人間への頼み事
レンベーレが立ち上がり、アッシュの側まで来ると入り口の鍵を締めた。
「俺が来るのが分かっていたのか?」
「まあ、そんな予感がしたってところ」
手早く消音の魔術を扉に付与すると、レンベーレはくるりとアッシュに向き直る。
「……なぜ来たのかも、予想がついてるってことか?」
平坦なアッシュの言葉に目を細め、レンベーレはアッシュの身体に身を寄せる。
アッシュが自然と一歩下がると、それ以上にズイと寄って、赤い唇をアッシュのそれに近付けた。
「あら、こんな時間に男が女の部屋に忍んで来るのよ。他にどんな理由が?」
顔を寄せたまま、レンベーレがチラリと視線を横へやる。
その視線の先に、ベットが整えられていて、アッシュは鼻の上にシワを寄せた。
「バカかっ! そんなくだらない理由でフラウを置いてくるかっ!」
「ぶっ!」
激しく否定したアッシュを見て、レンベーレが噴く。
身体を折って、あははと可笑しそうに笑い、膝を叩いた。
「そんなに必死に否定しなくても、冗談よ」
レンベーレは、笑いを収めつつ彼の顔を見上げる。
それほど表情を変えていないのに、アッシュが感情的になったのを確かに感じて、一度大きく息を吐いた。
「やっぱり、アッシュは竜人族の中ではまだ子供なのね?」
アッシュの顔が無表情に戻る。
「人間達よりはずっと長く生きている」
「ええ、そうね。でも、竜人族の中では、まだまだ少年の域なんじゃないの?」
「……成人域には達している」
アッシュの深紅の目に、険が籠もる。
「ああ、怒らないの! 返しに余裕ないから確認しただけよ」
ぽんと肩を叩かれて、アッシュは軽くその手を払った。
「冗談はさておき、ここに来た理由はフラウレティアの魔力のことでしょう」
払われた手を擦りながら、レンベーレはベットに腰掛けた。
椅子を勧められたが、アッシュは立ったままで向き合う。
「明日には領街に入るから、フラウレティアの魔力を心配して相談しに来た。……でしょう?」
アッシュはゆっくりと頷いた。
「そうだ。……フラウの魔力はとても不安定だ。領街に入れば、俺には砦以上に勝手が分からないし……」
アッシュは一度言葉を切って、目線を逸らした。
「……魔力に関しては、俺はあまり役に立てないから」
レンベーレは軽く目を細めた。
「あなたがまだ若いからってこと?」
フラウレティアが精霊と共鳴して、戻れなくなっていた時のアッシュの様子を見て、レンベーレは彼はまだ若いのではないかと思った。
人間で言えば年老いて死んでいる程の年月を生きているのだろうが、竜人としてはまだ一人前とは言えないほどに、年若い。
竜人族といえば、その身体能力に加え、圧倒的な魔力と自在な魔法行使で、上位種とまで言われていた存在だ。
それなのに、アッシュはあの時、フラウレティアの溢れ出た魔力を前に、なす術なくレンベーレに助けを求めた。
フラウレティアの魔力量が多いからと言っても、アッシュの魔力量とは比べ物にならない。
それでも、抑えてやることも出来ていなかった。
それで、アッシュはまだ、未熟な若い竜人族なのではないかと推測したのだ。
しかし、レンベーレの問いに、アッシュは軽く首を振った。
「確かに俺は、竜人の中では若年だ。だが、魔力に関して役に立てないのは……、魔力の扱いが苦手なんだ」
無表情に言ったアッシュを見つめて、レンベーレが眉根を寄せた。
「竜人族なのに?」
言い伝えでの竜人族といえば、強大な魔力と魔法は、その存在に当然付いてくるものだ。
竜人族と魔法はセットなのだ。
「…………才能がないんだと」
アッシュの声に苦々しいものが混じる。
レンベーレはただ驚いて、口をポカと開いて固まった。
人間の能力にだって個人差があるのだ。
竜人族にだってあるのだろう。
頭ではそう思うが、伝説になっている竜人族が、あまりにも統制された高い能力を持った種族であるので、今目の前に規格外の竜人がいることが不思議でならなかった。
「それに、フラウは……人間だ。人間のアンタの方が分かってやれることもあるだろうから」
言いながら悔しさが滲む。
だが、アッシュがどんなに悔しがろうと、フラウレティアが人間という種族であることは変えられない。
「……だから、頼む」
軽く頭を下げたアッシュを、レンベーレは溜め息混じりに見つめた。
「分かった。出来るだけ気にして見ておくわ。代わりといっちゃなんだけど、あなたのことも見せてよ、アッシュ」
「俺のこと?」
アッシュが警戒を露わにすると、レンベーレは赤い唇をニイと笑みの形にする。
「そうよ。今や伝説となってしまった竜人族の生態が知れるのよ。逃す手はないわ」
「レンベーレ……!」
「別に何かするわけじゃないわ。ただ知りたいと思うの。……なぜ上位種と呼ばれた竜人族は滅びへ向かったのか」
魔術士ならば、誰もが大なり小なり興味を持つこと。
かの偉大なフルブレスカ魔法皇国が、なぜ滅んだのか。
神々の選んだ種族だと主張して憚らなかった竜人族が、本当に世界を壊すような真似をしたのか。
そして、生き残っている竜人族と人間達は、同等に交わることは出来ないものなのか……。
「竜人族のことを、人間はもっと知りたいのよ」
翌朝、マーサはまだ人の気配のない厨房に入った。
休めと言われていても習慣で目が覚めたし、ここに来ないと、一日が始まらないような気がして落ち着かないのだ。
火傷も大したことはない。
ちゃんと気合を入れるから働かせてよ、と言うつもりだった。
一度深呼吸をして、いつもの炉の前に進んだマーサは、その側に置かれてあるお守りを見て、目を見開いた。
「これ……なんで……」
震える手で持ったそれは、確かに自分が息子に渡した物だ。
無事を祈って彫ったのはマーサ自身なのだから、間違えようがない。
しかし、息子の骸を清めた時にも、残された荷物を確認した時にも、このお守りは見つからなかった。
きっと、魔の森で命を落とすまでに失くしたのだろうと思っていたのに、なぜ今ここにあるのか。
「あれ? マーサさん、おはようござ……!?」
下働きの下男が裏口から入って来たのを見て、マーサが勢いよく詰め寄った。
「これっ! 誰が置いたんだい!?」
「え? ええ?」
わけが分からず、肩を掴まれて困惑する下男の後ろから、顔を覗かせた下女が小声で呟いた。
「あ、それ……」
「知ってるのかい!?」
躊躇うように口籠る下女に、尚もマーサは問い詰める。
その勢いに負け、下女は消え入るような声で言った。
「それ、確かフラウレティアの鞄に入ってた……」
下女は、以前フラウレティアの鞄から浄化石を抜き取った者だった。




