5話
「幻滅なんてするはずがありません! どれだけ長い年月、推しさまを応援し続けてきたと思っているのですか? それこそ、美少女と見間違えるほど線の細い美少年だった頃から、侮辱する上級生たちに飛びかかるほど苛烈な頃から、応援しているのです!!」
憂いていた推しさまの目は驚きに見開かれ、真っ直ぐに私を見つめられます。
そう、あれは雪の降る季節――
私が侍女見習いとして王宮で働き始めた頃、庭園で雪の精霊かと見紛うほどに美しい少年を見つけたのでございます。
近衛騎士の見習いとしてやってきた少年は、目立つ容姿に加えて下位貴族という身分の低さから、上位貴族の見習いたちに疎まれ、難癖を付けられているところでした。
名も知らぬ貧乏貴族だの、金で爵位を買った成金商人だの、挙げ句の果てにその美貌で上官をたらし込んだのなどと、言いたい放題に貶されていたのです。
少年は体格も大きく違う上級生に飛びかかり胸ぐらを掴むと、家名にも家族にも騎士になることにも誇りを持っていると告げ、実力を示すと言って決闘を叩き付けたのでございます。
それは家族や誇りを守るため、侮辱されたことをすべて覆し、謝罪させるためでございました。
少女と見間違えそうなほど線の細い少年ですから、私は早く止めなければと焦ったのです――が、次の瞬間には己の二倍ほどある大男を倒していました。
もちろん、勝負全てが無傷ということはありません。軽い身体が押し負けて弾き飛ばされても、少年は挫けることなく立ち上がり続けたのです。
そして、最終的には全員を打ち負かし、勝利されたのでございます。
そのお姿に、私は目を、心を奪われてしまいました。
なんと尊い。白い雪に赤い唾を吐き、鼻血を拭う、幼くも気高い美しき少年。
そこに私は、ご先祖が心酔した騎士王の面影を見たのです。
――私の眼に鮮烈なまでに映ったお姿は、生涯忘れようもありません。
「誰がなんと言おうと誇り高く、諦めることなく立ち向かう、信念をもって突き進む。そんなあなたさまに魅せられて、私は虜になってしまったのです! その時から、あなたさまは私の推しさまなのです!!」
私にとって唯一無二の尊い推しさまであることは曲げられぬ、揺るがぬ事実でございます。
ここは推す者として、推しさまがどれだけ特別なお方なのか、ご理解いただけるまで何度でも申し上げますから。
「苛烈なお姿も、冷淡なお姿も、悩ましいお姿も、すべてが推しさまです! あなたさまはどうあっても、私が崇め奉り尊む、推しさまに変わりありません!!」
ありったけの想いを告げれば、暗く陰っていた推しさまの目はしだいに明るく輝きだしました。
「……どんな姿を見せても、わたしを推してくれるということか?」
「はい、もちろんです! 私は一生、あなたさまを推し続けます!!」
推しさまは心底安心されたご様子で吐息をこぼし、柔らかく微笑まれたのでございます。
いつも凛々しく冷厳とされておられる推しさまの貴重な微笑みです! 推しさまの神々しい笑みでございます!!
そのお美しさたるや、筆舌に尽くしがたい尊さで、私は浄化を通りこして昇天してしまいそうな勢いでございます。
ああ、神さま……いえ、推しさまが神さまであらせられました。
推し神さまの背景に花咲き乱れる楽園が見えてしまいます。……とても綺麗です。とてつもなく綺麗です。
うっとりと見惚れていれば、推しさまは笑みを深めておっしゃいました。
「そうか、分かった。ならば、外面をつくろうことも、無理に気持ちを抑え込むことも止めよう」
それから、おもむろにその場に跪かれて、私の手をうやうやしく取られました。
推しさまは私を真っ直ぐに見上げ、こいねがうようにおっしゃられます。
「妖精の君。どうか、わたしの妻になってくれ。誰よりも側で、わたしを推し続けて欲しい」
「……ふぁっ!?」
そうおっしゃった推しさまは、なんと私の手の甲に口付けされたのでございます。
……ど、どうやら、私は推しさまのお美しい破壊力に頭がやられ、幻覚や幻聴まで出てきてしまったようでございます。これはいけません。
ごしごしと目元を擦っていると、推しさまは立ち上がり、両手を伸ばして私の顔を包み込み、ご尊顔を近付けておっしゃいます。
「どんなわたしでも、推し続けてくれるのだろう?」
な、な、な、なんでございますか!? その自信に満ち溢れ、勝ち誇ったドヤご尊顔は!
