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領街へ向けて

砦の前庭には、領街側へ出る大門に寄せて馬車が二台並び、荷馬車や馬が出発に向けて準備を整えていた。

ディードとフラウレティア、レンベーレに加え、エナや領街に用事がある者も共に出発するのだ。




雲一つない青空の下だというのに、ディードと一緒に立ち、顔見知りになった兵士たちと挨拶をするフラウレティアの表情は晴れない。


少し離れて立ったアッシュは、苛立つように何度も腕を組み替えながら、フラウレティアの様子を見ていた。

領街に入るからには、翼竜の姿では一緒にいられない。

既にアッシュはここから人形(ひとがた)になり、隠匿の魔法を使って、その存在感を消していた。



「そんなにイライラしないのよ」

側に来たレンベーレが言う。

彼女とディード、アイゼルには、レンベーレが抗魔法の魔術を施して、アッシュを辛うじてアッシュと認識できるようにしていた。


アッシュはまた腕を組み替える。

そして爪先で腕を叩いた。

「やっぱり、あの時もっと強く反対すれば良かった」

「反対って?」

「人間の社会を学ぶことだよっ!」

大きな声を出すアッシュの方に、近くの人間が数人視線を向けたが、気の所為だったかというようにすぐもとに戻る。

「ほらほら、大きな声出さないのよ。いくら隠匿の魔法を使っていても、注目されるようなことを繰り返せばバレるわよ」

ぐ、とアッシュが言葉を詰まらせた。



「フラウレティアの意思を尊重するんじゃなかったの?」

「……泣いて傷付くようなことがあるなら、話は別だ」


ぶっとレンベーレが吹いて、ケタケタと可笑しそうに笑う。

「やっぱり子供ねぇ」

「何だと?」

レンベーレは聞きわけのない子供を見るように、一度小さく溜め息をついて腰に手をやる。


「あのね、誰でも、傷付かずに生きていけるなんてことはないの。傷付いて、涙して、そして何かを得て成長するのが人間よ。……いいえ、きっと竜人族でも。生きているなら、皆そういうものじゃないかしら」

「……必要なことだと言いたいのか」

キツく睨むような視線を向けるアッシュに、レンベーレは肩をすくめて見せる。

「少なくとも、無駄ではないわね。あなたも()()のつもりなら、ちゃんと見守りなさいな」


ギチ、と牙を鳴らす音がして、睨む深紅の瞳の色が濃くなる。


しかし、アッシュは何も言わずに踵を返す。

「どこに行くの?」

「アンタの側にいたくないだけだっ」

そう言って、レンベーレから距離を取ったアッシュは、再び腕を組んだ。



入れ替わるように側に立ったアイゼルに顔を向けて、レンベーレは真っ赤な唇を歪ませて笑った。

「あれで父親のつもりだっていうんだから、馬鹿よねぇ」

「まったくだな」

アイゼルもまた、呆れたように首を振った。





ディードに挨拶をしたエイムが、側にいるフラウレティアに目を止めた。

彼女の視線は下を向き、エイムとは目が合わない。


「お別れが、上手くできませんでしたか?」

「……エイムさん」

声を掛けられて、初めてエイムが側にいたことに気付き、フラウレティアは顔を上げた。


エイムは眉を下げて笑う。

「フラウレティアさんらしくありませんね」

「え……?」

「いつも元気いっぱいだったのに、お別れの時にこうでは、師匠(せんせい)が心配されますよ」

グレーンのことが思い出されて、フラウレティアは僅かに目を見開く。

「『自分らしくあれ』と、師匠(せんせい)から言葉を頂いたと言っていましたよね?」



不意に、温かな光を宿したグレーンの瞳を思い出した。


『迷っても立ち止まっても、その心のまま、信じる道を真っ直ぐに生きなさい』


今ここで言われたように、その言葉が耳に甦って、フラウレティアはぐっと唇を噛む。

胸を塞いでいた思いが、にわかに動いた。




「ディード様、ごめんなさい。少しだけ時間を下さい」

ようやく自主的に声を上げたフラウレティアを、ディードは側で見下ろす。

「マーサさんに、もう一度会わなきゃ。このままじゃ、出て行けないもの!」

今にも走り出しそうなフラウレティアに、ディードは僅かに目を細めて、見送りに集まった人々を指差す。

「彼女も、そう思っているみたいだよ」


指差された本館の方へ視線を向ければ、人垣を掻き分けて、マーサがこちらに向かって来るのが見えた。

その格好は、使い込まれた前掛けを着けた、見慣れた姿だ。

「ちょっと退いておくれ!…………フラウレティア」

正面から走って来たフラウレティアを認め、マーサが手を伸ばした。

フラウレティアは昨夜にそうしたように、迷わずマーサの大きな身体に飛び込み、腕を回した。


「ごめんなさい、マーサさん! 本当に、悲しませるつもりじゃなかったの」

「ああ……! ごめんよ、ごめんよフラウレティア!」

マーサもまた、フラウレティアの小さな身体をぎゅうと抱きしめる。

「分かってたのに。アンタがどんな子か、ちゃんと分かってたのに……アタシときたらさ……」



よくは分からないが、二人が別れを惜しんでいるのを見て、周りの人々は頷いたり微笑んだりしながら、二人の背を叩いた。





「一先ずは、安心して出発出来そうですね」

側に来たアイゼルが、ディードに声を掛ける。

「そうだな」


涙目で満面の笑みを見せるフラウレティアは、多くの人々の中にいる。

彼女は、人間の中での暮らしを、少しずつ自分の中に取り込んでいけている。


ディードはアッシュの姿を探す。

辛うじてアッシュであると分かるローブの男を見つけ、彼は僅かに胸の中に重石を感じた。



周囲に多くの人間がいるにも関わらず、隠匿の魔法で一顧だにされないアッシュは、フラウレティアの笑顔を眩しそうに眺めながら、その疎外感の中に静かに立っていた。





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