兵士との衝突 2
ふと、我に返ったアッシュが顔を上げる。
そこには、アッシュとフラウレティアを見つめる多くの人々。
アッシュは鱗が逆立つほどに体を伸ばすと、ブフンッ!と盛大に鼻息を吐き出して顔を背けた。
「!! クッ! ははっ!」
フラウレティアとアッシュの側にいたディードが、堪らず噴き出した。
「何だ今のは。照れたのか?」
くっくっと笑い続けるディードを、アッシュは目を細めて睨んだが、その顔のままフラウレティアの頭の後ろに首をひねり、彼女の銅色の髪に鼻先を突っ込んだ。
「アッシュったら、くすぐったいよ」
フラウレティアが身を捩るが、アッシュは鼻先を出そうとしない。
「ははっ! くっくっ……」
可笑しくてたまらないというように、大きな身体を折って笑い続けるディードにつられ、周囲の兵士達からも笑いが起こる。
「なんだ、翼竜も意外と人間くさいんだな」
そんな感想も出て、次第に波のように笑いが広がっていく。
理解できないと言うように顔を歪める者や、困惑する兵士もいたが、周りの雰囲気に押されて口には出さなかった。
少なくとも、周囲にさっきまでの緊迫した空気はなくなっている。
フラウレティアは小さく安堵の息を吐いた。
「あんた達!食堂の前で騒がないどくれ!」
いつの間にか、フラウレティアの後ろにも兵士達がいて、その間からマーサが大声を上げた。
ドスドスと、足音を荒く鳴らしながらこちらにやって来る。
「昼は人が多いんだ。食堂前に集まっちゃ迷惑だよ! さあさ、食べた人はさっさと出て! 食べる人はさっさと入って!」
マーサはべしべしと兵士の背中を叩く。
どうやらここは、食堂の入り口側の廊下だったようだ。
マーサはディードとフラウレティアに気付いて、眉を上げる。
「ディード様がいながら、何を騒いでおいでですか」
大袈裟に両手を腰に当てると、大きく息をつく。
「しかも、何ですその姿。食堂にそんな土まみれの格好で入らないで下さいよ!」
「ああ、すまない。出直してくるよ」
しかめっ面のマーサに言われて、ディードは苦笑いだ。
フラウレティアはあらためてディードを見た。
訓練で使用していたのであろう革鎧にも、その下の衣服にも、土埃がついたままだ。
周囲の兵士達は皆、ディードのように鎧をつけていないし、剣も持っていない。
土埃も払われていて、食堂に来るために身綺麗にして来たのが分かる。
もしかして、ディードは演習場から急いで来てくれたのではないだろうか。
フラウレティアの視線に気付いて、ディードが彼女の方を向く。
「医務室に行っておいで。元気なら、その後で食堂で昼食を摂るといい。マーサの煮込みは美味いぞ」
彼は優しく微笑む。
「はい」
フラウレティアの返事にひとつ頷いて、側に控えていたエナから剣を受け取ると、ディードは踵を返した。
エナがディードに続いて踵を返すが、一歩踏み出す前に、何か言いたげにフラウレティアとアッシュのことを見た。
しかし、何も言わずそのままディードに付いて行った。
何だったんだろう?
フラウレティアがエナの後ろ姿を見ていると、周囲の兵士達を散らしていたマーサが声をかけた。
「もう歩き回っても平気なのかい? 食事は部屋に運ぼうかと思ってたんどけど、動けるんなら食堂でいいね」
後でおいでと笑って言って、エイムの背中をべしっと叩く。
「アンタも食事抜くんじゃないよ!」
エイムの細い身体はそれだけでよろける。
忙しいとすぐ後回しにして忘れるんだから、とブツブツ言いながらマーサは食堂の方へ帰って行った。
「いたた……まったく手加減なしなんだから。……何だか変なことになってしまってすみません」
エイムは一息ついてから、フラウレティアに向き直った。
「いいえ、……驚いたけど、大丈夫です」
兵士達とのことは、エイムのせいではない。
ただ、驚いた。
ずっと身近な存在だったアッシュが、人間にとっては魔獣という一つ括りにされたことに。
魔獣に向けられた嫌悪の視線に。
エイムは、ためらいがちにフラウレティアを廊下の先に促した。
廊下を先に進み、大きく開かれた扉から外に出ると、右手には屋上から見えた演習場があった。
昼の休憩時間なのだろう。屋上から見たときほど人はいなかった。
演習場を横目に、少し離れた隣の白い石造りの建物へ向う。
二階建ての小さめの建物で、そこの一階が医務室らしい。
入り口は扉が両開きに開け放たれていて、薄手の白い布が垂らされていた。
エイムが先に布をくぐって中に入る。
続いてフラウレティアが入ろうとしたら、中から大きな怒声が響いた。
「この馬鹿者が! この忙しい時に、回診にどれだけ時間をかけておるか!」
フラウレティアは、そっと布を持ち上げて中を覗いた。
怒声に肩をすくめたエイムの向こう、薬棚に囲まれた奥に、一人の老薬師が座っていた。