不安と揺らぎ
フラウレティアは目覚めて、ぼんやりと数度瞬きした。
普段なら目覚めるとすぐにスッキリと起き上がれるが、今朝は何となくぼんやりする。
ふと、頭の周りにアッシュの魔力の残滓を感じて、くすりと笑う。
アッシュが眠りを誘う魔法を掛けてくれたのが分かったからだ。
まだ幼い頃、怖い夢を見たと泣くフラウレティアに、毎晩アッシュが眠りの魔法を掛けてくれていた。
あの頃は分からなかったが、眠りの魔法が初歩的な魔法だとしても、魔法が苦手なアッシュでは、フラウレティアに毎晩魔法を掛けるのも大変だったろう。
でも、アッシュは自分がやるのだと言って譲らなかった。
『フラウは俺が守るんだから』
そういえば、あの頃からそんな風に言ってくれていた。
きっと今回も、疲れていたフラウレティアを気遣って、よく眠れるようにしてくれたのだろう。
フラウレティアは、何となく胸が温かいような気持ちで、自然と笑みを溢しながら起き上がった。
〘 目が覚めたのか 〙
ベットの上で、フラウレティアの足元に丸まっていた翼竜のアッシュは、彼女が起きたことに気付いて首を伸ばした。
「うん、おはよう。……?」
挨拶を口にしたフラウレティアが、上半身を起こした状態で止まる。
スン、と鼻を一度鳴らすように息を吸った。
嗅ぎ慣れた、いつもの二人の匂いでないものが混ざっている。
ほんの僅か、でも確かな違和感。
ほのかに鼻に残る、明らかに人工的なその香り……。
〘 フラウ? 〙
フラウレティアが固まっているのを見て、アッシュはその場で四肢を伸ばして立ち上がり、彼女の顔を覗き込むように側に寄った。
途端に、フラウレティアの眉根がキュッと寄った。
「……なんで……」
ぽつと、言葉が溢れる。
「なんでレンベーレ様の匂いが付いてるの?」
〘 えっ!? 〙
アッシュが慌てたように、首を下ろして自身の身体を嗅いだ。
ごく僅かに、レンベーレが使っている香油の香りがした。
アッシュのその様子に、フラウレティアの眉間が更に狭まる。
「レンベーレ様に会いに行ってたの? 眠ってる間に? どうして?」
〘 ……ちょっと相談したいことがあって、会いに行っただけだ 〙
「……すぐに戻って来るって言ったのに」
言葉が落ちるように溢したフラウレティアに、アッシュは何故か焦った。
〘 すぐ戻った! 〙
フラウレティアの中で、不安と共に、不信が揺れる。
自分が寝ている間に、わざわざ会いに行くなんて。
眠りの魔法を掛けたのは、もしかして、二人で会っている間に、起きないようにするためだったのだろうか。
モヤモヤとしたものが胸の中で大きくなって、内から塗りつぶされるような気がした。
〘 フラウ? 〙
どこか様子のおかしいフラウレティアに気付き、アッシュは人形に変態して彼女の肩に手を置く。
「っ!」
フラウレティアから湧き出た魔力が、アッシュを拒むように、強く抵抗を感じた。
「フラウ!」
「やだ……、ひとりにしないって、言ったのに……」
無表情のフラウレティアからこぼれ落ちる言葉が、まるで涙のようで、アッシュは息を呑んだ。
共鳴からアッシュがフラウレティアの意識を引き上げた時、『ひとりにしないで』と泣きじゃくったことを思い出した。
フラウレティアは、ひとりになることを何よりも恐れているのだ。
そして、アッシュという“家族”に、誰よりも絆を強く求めている。
「ひとりにしたりしない! フラウの魔力について相談に行っただけだ。師匠もいない今、魔力について相談できるのはレンベーレだけだろう?」
両手でフラウレティアの頬を挟み、自分の方へ向けたアッシュが、紅が混じり始めている彼女の銅色の瞳を覗き込む。
「だからっ、……悔しいけど手助けを頼みに行った。俺はフラウを守りたいんだ!」
アッシュはフラウレティアを抱きしめる。
「本当の家族だろう!?」
身体の周りに湧き出していた魔力が、ゆるゆると穏やかになっていく。
フラウレティアはアッシュの胸に額を擦り付ける。
「…………うん」
アッシュに抱きしめられて、そのひんやりとした固い肌に触れて落ち着いた。
―――アッシュはちゃんと、私を特別に大事に思ってくれている。
それが嬉しく、安心する。
それなのに何故か、まだ胸の奥で何かがチクチクと痛んだ気がした。
その時、扉をノックする音がして、二人は顔を上げた。
ディードはレンベーレと共に、フラウレティアの部屋に向かって廊下を歩いていた。
朝食を共に摂って、そのまま出発まで一緒にいるつもりだった。
今日、彼等は砦を出て、領街へ向かう。
そして、その時からディードとフラウレティアは、長く離れ離れだった父娘として振る舞うのだ。
「領街に帰るのは、やっぱり気が進みませんか」
一歩後ろを歩くレンベーレに言われ、ディードはチラと後ろを見やって苦笑する。
「これが本来の私の役割だ。……今まで逃げていて、すまなかったな」
「逃げていたわけではありませんよ……」
砦に居座っていても、ディードは全て投げ出していたわけではなかった。
大方の領地管理は信用出来る親族に代行させてあったが、連絡は密に取っていたし、領民の実情や嘆願なども報告を受け取って、それぞれに対処もしていた。
ただ、今は領主館になったディードの屋敷に、どうしても戻りたくなかっただけだ。
あそこには、亡き妻と娘の思い出が詰まっている。
レンベーレは『逃げてない』と言うが、結局逃げていたことに変わりはないと、誰よりも自分が知っている。
だが、状況が変わりつつある今、もうここで小さくなっているわけにはいかない。
この砦と、外で起こったことは、女王陛下の興味を強く引いたことだろう。
これ以上の無駄な出兵を止めさせるためにも、ディードはこのアンバーク領主として動かねばならない。
そう決意を新たにしたディードが、廊下の角を曲がる。
「フラウレティア、どうして何も言わないんだい!?」
「マーサ、落ち着けって」
途端にどこか切羽詰まったような声が聞こえて、ディードとレンベーレは共に視線を先へ向けた。
廊下の先、開け放たれたフラウレティアの部屋の入口に、マーサとギルティンが立っていた。
「このお守りをなんでアンタが持ってたのか、説明しておくれよ!」
突き出すマーサの手には、アーブの花を型どった、木彫りのお守りが握られていた。




