出発の馬車
避暑園遊会に向けて出発する日、前庭に並ぶ馬車を見て、フラウレティアがアッシュを振り返った。
「アッシュ、また一緒に乗ってくれるでしょう?」
「……前回みたいには一緒に乗れないんじゃないか?」
アッシュは言い難そうに返した。
フラウレティアが馬車に乗るのは今回が二度目。
一度目はアンバーク砦から、この領主館にやって来た時だ。
その時は、大型の馬車にアッシュもレンベーレと共に乗った。
しかし、今回はフラウレティアがすっかり領主の娘として認知されている状態で、しかも父親である領主のディードが同乗するのだ。
影が薄く、得体のしれない従者が共に乗るのはおかしいだろう。
人間世界に疎いアッシュですら、最近ではそのくらいの察しはつくようになっていた。
しかし、フラウレティアは眉根を寄せる。
「……一緒に乗ってもいいか、ディード様に聞いてくる!」
不満気に言って、くるりと踵を返した。
ゆるく編み込んだ銅色の髪が揺れ、キラキラと陽光を弾く。
明るい空色のドレスが、柔らかく広がった。
なんて可愛らしい少女らしくなったものか、とアッシュが思った時、レンベーレが側に来て止まった。
「見惚れてるんじゃないわよ、青年」
「……“青年”と呼ぶな」
ギチと牙を鳴らしそうな声で言えば、レンベーレはぷっと軽く吹く。
「見惚れてるのは否定しないのね」
アッシュは苛立って一度足を踏み鳴らした。
「……フラウの魔力はどうなんだ?」
フラウレティアがディードと話しているのを見ながら、アッシュが口を開いた。
この数日、レンベーレは領主館に留まっていて、度々フラウレティアと会って話している。
「随分落ち着いたわね。馴染んだと言うべきかしら。自分の魔力量を把握して、上手に制御できるようになっている。……勘が良いのね、きっと。魔術士向きだわ」
「そうか……」
アッシュにも、フラウレティアの魔力が落ち着いていることは分かる。
だが、正直にいえば細かな変化は分からない。
「どんな魔術士もそうだけど、感情の揺れに魔力は大きく影響を受けるものよ。でも、砦で見た限り、フラウレティアはその傾向がとても強いみたい。魔力が落ち着いたのは、最近感情の揺れが穏やかだからかもしれない」
レンベーレが見上げれば、アッシュは小さく頷いた。
「領主館に来てから、辛かったり苦しかったりはないし、……よく笑っている」
フラウレティアは、ドルゴールにいた頃よりも、ずっとたくさん笑う。
鈴がなるように声を出し、光を弾くように瞳を輝かせ、楽しそうに、嬉しそうに……。
アッシュの胸が、ツキンと痛んだ。
無表情なのに、どこか寂しそうな横顔を見て、レンベーレは軽く顔をしかめた。
フラウレティアの魔力は確かに安定している。
しかし、さっき馬車にアッシュが乗れないのではないかと言った時の、一瞬の揺らぎ。
あれは、安定の源がアッシュの存在だという証だろう。
まったく、互いにその自覚があるのかないのか……。
「……側にいて、ちゃんとよく見ててあげなさいよ、アッシュ?」
当然だと言わんばかりに、アッシュは一度フンと鼻を鳴らした。
出発した馬車列の後方に、ギルティンは乗馬してついて行く。
馬車の左右は領主付きの護衛騎士だ。
馬車前方は、叙勲を受けていない護衛兵が先導する形で付いていた。
同じく馬に乗ったレンベーレが、ローブを揺らしながら隣にやって来た。
「レンベーレ様は馬車に乗らないので?」
「私は途中で別れるから。ほら、旧領主館に定期観測にね」
レンベーレが軽く口角を上げた。
笑おうとしたけれど上手くいかない、そんな様子だった。
中央に向けて伸びる大街道までは一緒に行き、そこからレンベーレは、反対方向にある旧領主館を目指すらしい。
巨大な魔穴となった旧領主館は、その規模は若干小さくなったものの、現在もそのままだ。
世界的に見ても珍しく、国外からも魔術士達が観測や調査に訪れることもある。
フルデルデ王国の魔術士も、国の指示で定期的に調査に来ているが、レンベーレはそれとは別に通っていた。
自領の領主館であり、近しい人々が飲み込まれた地。
亡くなったディードの妻は、レンベーレの学生時代の同級生でもあったし、他にも領主館で働く人々の中には、友人と呼べる者もいた。
旧領主館は、アンバーク領の魔術士としてだけでなく、彼女自身にも思い入れのある場所だった。
特に何か出来るわけではなくても、小さな変化を見逃したくない。
「……今も変わりありませんか」
「ないわね。あの規模の精霊が鎮まるなんて、一体いつになることやら……」
投げやりな風に言いながらも、諦めきれないというように、レンベーレの瞳には力が籠もっていた。
「それで、暴れん坊の元隊長くんは、護衛の役目は退屈じゃないの?」
レンベーレが明るい声に変えて尋ねると、ギルティンは苦笑いを返す。
「暴れん坊って……。まあ、それなりに楽しくやってますよ。マーサの飯は恋しいですけどね」
「…………ねえ、どうしてフラウレティアの護衛に?」
レンベーレは軽く眉を上げて、ギルティンの顔を覗く。
前々から疑問だった。
ギルティンは、傭兵稼業の後、砦の兵士となって生きていた男だ。
しょっちゅうではなくても、魔の森から現れる魔獣を相手に、護国の為に命を懸けて戦ってきた。
今回の魔獣討伐で怪我を負ったとはいえ、神聖魔法で治療は出来たはず。
なぜ領主の娘の護衛役を買って出たのか……。
「そうするべきだと思っただけです」
ギルティンは笑って言う。
その視線は前方の馬車に向かっている。
結局フラウレティアの希望が通って、ディードとフラウレティアと共にアッシュが乗り込んでいる馬車は、軽く揺れながら進んで行く。
「そうするべきって?」
「いつか、フラウレティアを守る者が必要になる。そう感じたから、俺がそれを引き受けることにした。それだけですよ」
訝しむように見詰めるレンベーレに、ギルティンはニッと笑うだけで、それ以上の説明はしなかった。
他に説明のしようがない。
いや、フラウレティアと“共鳴”を体験したギルティンにしか分からないことで、ギルティンはそれを誰かに説明したいとは思わなかったのだった。