尊い、尊すぎて、尊みがすぎます!! 心臓が高鳴って、キュンキュンがとどまることを知らず、爆発してしまいそうでございます!!!
で、ですが、これはきっと私の幻覚で――
「一生、側で推してくれ」
「ひゃ、ひゃいぃ」
――幻覚であろうとも、尊い推しさまを前にしては、完全降伏して情けなく返事をするしかございません。
「はい」と答えれば、推しさまは満面の笑みを見せ、とても嬉しそうに私を抱きすくめるのでございます。
「やっと捕まえた。愛しい妖精の君、もう放さない」
腕の中に私を捕らえ、無邪気に笑う推しさまの尊さが……ああ、もう限界です。キャパオーバーでございます。
心臓が怒涛の勢いで高鳴って――
キュンキュンキュンキュン、ボフンッ! プッシュー!!
――限界突破して何かが爆ぜ、私は蒸気を発しながらガクリと脱力してしまいました。
「きゅぅぅぅぅ、しにゅぅぅぅぅ……」
「ん? 妖精の君、どうしたんだ? おい、しっかりするんだ――」
幻覚とはいえ、推しさまに求婚されるだなんて、なんて幸福な夢が見られたのでしょう。
本当にありがとうございます。そう推し神さまに感謝して、私は微笑み意識を手放したのでございました。
◆
……おかしいのです。
あれから、一向に夢から目覚める気配がございません。
推しさまのご様子もずっとおかしいままなのでございます。
「ヴィヴィアン……これからはヴィーと呼ぼう」
とても甘やかな低い声で私の愛称を囁き、とろけてしまいそうな熱い視線を向け、推しさまは私を膝の上で横抱きにされておられました。
大きな手が砕けそうになっている腰をしっかりと支えてくださり、私はどう頑張っても逃げられそうにございません。
「ヴィー。ほら、口開けて」
「あ、あーん……ぱくり」
推しさまが手ずからサンドイッチを食べさせてくださいます。
「もぐもぐもぐもぐ、ごっくん」
飲み込んだのは昼食用にとご用意していたもので、推しさまのために丹精込めてお作りしたので味は間違いないはずなのですが、正直に申しまして推しさまの輝くご尊顔が凄まじすぎて、味も何も分かりません。
つまるところ、推しさまが今日も尊いということでございまして、控えめに申しまして、ええ――至福です!
幸せすぎてふにゃふにゃになってしまう私を推しさまは両腕で支えてくださいます。
それから、推しさまはカゴに入ったお菓子を見て、私におねだりされました。
「ヴィー。わたしも、甘いのが食べたい」
「は、はい! ……どうぞ」
とっておきを食べていただくため、今度は私がお菓子を推しさまの口元へと運びます。
推しさまは大きく口を開けてパクリと頬張り、美味しそうに咀嚼されて飲み込まれました。
「美味い。ヴィーの手作りは本当に最高だ。いつもありがとう」
眩しい、眩しすぎる推しさまの満面の笑顔! もう胸もお腹もいっぱいでございます!! 条件反射的に拝んでしまいます。
「こちらこそ、ありがとうございます。……あ、お口の端に付いています。取りますね」
お菓子のカケラを取り回収しようとした指は、そのまま推しさまのお口にパクッと含まれ――
「ひゃわぁっ!?」
――ペロリと舐め取られてしまったのでございます。
いくら大好物だからと、なんてことをされるのです! ビックリして変な声が出てしまったではございませんか!!
