中務の家に入る時、お母さんも一緒に中務の家で暮らす事。でも姓は葛城のままとする。
―藤原の家には政経の面で支援を行う事。
―葛城の家とは今後共に強力に共存する事。
―俺は大学卒業後、直ぐに中務の副統領として、お爺ちゃんの執務を補助しながら覚えていく事。
―鷹司の家の事は俺に一任する。
その他これに関わる些末な事は、後に処理する事等をお爺ちゃんと約束した。そしてこれらの事の内、藤原家に関する事は八月中に伝えられることになった。
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