王宮に巣食うもの
天井付近にあるいくつもの採光窓から、明るい光が差し込む広間には、中央に一人、立礼したディードが立っていた。
その姿は、アンバーク砦で当たり前に見られた、兵士同様の簡素なシャツとズボンではない。
造りはシンプルだが、上等の生地と巧みな刺繍で飾られた詰め襟に、ケープを纏った正装だ。
ペリースでなくケープであるのは、騎士でなく領主として召喚に応じたからだった。
フルデルデ王国の王宮の中。
謁見の間での、女王との謁見中だった。
「よもや、そのような化け物が魔の森から這い出してくるようになるとは……」
どこか呆然と呟いたのは、壇上の王座に座したフルデルデ女王アクサナだ。
生粋のフルデルデ王国民に多い褐色の肌は、健康であるならば美しい艶を放つが、今の彼女の肌は、泥のように重い色合いだった。
「……これも、魔竜出現以前より不朽の存在であったあの森に、多くの武具を持って乗り込み、無駄に血を流したことによる報いでございます、陛下」
ディードの歯に衣着せぬ物言いに、壇下に控えていた側近達がざわめく。
気色ばむほどでないのは、多くの者が、ドルゴールに向けての出兵に思うところがあるからだろう。
「相変わらず、そなたは遠慮なくものを言う」
女王が苦笑いした。
「……そういう言葉を欲して、私を召喚したのかと思っていましたが」
言ったディードと視線を合わせ、王女は苦笑いのまま、細い溜め息を一つ吐いた。
現女王アクサナは、女王として即位する前、アンバーク領に降嫁していた経歴がある。
相手は現王配であり、ディードの従兄弟叔父キールだ。
それで、二人は以前より面識があった。
フルデルデ王国は、建国の頃から母系制を尊び、女王を据え続けてきた国だ。
国風として女性強位で、成人後すぐに婚姻を結ぶ為、多産傾向にあった。
長女を王太子として後継に据えると、後に続く王女達は、国の高位貴族に降嫁するのが習いで、そうして広大な国に広がり根付く貴族達との絆を強めて発展してきた。
アクサナも、先代女王の四女として生まれ、アンバーク領の貴族に降嫁された。
四女としての生は王座には縁遠く、当たり前に国立学園で一学生として学び、そこで縁を繋いだアンバーク領貴族キールと結ばれたのだ。
アンバーク領主一族と、それに連なる親族達は結びつきも強く、領地経営も順風で、降嫁先での生活は心地良いものだった。
しかしある時、王宮を含む中央を中心に、病が流行る。
女王をはじめ、アクサナの姉である王太子も、残り二人の姉もあっさりと命を落とした。
王子は命を長らえたが、貴族院には女王を望む声が根強く、一旦は降嫁したアクサナを呼び戻し、女王に据えた。
今より二十数年前の話だ。
「……他に方法がなかったのだ。……しかし、民の命をいたずらに散らしてしまったことは遺憾だ……」
女王は苦々しい声で言った。
そのような言葉で済む話ではない。
アンバーク砦で全てを間近に感じてきたディードは、そう言いたい気持ちを抑えて、再び口を開く。
「王配殿下の病を、なぜ公表されなかったのですか。公にして、広く治癒方法を募っていれば、こんな……」
「王配は病などではない!」
ディードの言葉に激しく反応したアクサナ女王は、ギラギラとした瞳で、ディードだけでなく側近達を睨めた。
王配の病を公表していない今、国中に多くの噂が出回ってしまっている。
中央には、王配の病を女王が治す為に手を尽くしているという、正しい情報も流れている。
しかし、中央から離れれば離れるほど、その噂は途方もないものになっていた。
アンバーク砦で、「女王は老化を遅らせる為に竜人の血を欲しているらしい」と、エイムが話していたのもその為だ。
老化を遅らせたいのは、奇病に侵されている王配の方なのだが、真実は辺境までは届いていないのだった。
アクサナ女王がこの件に激しい反応を見せるのは、王配を引きずり下ろそうとする勢力が存在し、過去何度も苦しい思いをさせられたからだ。
降嫁していたアクサナを王族籍に戻して即位させる際、貴族院達はキールとの離縁を迫り、王太子の婿であった男性との婚姻を強いた。
しかし、既に娘も二人生まれていたアクサナとキールは、もちろん納得しなかった。
結局、揉めに揉めた協議の末、貴族院は条件付きで、キールを王配とすること、二人の間に生まれた娘達を王女とすることを了承した。
その条件とは、王太子の婿を側室とし、その側室との間に王女を産むことだった。
果たして、アクサナは条件通り側室と閨を共にし、まず王子を産んだ。
そして数年後に王女を産む。
しかし、側室との間に王女が生まれた途端、王配キールと、二人の間に生まれた娘達は謎の病によって倒れた。
娘二人は命を落とし、キールは助かったが後遺症が残り、病弱な身となった。
――後に、あれは病でなく毒であったのではないかと噂された。
「……病などではない。またどうせ毒や呪いの類だ」
憎々し気に、アクサナ女王が言葉を吐く。
「仮に病だと公表すれば、王配の座は重荷であろうから荷を降ろさせよと進言する者が出る。……聖職者も当てにならぬ……」
どこかブツブツと宙に言葉を吐く女王は、疲れ切った様子だ。
王配を引きずり下ろし、血統の良い側室を王配に据え直す。
そんな考えが根強く残った貴族達も、少ないが存在する。
側室との間に王女が生まれた途端に、奪われた大切なもの。
女王は疑心暗鬼に囚われているのだ。
王配だけは、何としても奪われない……。
彼女の様子は、彼女こそが病魔に侵されているのではないかと疑ってしまうほどだった。
「しかし、女王陛下。どのような事情であれ、竜人の血肉などという幻のようなものに縋るのは、どうかもうお止め下さい」
女王の気持ちを慮るのだとしても、このような暴挙は何としてもやめさせなければならない。
何かしらの罰を与えられることも覚悟で進言したディードに、女王はあっさりとした返事を返した。
「分かっている。もう兵は出さない」
「……真でございますか?」
「本当だ」
女王は軽くうなずいた。
「魔術士殿も、別の治療法を見つけたと言っているのでな」
「別の……?」
今のこのタイミングで、急に別の治療法が見つかるとはどういうことだろうか。
そもそも、その病をなぜその魔術士だけが知ることが出来たのか……。
「女王陛下、その魔術士と対面させて頂くわけには参りませんでしょうか」
ディードの言葉を聞いて、女王は軽く首を傾げる。
「魔術士殿なら、ずっとそこにいる……おや、いつの間に退室したのだ?」
女王が視線を送ったのは、側近たちが並ぶ壇下だ。
そこには魔術士らしき者はいない。
側近達も、そういえばいつの間に……というようなことを口にする。
ディードは側近達の方を見て立ち尽くした。
言われてみれば、さっき確かにローブを着た者がいた。
それだけは覚えているのに、どんな者であったのか思い出せない。
そもそも、そんな者が一人だけ混ざっていたのに、少しも違和感を感じなかった。
そして、女王をはじめ、この場にいる誰もが、その事実にそれ程驚いていないのだ。
ディードは強く眉根を寄せた。
この感覚は、覚えがある。
そこにいるはずなのに、その存在感を極めて薄くする―――。
アッシュが使う、隠匿の魔法に似ているのだ。




