決意したこと
アンバーク領、領主館の中庭。
さっきまでフラウレティア達がお茶をしていたテーブルの上には、一匹の薄灰色のイタチがいる。
長い尻尾をゆるりと揺らし、前に座ったフラウレティアを見上げていた。
このイタチは本物のイタチだが、今はアッシュの母ミラニッサが使い魔として使役していた。
竜人族は大体、固定の使い魔を持たない。
自分に扱い易い動物の種類を決めたら、目的地に近い場所にいる個体を見つけて魔法を行使し、使役する。
魔法陣を組めば、小国程度の距離は網羅出来た。
ミラニッサはイタチを好んで使役する。
今ここにいる薄灰色のイタチも、この館の近くに生息している野生のイタチだというわけだ。
「母様、こんなに人がいる所に姿を現したりして大丈夫なの?」
フラウレティアがイタチに顔を近付けて言った。
ここには竜人族の存在を既に知った者もいるが、それは僅か数人のこと。
竜人族が本当にドルゴールで生き続けているということを、人間達は知らないのだ。
〘 魔獣と使い魔の違いが分かる者が、お前以外の人間にいるとでも? 〙
イタチは僅かに目を細めた。
「……確かにそうだね。でも、気を付けてね」
〘 心配ない 〙
「ハルミアンはどうした? 様子を見に来るならアイツが来ると思っていた」
側に立っているアッシュが言う。
イタチは軽く首を傾げるように動かした。
〘 距離が離れすぎて、ここまで鳥を飛ばすのも難儀するようだよ 〙
「……師匠、調子が悪いの?」
フラウレティアが不安気に尋ねた。
〘 いや、ただの老いさ 〙
ハルミアンは長命のエルフであるが、既にエルフの寿命と言われる歳を大幅に過ぎていた。
フラウレティアは、砦で突然別れることになったグレーン薬師のことを思い出し、僅かに唇を噛んだ。
〘 そんなことより、人間の中での暮らしはどうだ? 〙
フラウレティアは笑って頷く。
「うん、楽しいよ」
〘 そうか 〙
イタチはチラリと側に立つアッシュを見上げる。
表情なく立っている彼は、しかし、どこか落ち込んで見えた。
「でもね、よく分からないことも多いの」
その声に、イタチは視線をフラウレティアに戻した。
彼女は少し困ったような顔で笑う。
「身分だとか、規則だとか……。そういうものが必要なのかもしれないと思う部分もあるけど、どうして必要なのか分からないことも多いよ」
〘 ふん……、昔から、人間はそういう生き方を好んだな。自由を求めると言いながら、不自由を選択して生きていた 〙
イタチは一度目を伏せた。
竜人族がフルブレスカ魔法皇国で人間を統制した時代も、ある程度の時期まで、人間は竜人族の力と知識に添って成長することを望んでいたものだ。
〘 ……それが人間というものかもしれない。まあ、よく見て、己の種族がどういうものか知れば良い。決断するまでには、まだ時間はある 〙
この先をどこでどう生きるか、ハドシュにそれを決めろと言われているのは、来年の成人までだ。
「それはもう決めてるよ」
フラウレティアの言葉に、アッシュが勢いよく彼女に顔を向ける。
「……フラウ、決めてるって……?」
「うん。私、ドルゴールに帰るよ」
「本当かっ!?」
「しー! しー!」
アッシュが思わず大声を出したので、離れた所に立っている侍女のマテナが驚いたような顔をした。
大丈夫よ、とマテナに合図してから、フラウレティアは笑ってアッシュを見上げた。
「私が生きていきたいのは、アッシュが……竜人がいる所だって、もう分かったから」
人間と関わって、人間同士の深い信頼や愛情を知った。
それはとても心を震わせるものだった。
しかし、全く同じでなくても、そういうものを竜人達もちゃんと持っていることも、改めて感じた。
そして、自分にとって、そういう気持ちを交えて一緒にいたいのは、アッシュなのだ。
それがよく分かった。
「アッシュと、この先も生きていきたいの」
アッシュは息が詰まった。
一気に血が巡ったようで、身体中がカッカする。
それなのに、頭の奥は白い火花が細く散っているようで、言うべき言葉は少しもまとまらない。
黙ってしまったアッシュを見上げたまま、フラウレティアは眉を下げた。
「…………だめだった?」
「ちがっ! うっ、嬉しいっ!」
不安を滲ませたフラウレティアの声に被さるようにして、アッシュは答える。
テーブルに手をつき、身を乗り出す。
一度口を開いたら、今度は止まらなくなった。
「駄目なんかじゃない! いや、フラウはドルゴールに帰るべきだって、本当はずっと思ってた! 良かった。……良かった……俺は……いて!」
〘 落ち着け、息子よ 〙
テーブルの上の手をピシリッと尻尾で叩いて、イタチが言った。
〘 もう決めたのか、フラウレティア 〙
「うん」
フラウレティアの答えに、迷いはない。
「……良かった」
少し落ち着いて、アッシュがもう一度言った。
自分の決意をアッシュが喜んでくれているのが分かって、フラウレティアは嬉し気に笑う。
「すぐにでも帰るか?」
急かしたい気分でアッシュが尋ねれば、フラウレティアは首を横に振った。
「ううん。ディード様に相談して、領主館じゃない平民の暮らしも見たい」
「……どうして」
アッシュの問い掛けに、フラウレティアは真剣な表情を見せる。
「……もう少し、人間のことを知りたいの」
人間にとって、竜人族は今でも“敵”という存在なのか。
普通に日々を送る彼等の全てが、同じ様に考えているものなのか。
グレーン薬師が過去に望んだように、再び人間と竜人族が共に生きる道はないのか―――。
「知りたいの」
フラウレティアの決意の籠もった瞳を、イタチは黙って見上げ、小さく頷いた。




