本物の家族
両腕をう~んと天井に向けて上げ、フラウレティアがベッドの脇で大きく身体を伸ばした。
日の入りを過ぎて、ようやくベッドから出ることを許されたのだ。
正確に言えば、エイムとディードから、“明日には自由に動いて良い”と許可して貰ったのだが、部屋を出なければもうベッドから降りてもいいだろう。
元々活発な方なのだから、目が覚めてしまえば、ベッドにずっと転がっているのは苦痛なのだ。
〘 本当に良かったのか? 〙
ベッドの上でピシリと尾を叩き、アッシュが不機嫌そうに言った。
「何が?」
キョトンとして、フラウレティアがベッドの端に座った。
座るとすぐに、アッシュの前足に手を伸ばす。
〘 ディードの娘ってことにして、いいのかってことだよ 〙
アッシュの言葉に、フラウレティアはさらに首を傾げた。
「だって、ここに来てからずっと色々隠していたもの。同じでしょ? 領街に入るなら今以上に出自を隠さなきゃならないって、もう分かっていたし」
それに、とフラウレティアは声を落とす。
「何だか、ディード様の為には、受け入れるべきなんじゃないかって思って……」
『言い方は悪いが、これが一番都合が良い理由だったんだ』
そう言ったディードは、今まで見た中で一番苦しそうに見えた。
草原で共鳴を経験したからだろうか。
フラウレティアは何故か、ギルティンやディードの側にいると、彼等の苦しみを感じられたような気がしていた。
アッシュが再びピシと尾を叩いたので、フラウレティアはハッとしてアッシュを見下ろす。
「……もしかして、アッシュは嫌だった?」
〘 別に…… 〙
アッシュは言葉を濁す。
正直に言えば、いい気分ではない。
というか、少し腹立たしい。
フラウレティアは、自分が拾って育てた、娘みたいなもので……。
アッシュはブルと首を振る。
だが、重要なのは、アッシュの気持ちではない。
〘 俺が嫌とかじゃなくて、偽物の娘役なんて、そんなのは駄目だろ。フラウが欲しいのは、“本物”の家族なんだから…… 〙
本物の人間の親族が見つかったのならともかく、完全に別人だと分かっている者を父親とするなど。
それは、フラウレティアを傷付けることにならないだろうか。
フラウレティアがドルゴールで、どうやっても竜人族とは違う自分を感じ、そこに消すことの出来ない孤独感を持っていることを、アッシュはずっと感じてきた。
どれだけアッシュが彼女を大事に思っていても、どうしても消すことの出来ない、たった一人だけの種族であるという寂しさだろう。
それは悔しいことに、竜人族であるアッシュには、どうしてやることも出来ないのだ。
しかし、アッシュの悔しさの上に降ってきたのは、思いがけない言葉だった。
「本物は、アッシュだもの」
アッシュは弾かれたように顔を上げる。
その首に、フラウレティアはがばと抱きついた。
「他の人の娘役なんて、別に何でもない。だって、私の“本物”の家族はアッシュだもの」
ドルゴールにいても、ずっとひとりでいるようで、どこか寂しかった。
人間の中に入れば、それを埋められるものが見つかるのかもしれないとも思った。
でも違う。
眠っている時の光の中で気付いた。
どんな時にも側にいてくれて、気遣い、励まし、寄り添ってくれる。
それはアッシュだ。
人間だとか、竜人だとか、そんなことではなかった。
フラウレティアにとって、今や“本物”の家族は、アッシュだ。
求めてやまないものは、既に側にあったのだ。
「アッシュがいるから、私は大丈夫なの」
ギュウと首を抱き、フラウレティアは心からそう言った。
不意にアッシュの身体がぐずりと崩れた。
バランスを崩したフラウレティアを、すかさず人形を現したアッシュが抱き止めた。
そして、鱗を立てていない滑らかな身体で、力強く彼女を胸に抱く。
「え、アッシュ……、どうしたの……?」
フラウレティアは目を見開いて、身体を固くした。
アッシュが人形で自分を抱きしめるなんて、今まで早々なかったことなのに、今日だけで二回目だ。
「…………わ……、分からないけど、今はこうしたいんだっ!」
何だかよく分からない理由を吐いて、アッシュが腕に力を込める。
その顔は見えないが、フラウレティアは息を詰めた。
昨日目覚めた時に、わんわんと大泣きして縋ったから、アッシュは気を遣ってくれているのだろうか。
ひとりは嫌だと、わがままを言ったから。
そうだとしても、アッシュがこうしてくれることが嬉しくて、フラウレティアはちょっと苦しいと思いながらも、アッシュの胸にギュウと頬を押し付けたのだった。
ディードの執務室では、慌ただしく引き継ぎ業務が行われていた。
ディードは明後日に領街へ戻る際、とうとう警備団長の座を退くことに決めた。
領主の在るべき場に戻るのだ。
本来なら、領主の座を継いだ時点でそうするべきだったが、ずっと先延ばしにしてきた。
領主一族として存在するはずだった、親兄弟とその家族達。
そして愛する妻と娘。
全て失った領地内から離れ、砦にいることで精神安定を得てきたからだ。
しかし、今回出現した魔獣からの一連の出来事で、中央には報告に出向かなければならない。
そもそも、そろそろ領内の屋敷に戻ると、レンベーレと約束していた。
その上、フラウレティアを生き別れていた娘だとしたのだから、領内の屋敷へ連れ帰らねばならない。
明後日からは、現副官のアイゼルが団長となり、砦を仕切っていくことになる。
「……本気か? ゆっくり休養してから考えて構わないんだぞ?」
日の入りから一刻以上過ぎた頃。
執務室を訪れたギルティンに向かって言ったのは、眉根を寄せたアイゼルだ。
ギルティンが、第一部隊長を降り、アンバーク砦で兵士を続ける事自体を辞めると言うのだ。
「いえ、もう決めたことです。コイツは多分、治っても今までみたいに、存分には動き回れないでしょうから」
ギルティンは、負傷して引きずるようにしていた右足を叩く。
だが、悲観したようには見えず、むしろどこかスッキリしたような顔付きだ。
「次の隊長は、各部隊共に副隊長を推薦します。第二部隊の方でも話しましたが、それで揉めるようなことはないと思います」
ギルティンは既に後任を選定し、兵士達とも話をしているらしい。
「それで、ここでの兵士を辞めて、これからどうするつもりだ?」
ディードが気遣うような声音で言うと、ソファーに座ったレンベーレも興味あり気に顔を上げる。
「領主様に私兵として雇って頂けないかと思ってるんですがね」
「私兵? 領主館の衛兵になるつもりか?」
てっきり以前の傭兵に戻ると言うのかと思っていたディードは、驚いてギルティンを見遣る。
ギルティンはニッと口角を上げた。
「フラウレティアの護衛にして頂きたいんです」




