間違えた選択
「どうしてこれを持っていたんだい? アタシの息子の物だと知っていたなら、何で今まで何も言わなかったんだい!?」
「マーサ!」
開け放たれた扉から部屋の中に入り、フラウレティアに迫ろうとするマーサの腕を、ギルティンが掴んで止める。
「何とかお言いよ、フラウレティア!」
フラウレティアは顔を引きつらせ、翼竜の姿に変態して左肩に止まっているアッシュに、縋るように手を添える。
マーサの深い悲しみと、マーサの息子の望郷の想いを感じて、フラウレティアはただそれを繋げてあげたいと願った。
魔力が解放され、未だ不安定で、他者の強い想いを感じやすくなっているフラウレティアには、そうしなければならないような気がしたのだ。
だからせめて、お守りをマーサのその手に戻そうと思った。
しかし、その結果は、マーサに安らぎを与えていない。
それどころか、感じるのは余計に膨れ上がった悲しみと、それに混じる困惑や怒り、苛立ちだ。
強く流れてくるその感情の勢いに押され、フラウレティアは何をどう弁解すればいいのか分からなかった。
お守りを見つけた経緯も、それがマーサと亡くなった騎士を繋げる物だったと気付いた理由も、詳しく話せることは何もないのだ。
「マーサさん、私……、ごめんなさい」
辛うじて口を開けば、出てしまったのは謝罪の言葉だ。
食い入るようなマーサの瞳の圧が強まり、フラウレティアは竦んだ。
失敗した。
間違った。
フラウレティアの頭に、そんな考えが過る。
どうしよう、どう答えたらいい?
他になんて言えば?
フラウレティアの焦りに応えるように、彼女の魔力が不安定に立ち上る。
―――フラウ、落ち着け!
そう言う代わりに、アッシュはグァウと一声鳴いた。
咄嗟に、フラウレティアを抱きしめる代わりに翼を広げて、彼女の視界を遮る。
「私だ、マーサ」
入口からディードの声がした。
「それがマーサの息子の物だろうと、私がフラウレティアに教えた」
「……ディード様が?」
マーサの意識が、部屋の入口に立つディードに移ったのを横目に、レンベーレが側を擦り抜けてフラウレティアに寄った。
「落ち着きなさい、フラウレティア。自分の魔力の中心を感じて」
アッシュに視界を遮らせたまま、小声で素早く言う。
「レンベーレ様……」
早い呼吸で、不安気にフラウレティアが呟く。
「魔力を収めるのよ。落ち着いて。ちゃんと出来るわ」
レンベーレはフラウレティアの手を握った。
「今日の出発の準備をするために、フラウレティアの持っている荷物を全て持って行っても良いか、昨日相談された。その中に入っていたそれを、おそらくマーサの息子の物だろうと、私が教えたんだ」
マーサの息子は元は領街の兵士で、この砦に訓練に訪れたことが何度もある。
ディードやギルティン達砦の兵士達とも顔見知りだった。
魔の森へ騎士の一団が派遣される際、このアンバーク砦で彼等は一泊した。
その時、ディードは彼からそのお守りを見せてもらっていたという。
「フラウレティアが魔の森で狩りをしていたのは聞いているか?」
「……ええ、聞いていました」
マーサが幾分か落ち着いて答えたので、ギルティンはようやく彼女の腕を離した。
「狩りの場で、偶然拾ったそうだ。お守りらしき物だったから、どこかで供養するつもりだったと。……それがマーサの息子の物だろうと分かって、まだ返さない方が良いと判断したのは私だ」
「なぜです!?」
淡々と語るディードに、マーサが食いつくように尋ねる。
「マーサが今のように取り乱すだろうと思ったからだ。それを返すなら、フラウレティアがそれを拾った状況を話さなければならないだろう」
魔獣に襲われ、使命を果たすことなく生命を奪われた騎士達の惨状を、フラウレティアに聞くことになる。
「話す方も聞く方も、苦痛でしかないと思った。……愛する者を亡くした者の心は、衝撃を重ねれば脆く崩れる。私にはそれが理解出来るから、少し間をおいてから返す方が良いだろうと思った」
ディードは僅かに顔を歪めた。
「……しかし、フラウレティアの気質では、マーサを癒やすためにすぐに渡したかったのだろうな」
ディードはマーサの横を通り過ぎて、ゆっくりとフラウレティアに近付く。
レンベーレが小さく頷いて手を離すと、アッシュは翼を畳んだ。
露わになったフラウレティアの顔には、頬に一筋の涙が流れる。
ディードはフラウレティアの右肩に手を置いて、マーサを振り返った。
「私の責任だ。すまなかった、マーサ。……だから、どうか、フラウレティアを……、私の娘を責めないでやってくれないか」
マーサは大きく顔を歪めたが、そのまま視線を落とした。
「…………悪かったね」
絞り出した彼女の声には、深い深い悲しみと、収めようのない苛立ちが混じる。
母親への憧れを込めて見つめていたマーサが滲ませた感情に、フラウレティアは苦しくなった。
ただ悲しくて、一言も返すことが出来ず、静かに涙を流したのだった。
「今まで聞いていた話から、予想できることを交えて話させてもらったよ」
レンベーレがマーサを連れて出て行き、ギルティンが入り口を閉めたところで、ディードはそう言ってフラウレティアに向き合った。
「……すみません、ディード様。……ありがとうございました」
涙の止まったフラウレティアは、一度スンと鼻をすすった。
「……フラウレティア、君が優しい子で、周りにいる人や竜人達のことを思い遣っていると分かっているつもりだ。だが今はまだ、人間の社会や、魔力や特別な力を持ってない者のことは知っていることが少ないね?」
ディードはフラウレティアの瞳を覗き込む。
「それは仕方のないことだ。だが、これからは迷うことがあれば、まず相談して欲しい」
「相談……」
呟くフラウレティアに、ディードはコクリと頷く。
「君が多くを知り、これからのことを考える手助けがしたい。だから、迷うことがあれば、アッシュと二人で決めるのではなく、私にも話してくれないか。……仮とはいえ、私達は家族になったのだから」
アッシュが僅かに目元を歪めた。
フラウレティアはディードの言葉を頭の中で反芻した。
そして、コクリと頷いたのだった。