領主娘の真偽
アンバーク領主館の中庭では、今日も午後にお茶会が開かれていた。
今日のお客様は、領主代行のローナスだ。
彼の執務を手助けする文官一人と、フラウレティアのマナー講師を務めている貴族女性も共に招かれた。
「ああ、フラウレティアと一緒にお茶をすると、時間があっという間だね」
ローナスがカップのお茶を飲み干して言った。
気取った貴婦人相手のお茶は、あれこれ思惑が絡むこともあって、ゆっくりお茶や茶菓子を味わうこともない。
しかし、フラウレティアとのお茶会は、今日の茶菓子談義から始まって、日々のあれこれが話題の中心で、単純に会話を楽しむことが出来た。
それに、領主館に来てからの決して長くない期間に、フラウレティアは教えられる貴族の基本的なマナーや振る舞いを着々と身に着けている。
共にテーブルを囲む文官も、最早フラウレティアの言動に眉根を寄せることもない。
それどころか、彼女の愛らしさや、端々に見せる気遣いにすっかり好感を持っているようだった。
「私も、ローナス様とお話するのは楽しいです」
フラウレティアが、にっこりと微笑んで言うと、ローナスはカップを置いて微笑みを返し、口を開いた。
「それで、フラウレティアは本当のところ、ディードの娘なのかい? それとも、そうではないのかい?」
突然の切込みに、文官と講師の女性が小さく息を呑む。
常に見ないふり聞かないふりをするはずの侍女や従僕も、一瞬身体を強張らせてしまった程だ。
しかし、聞かれたフラウレティアは、キョトンとした。
「分かりません」
「……分からない?」
「はい」
フラウレティアは当然のように頷いて、手にしたカップを揺らす。
「私は赤ん坊の時のことを覚えていません。幼い頃の記憶で古いものと言えば、せいぜい3歳くらいでしょうか。ですから、自信を持って『ディード様の娘です』とは言えません」
一番古い記憶では、既にドルゴールで竜人達の中で生活していた。
自分が魔の森で拾われたことは、ハドシュとアッシュから聞いている。
しかし、聞かされたから信じているだけで、真実かどうか知っているわけではない。
無論、二人が嘘をついているなんて思ってはいないが。
それと同じように、ディードが娘をどの様に亡くしたのか、フラウレティアが知っているのは聞いた内容だけだ。
だから、もし彼女が生きていて、それが自分だったとしても、それが真実かどうかは分かりようがないのだ。
まあ、そもそも今回のことは、ディード自身が偽っている自覚があるわけだが。
ローナスは一瞬ぽかんとしたが、すぐに表情を緩めて可笑しそうに笑った。
「確かにそうだな。誰だって、自分が産まれた瞬間のことなんて自分では知りようがない。私だってそうだな」
暫くして笑いを収めると、ローナスは笑顔のままフラウレティアを覗き込む。
「では質問を変えよう。遊学だけなんて言わずに、このままディードの娘として生きていくつもりはないのかい?」
フラウレティアは貴族的ではないが、賢くて、どこか人を惹きつける魅力がある。
アンバーク領主の娘として、このまま据え置くのが良いと、ローナスには思えた。
アンバーク領にとって、損にはならない。
代行とはいえ、長年領主の役割を担ってきた者らしい考えとも言えた。
しかし、フラウレティアは軽く笑って首を振った。
「ありません。きっと、ディード様も望んでいませんよ」
「え?」
それはローナスにとって、意外な答えだった。
ディードが娘だと連れ帰った時点で、フラウレティアは彼の心の内に入る程の存在であるはずだ。
どうしてそう思うのか、ローナスが尋ねようとした時、笑い含みの女性の声が割って入った。
「あら、『お父様』って呼ぶんじゃなかったの?」
「レンベーレ様!」
生け垣の間から出て来たのはレンベーレだ。
濃紺のローブの裾をヒラリと揺らして近付くと、ローナスに軽く挨拶をして、テーブルの上の皿から焼き菓子を一つ、ヒョイと口に放る。
ローナスが苦笑する。
「行儀が悪いぞ」
「まあまあ。あ、私にもお茶を一杯頂戴な」
側の侍女に言って、レンベーレは勝手に空いた椅子に腰掛ける。
マナー講師の女性が軽く咳払いするので、レンベーレは軽く片目を瞑った。
「いつ戻っていたんだ?」
「さっき戻ったところよ。領内の問題箇所は回ってきたから安心して。詳しい報告は後で上げるわ」
ローナスの言葉に返事をしつつ、レンベーレは侍女が入れたお茶を受け取る。
フラウレティア達と領主館へ戻ってから、レンベーレは領内の主要な街へ出向いていた。
各街には“魔術士ギルド”という名の組織がある。
魔竜出現以前の魔術士が多くいた時代には、各地域の魔術士達を統括するために活躍した組織だが、現在はほとんど名を残すのみだ。
生活に密着する簡単な魔術を使う、準魔術士と言えるような者や、魔石や魔術具に関わる者達の組合的な役割を担う。
レンベーレは、アンバーク領で唯一人の正規魔術士なので、時々ギルドを回り、どうしても必要な部分に手を貸したり、指導したりしていた。
「まあ、そっちの問題はないんだけどねぇ……」
レンベーレはふぅふぅと息を吹きかけたお茶を一口飲むと、赤褐色の眉を上げ、レンベーレのマナーに何か言いたそうな講師女性を見た。
「急いでフラウレティアに園遊会のマナーを教えた方が良さそうよ」
「園遊会、ですか?」
「ええ。来月のアズワン湖での避暑園遊会に連れて行くって、ディード様から通信があったから」
ローナスと共に、少し離れて立っていたギルティンも怪訝そうな顔をする。
レンベーレは僅かに困ったような顔で軽く肩を竦めて、キョトンとしたフラウレティアを見た。
「今の内に、『お父様』って呼ぶクセつけておきなさいな、フラウレティア」