「指先が甘いな……ヴィー自身も甘いのかな?」
そうつぶやいて、推しさまは片手で私の頬を撫でながら、意味深な熱っぽい視線を唇へと注がれるのでございます。
ただでさえ近距離で拝んでいた推しさまのご尊顔が、ゆっくりと近付いてきて、私は慌てふためいてしまいます。
「はわわわわ」
ギブ、ギブ、ギブアップでございます! 心臓がもちませんから、爆発してしまいますから!!
とっさに顔の前に両手をかざして、近付いてくるご尊顔を防いでしまいました。
指の間からチラリとご様子を覗うと、推しさまは少しだけムッと拗ねた表情をされて、その後にニヤリといたずらっぽくお笑いになったのです。
今までにはなかった推しさまの豊かな表情の変化に、ドキドキキュンキュンがとどまりません。
それから、あろうことか推しさまは防いでいた手に唇を当て、熱く口付けされたのでございます。
「きゃわぁっ!?」
「将来を誓った仲なのだから、口付けくらいは許してくれ。これでも、勤めに支障ない程度には我慢しているんだ。本当ならひと時だって放したくはない。ずっと抱きしめていたいのに……」
推しさまはそうおっしゃいながらも、何度も手や腕に口付けをして、攻められるのでございます。
「あっ、ちょっ、やめっ、ひぁっ、わぁっ」
激しい攻めに私の防ぎが緩んだ隙をつき、それこそ額や瞼や頬や鼻など、いたるところに口付けの雨を降らせられてしまうのでございます。
「ラ、ラ、ラ、ランスロットさまぁ! お許しくださいませぇ!!」
「あははは、ヴィーは可愛いな」
私がお名前を叫び音を上げると、推しさまはとても楽しそうにお笑いになって、愛おしげに私を抱きすくめてしまわれるのでございました。
「世界一可愛い、わたしの愛しい妖精」
◆
一方その頃、物陰からこっそりとそんな二人の攻防を眺め、口をあんぐりと開けていた王女と光の騎士がいました。
「……とんでもないものが爆誕してしまったわね。氷の騎士って何? 見る影もないわよ?」
「王女殿下のせいですよ。発破かけろって言うから……完全に吹っ切れちゃったじゃないですか」
互いに想い合いながらもすれ違い続けていた二人の様子にしびれを切らせ、王女は光の騎士と計画し、婚約話を口実にして二人を焚き付けていたのです。
もちろん、光の騎士は侍女と婚約するつもりはなく、氷の騎士の性格や行動を把握しているからこそできたことでした。
「だから言ったでしょう。彼が冷淡に見えるのは上辺だけで、中身は苛烈で熱烈で激甘ですって」
「激甘って、甘党のことかと思っていたわ。まさか塩対応が超絶激甘になるとは思わないじゃない。見ているだけで胸焼けして砂糖を吐きそうよ」
豹変した氷の騎士を指差す王女は目を泳がせ、光の騎士の方を向いて言います。
「さすがに糖度が強烈すぎて、困ってそうに見えるんだけど……ちょっと、わたくしの侍女連れ戻してきてくれないかしら?」
「え、嫌ですよ。人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られてなんとやらと言いますし、決闘の時に本気で殺されるかと思いましたからね……それよりも、こっちの話をしましょう」
光の騎士は王女に日差しのように明るい笑みを向け、話を切り替えます。
「僕を王女殿下の専属騎士にしてくれるって約束ですよ」
「わ、わかっているわ。約束は守るわよ」
「王女殿下をお守りする男は僕だけで十分ですからね……もっとも、騎士の身分で終わるつもりはありませんけど」
王女の直ぐ横に寄り添い、いつでも守れる位置に光の騎士は立っていました。
「あら、大胆なことを言うのね。国盗りでもするつもりかしら?」
