兵士との衝突
部屋を出る時に、翼竜は部屋に置いておいたらどうかとエイムが言ったが、フラウレティアと離れるつもりがないアッシュに睨まれて怯む。
「朝礼の時にアイゼル様が、フラウレティアさんと翼竜について皆に話して下さったので、大丈夫だとは思いますが……」
エイムはちらりとアッシュを見る。
アッシュはフンと鼻を鳴らした。
フラウレティアに与えられている部屋は、砦の本館二階にある一室だ。
そこから廊下を歩いて、西側の階段を降りる。
廊下で何人かの下女や下男とすれ違ったが、彼らはアッシュを見て、急いで廊下脇に避けた。
階段を降りていると、下からいい匂いが漂ってきた。
煮炊きする温かな空気。
焼き立てパンの香ばしい香り。
アッシュがフラウレティアの顔の横で、クンクンと鼻を動かした気配がする。
「いい匂い」
思わず口に出た。
「ああ、下に食堂があるんです。そろそろ昼時ですからね」
エイムが笑って言った。
一階に着くと、廊下を通って別館の医務室に向かう。
正面から、食堂に向かうのであろう兵士の集団がやってきた。
談笑しながら歩いてきた集団の数人が、エイムとフラウレティアに気付き、ギクリとしたように足を止めた。
前が詰まったので、後ろの兵達も止まってこちらを見た。
「魔獣だ……」
「アイゼル様が言ってたのは、あれか」
彼等が見つめているのは、フラウレティアの左肩に乗ったアッシュだった。
和やかな雰囲気と温かな匂いに包まれていた場は、急速に張り詰めていく。
兵士たちは剣を持っていなかったが、明らかに警戒して身構えた。
その視線は険しい。
フラウレティアは、人間が魔獣に向ける敵意を初めて感じた。
人間にとって、魔獣は忌むべきもの。
そして翼竜は魔獣なのだ。
たとえ、フラウレティアにとっては、アッシュが家族でも。
張り詰めた雰囲気に、エイムがフラウレティアと兵士を見比べて間に入った。
「皆さん、あの、彼女は医務室に行くだけですから、通して下さい」
「砦内でなぜ魔獣を連れ歩く」
エイムを押しのけるようにして、先頭の兵士が言う。
その声は刺々しく、目はアッシュを睨んだままだ。
アッシュは、深紅の瞳で兵士達を静かに見返して動かない。
その瞳には何の感情も見られなかった。
「大丈夫です。アッシュは暴れたりしないし、人間に危害を加えたりしません」
フラウレティアは兵士に向かって言う。
アッシュを庇うように、自然と左半身を一歩引いた。
「信用できるか!」
隣の兵士がフラウレティアに向かって吐き捨てた。
「魔獣は魔獣だ。言うことを聞くというなら、砦にいる間は鎖に繋いで牢に入れておけばいい」
兵士がフラウレティアを睨んだ。
フラウレティアは息を呑む。
初めて受ける正面からの敵意に、小さく身震いした。
その途端、アッシュがバサリと翼を広げ、低い声で唸る。
フラウレティアがアッシュを止めようとした時だった。
「ああ、いい匂いだな」
突然、兵士達の後ろから、場違いに穏やかな声が響いた。
皆が揃ってそちらを見ると、ディードがエナを連れてこちらにやって来ていた。
「団長」「ディード様」
兵達が名を読んで、自然に左右に道を開ける。
間を通るディードは、左手に長剣を握り、使い込まれた革の胸当てと脛当てを身に着けている。
ディードはフラウレティアの方へ歩きながら、兵達に押しやられて壁際で膝をついていたエイムを、片手で軽く引き上げた。
「フラウレティア。君も翼竜も、この匂いにつられて来たのか?」
笑顔で問いかける。
「いいえ、そうではなくて。医務室に行く途中なんです」
「グレーン薬師に診てもらおうと思いまして」
エイムはディードに礼をしてから言う。
「そうか。てっきりこの焼き立てパンの香りにつられたのかと思ったぞ」
ディードは、斜め後ろに付き従っているエナに、無造作に剣を預けると、目を閉じて鼻から大きく息を吸って見せた。
そのうっとりとした様子に、周囲の雰囲気が少し緩んだ。
「確かに、いい匂いです」
フラウレティアが軽く微笑むと、ディードは笑みを深くして、不意にアッシュに手を伸ばした。
「団長!!」「ディード様! 危険です!」
魔獣に丸腰で手を伸ばしたディードに、兵達が一斉に身構えた。
「従魔は」
ディードの力強くよく通る声が響き、皆ビクリと動きを止める。
「主に危害を加えない限り、主の命令なしには人を傷つけない」
ディードはそのままアッシュと目を合わせ、半分開いたままの翼に触れた。
アッシュはやや身体を強張らせたが、ディードの目を見つめたまま動かない。
「あらためて見ると、君の翼竜は美しいな」
ディードは柔らかく言うと、アッシュの白い翼を撫でてフラウレティアの方を向いた。
フラウレティアは、ディードの優しい海色の瞳を見て、彼が、アッシュは危険な魔獣ではないと、皆に証明してくれようとしているのだと悟った。
恐らくアッシュもそれに気付いて動かないのだ。
「……はい。アッシュはとっても綺麗でしょう? でも、その体が傷付いても、いつも私を守ろうとしてくれます」
フラウレティアはアッシュを見つめる。
窓から入る陽光で、アッシュの体の白い鱗が淡く輝いている。
よく見れば、その体には小さな傷がいくつも付いていた。
「魔穴に巻き込まれた時も、私を庇ってくれました。それだけじゃない。悲しい時は寄り添って、嬉しい時は一緒に笑ってくれる……」
フラウレティアは左手でアッシュの体をそっと抱き寄せ、その首元に額を添わせた。
硬く冷ややかな、人肌とは違うアッシュの皮膚の感触。
だがそれは、フラウレティアにとって最も安心する感触だ。
「アッシュは私の大切な家族です」
その時のアッシュは、とても驚いているように見えた。
見開いた深紅の瞳は血の色ではなく、冬の温かい炎のように優しく揺らいでいた。
半分開いていた白い翼は、小さく震えた。
フラウレティアが自分のことを、そんな風に思っていたのを知らなかったかのように。
アッシュは目を伏せ、寄せられたフラウレティアの頭を自分の首で優しく撫でる。
その姿は慈しみに溢れていて、まるで人間のようだった。
その場にいた誰もが、フラウレティアとアッシュの姿に見入っていた。




