今まで通り
慣れない一日を終え、フラウレティアは一晩だけの自室へ入った。
廊下で扉の外に立つギルティンは、夜番交代の者が来るまでは護衛でここに立つのだが、側にぼんやり立っているアッシュを横目で見て小突いた。
「おい、今夜は嬢ちゃんといるんじゃなかったのか」
そう小声で聞けば、アッシュはうっと喉を鳴らした。
領主館で暮らすようになり、アッシュとフラウレティアは、一日中ベッタリくっついているわけにいかなくなった。
領主の娘であるフラウレティアの周りには、常に侍女が付くようになったからだ。
それで、アッシュはギルティンと共に割り振られた部屋で、毎日夜を過ごしていた。
アッシュの正体を知っている者は限られているので、仕方なしだ。
しかし、避暑地ではそうもいかない。
人間でも信用出来る者もいると、さすがにアッシュももう分かってはいる。
しかし、ここはアンバーク領でもなく、知らない者だらけの得体のしれない地だ。
アッシュは、こんな得体のしれない場所で、一晩でもフラウレティアを一人にはしたくなかった。
だから今夜は、こっそりフラウレティアの部屋で一晩過ごすつもりだったし、フラウレティアにもそう説明してあった。
それなのに、今日の昼間の“共鳴だ”。
フラウレティアの気持ちを突然知ってしまい、アッシュはまだ狼狽えたままだった。
「……どんな顔をして側にいればいいのか、分からない……」
アッシュが小さく零せば、ギルティンは渋面になった。
「どんな顔も何も、お前はいつも、のぺーっとした無表情だろうが」
憤りを含む深紅の目がギルティンに向けられると、彼は呆れたような視線を返す。
「なあ、そもそも問題はそこじゃねえだろ」
「そこじゃない? じゃあどこだ? 何処が問題だ?」
「…………問題は、お前が自分の気持ちに向き合ってないってことだろうが」
「向き合ってない? 俺はちゃんと分かってる。フラウは俺の大事な娘で……、なんだ!?」
ギルティンが心底残念そうに溜め息をつくので、アッシュが噛み付く。
しかし、向けられたギルティンの瞳は静かだった。
「そうだな、赤ん坊の時に拾ったっていうのなら、ずっと娘だったんだろう。……だがな、生きていれば、気持ちは変化することだってある。嬢ちゃんはその変化に、もう自分で気付いている」
ギルティンは、アッシュの胸に人差し指を突き付けた。
「じゃあ、お前は? 何であんなにヤキモチを駄々漏れさせてたのか、分かってるのか?」
「俺……は……」
アッシュは突き付けられた指を払うこともせず、ぐるぐると考えを巡らせる。
フラウが大事だ。
誰よりも。
何よりも。
それはずっと変わったりなんかしていない。
ヤキモチなんかじゃない。
だって、フラウは、俺が見つけた宝で、俺の娘で―――。
アッシュの胸が、何故か酷く痛んだ。
言葉が出ないアッシュを前に、ギルティンは突き付けていた指で、一度アッシュの胸を強く弾いた。
「……大事なもんがいつまでも側にあると思うなよ、ガキ」
そう言って、彼は顔を背けて口を閉じる。
誰がガキなんだか、と口の中で自嘲気味に呟いたのは、誰の耳にも届いていなかった。
約束していた時間を随分過ぎて、アッシュはそっとフラウレティアの部屋へ忍び込んだ。
「おやすみ」の挨拶も終えて、侍女達は前室である控えの間へ戻ったので、奥の部屋にはフラウレティア一人だけだ。
服装も昼間のドレスとは違い、普段使いのシンプルなワンピースになっている。
「アッシュ」
窓から外を眺めていたフラウレティアが、忍び入ったアッシュに気付いて微笑む。
フラウレティアと二人きりになったら、どんなことを言おうかと考えていたアッシュは、考えがまとまらないまま口を開こうとした。
しかし、それより先にフラウレティアが駆け寄って、アッシュの腕をぐいと引いた。
「ね、アッシュ見て。夜の湖も素敵ね!」
さっきまで立っていた窓際に連れて行かれると、アッシュは外を見た。
ちょうどアズワン湖の湖畔に面した窓で、月光をキラキラと弾く美しい湖面が見える。
その上に、何艘かの船が浮かんでいた。
ランプの温かな光が幾つも連なって、柔らかく揺れている。
それが湖面に写り、月光の光とも相まって、湖のあちこちから光が溢れ出るようにも見えた。
「アッシュ、こっそり外に行ってみない?」
初めて見る不思議な光景に、思わず見入っていたアッシュの腕を引き、唐突にフラウレティアが言う。
「え? お嬢様がこっそり出たりしたら駄目だろう」
驚いて言えば、フラウレティアは軽く唇を尖らせた。
「お嬢様じゃないもん」
そう言ってスカートを摘むと、裾が膝上にくるまでヒョイと持ち上げる。
スカートの中には、足首辺りで絞られた、幅広のズボンを履いた足が見えた。
フラウレティアが、元々ドルゴールで履いていたズボンだ。
アッシュは思わず口元を緩ませる。
一体いつの間に、そんなズボンを荷物に忍ばせていたのか。
こっそり出掛ける気満々だったということか。
「今まで通り、アッシュと外を走りたいの。駄目?」
フラウレティアが上目に見て言う。
アッシュはなぜだか、胸が軽くなった。
今まで通り。
アッシュと、フラウレティアの二人きりだ。
アッシュはフラウレティアの側に寄り、隠匿の魔法を彼女に掛けた。
「誰にも見つからないようにしないとな」
アッシュの言葉に、フラウレティアは満面の笑みで大きく頷いた。