「あなたがお望みとあらば、国盗りでも、駆け落ちでも、何でもしてみせますよ。……なんなりと、イゾルデさま」
光の騎士は王女の肩をそっと抱いて、熱い眼差しを送ります。
「トリスタン、あなた…………不敬よ」
頬をほんのりと赤く染める王女は手を払い除けて、プイッとそっぽを向いてしまいました。
「はは、手厳しい。ですが、僕は諦めが悪いんです……必ず、あなたの最初で最後の男になってみせますから」
日差しと称される明るい笑顔から時折垣間見えるのは、底知れない灼熱をはらんだ眼差しで、王女はその瞳に見つめられる度、焦がれる想いに胸が焼かれるのです。
「トリスタン、わたくしは――」
「はわわわわわ」
妙ちくりんな叫び声を上げる侍女が、王女たちのいる方へと駆けてきました。
すかさず氷の騎士が後を追い、ドンと壁に手を突いて侍女を捕らえます。
「わたしの妖精はすぐに逃げようとする。捕まえておかなければいけないな」
「はわわぁ……あっ、こんなところに王女殿下! 光の騎士さまもご一緒ではございませんか!! お、お助けぇ……」
王女たちの姿を見つけた侍女が救いを求め、高鳴りすぎる胸を押さえて震える手を伸ばします。
「きゃわんっ!?」
氷の騎士は侍女を逃がすまいと、横抱きに抱え上げてしまいました。
いわゆる、お姫さまだっこです。侍女は顔を真っ赤にして、言葉を出すこともままなりません。
氷の騎士は侍女を抱えたまま王女に一礼すると、光の騎士へ向けて侍女との仲を見せつけ、不敵に笑いました。
「こんなところで逢瀬か? 人目を忍ばなければならないお相手とは大変だな」
「逢瀬だなんておおげさな……僕は意気地のない親友の背を押してやっただけなんだけど?」
氷の騎士の意趣返しな嫌味に、光の騎士はニッコリと明るい笑みで返します――が、その背景にはメラメラと燃え盛る紅蓮の業火が見えてしまい、侍女はプルプルと身体を震わせて怯えます。
「あわわわわわ」
「ああ……もう、面倒くさいわね」
火花を散らしている男たちの横で、頭を押えていた王女は侍女に命じました。
「あなたたちさっさと結婚して落ち着きなさいよ。しばらく休暇をあげるから、ハネムーンまで済ませてしまいなさい」
「ふぁっ?!」
「王女殿下、有難き幸せです!」
侍女は涙目になり首を左右に振って訴えますが、王女と光の騎士は手を左右に振って微笑みます。
「ヴィー、結婚式の会場や花嫁衣装はどんなものがいい? ハネムーンはどこにしようか? 今から楽しみで仕方ないな」
「し、し、し、しにゅっ!」
氷の騎士はとても楽しそうな満面の笑みを浮かべ、侍女を抱き寄せて口付けしました。
キュンキュンキュンキュンキュンキュン、ボボボボボンッ! プッシュー!!
妙な音と爆発音が聞こえ、真っ赤になった侍女の身体から蒸気が発せられています。
ぐったりと脱力する侍女を抱え、氷の騎士は意気揚々と歩き出しました。
「……こ、これでは命がいくらあっても足りません! 爆発がとどまりません!! お助けを、王女殿下ぁ……」
命乞いをする侍女へ、王女は花咲くようなとても可憐な微笑みを浮かべ、こう言ったのです。
「推しに愛されて幸せじゃない。末永く爆発するがいいわ!」
王女と光の騎士はいい笑顔でそろってサムズアップして見せました。
「……そ、そんな小悪魔な王女殿下も、お可愛いらしいいいい! うわああああん!!」
憎めない王女の愛らしさに絶叫している間にも、侍女は嬉々とする氷の騎士の腕に抱かれ、連れて行かれてしまうのでした。
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