作られた身分
この非常時に、ディードが私室にフラウレティアを匿ったことで、彼女の存在は改めて砦の人間に強い印象を与えた。
下手をすれば魔力暴走を起こしそうなフラウレティアを、誰の目に止まるか分からない所に留められなかったとはいえ、殆どの者はそんな理由を知らない。
様々に流された噂を否定する為に、ディードはフラウレティアを、行方不明であったアンナだと明言した。
説明をされて、アッシュは怪訝そうに眉根を寄せる。
「行方不明? 何でたよ。アンタの娘は机の肖像画の……」
言いかけて、ふと気が付いた。
ディードはあの絵を指して『最愛の家族』と言ったが、それが健在であるかどうかまでは口にしていない。
軽く舌打ちして、アッシュが再び口を開こうとした時、ようやく我に返ったフラウレティアが、ギュウと抱き締めたままの彼の腕を叩いた。
「……アッシュ、苦しい」
「え? あっ、悪い!」
アッシュは、急いで腕を緩めた。
今までフラウレティアを抱き締めていたままだったことに、ようやく気付いた。
身体を離し、改めてフラウレティアの顔を見れば、彼女の顔は随分赤かった。
「そんなに苦しかったか? ごめんな」
顔を覗き込んで謝る。
フラウレティアは何故か困ったような顔でアッシュを見たが、ぶんぶんと首を振った。
「……私の妻と娘は亡くなっているが、訳あって遺体は見つかっていない。だから、出自を知らず、他で育てられたフラウレティアが、私の娘だとすることは条件が合っているんだ。歳もほぼ同じだしな」
淡々と、ディードは説明を続ける。
「知り合いだとか、他になんか上手い言い訳はなかったのかよ」
アッシュが吐き出すように言葉をぶつけた。
フラウレティアを他の人間の娘とすることが不満だと、全身から滲み出ている。
「……確かに、他にも理由はつけられただろう。だが……、言い方は悪いが、これが一番都合が良い理由だったんだ」
ディードが小さく息を吐くと、レンベーレが重く垂れた髪を払って、先を続ける。
「フラウレティアを守るためでもあるのよ」
「守る?」
途端にアッシュの気配が固くなった。
不浄にまみれた魔獣出現の一件は、派遣された騎士達の骸が突然現れたことで、一気に話が広まった。
騎士達の骸を正しく身内に返す為に、アンバーク領に限らず、国中に魔術通信が成されたからだ。
そして、この数日、砦には多くの者が出入りした。
それらの殆どは、アンバーク砦に普段関わることのない者達だ。
彼等はここで起きた、前代未聞の出来事に興味を持ち、様々な噂や情報を耳にしただろう。
「私が昨日砦に来る前には、既に翼竜に関係する噂が領内に出回っていたわ」
レンベーレは赤い唇を歪める。
『翼竜がアンバーク砦を襲った』
『翼竜が魔獣を連れてきた』
そんな噂ならまだしも、『派遣されていた騎士達が翼竜を捕まえて戻った』などと、ねじ曲がって、全く真実とはかけ離れた噂もあった。
「……きっとその噂は、騎士の骸が戻って来た事実と共に、中央まで届いているわ」
「中央って?」
アッシュが訝しげに聞き返す。
「フルデルデ王国の中心よ。勿論そこには、女王陛下の座する宮殿が含まれる」
レンベーレとディードの視線を辿り、フラウレティアはアッシュを見上げる。
竜人族の血肉を欲して、ドルゴールへ向けて何度も兵を送った女王。
その者の耳に、翼竜の存在が入ったら……。
フラウレティアは無意識にアッシュの腕を握った。
「砦の兵士には口外禁止と通達してあったが、どこでどう伝わったものか、“翼竜を従魔とする少女”の存在は、既に噂としては領内に流れている」
ディードは苦々しい調子で言葉を吐き出した。
砦に出入りするものは、何も兵士に限ったものではない。
生活するに必要な物資、食料を配達する業者は、割りと頻繁に出入りするし、先日から建具の修理で、職人も出入りしている。
そういう者達が、砦の中でどういう話を聞き、それを領内でどう話すか、それら全てを管理しきれるものではない。
「もっと多くの者が“少女”に関心を示す前に、正体を固定しておくことが賢明だと思った」
今後のフラウレティアを守るためにも、行方不明であったディードの娘ということにするのが一番安全だ。
その生い立ちに興味は持たれても、領主の一人娘という立場を得れば、大概の者は手を出せなくなる。
ディードは一度言葉を切る。
「…………しかし、君達に何の相談もなく表明してしまったことは、浅慮だったと思う。……すまない」
とても苦し気に頭を下げられ、フラウレティアは大きく首を振った。
「ディード様が良かれと思ってして下さったのに、不満なんてないです」
「だが、フルデルデ王国内に入ることを前提で話を進めたが、状況が変わった今、君達がドルゴールへ帰るという選択肢もあったろう」
婚外子を疑われたことで、図らずも視野が狭まり、感情的に結論を出してしまったことを、ディードは今更悔いていた。
“人間の世を知る”
その目的は、ここでなければ達成できないというわけではない。
いっそ、アンバーク砦にいる今の内に、フルデルデ王国から外へ出してやった方が良かったのかもしれなかったのに。
「私、予定通り領内で生活してみたいです」
迷いなく放たれた声に、ディードは目線を上げた。
フラウレティアが曇りのない瞳を向けている。
彼女はアッシュの腕を掴んだままだったが、それでもどこか晴れやかな表情だった。
「今ドルゴールへ帰っても、これからどう生きていくべきか決められません。私はもっと、色んな事を感じて、知りたいんです」
言って、フラウレティアはチラとアッシュを見た。
「それに別の場所に行ったとしても、ディード様達みたいに、そのままの私達のことを受け入れてくれる人が現れるとは限りませんし」
向けられた微笑みには、信頼の情が滲んでいて、ディードはそれを眩しく感じた。
一瞬、チクリと胸が痛んだのは、別人を娘と偽った事の、妻と娘に対する申し訳無さなのか。
それとも、フラウレティアに娘を重ねたことへの罪悪感からなのか。
ディードが言葉を続けられないのを見て、レンベーレが口を開く。
「中央から、ディード様に召集命令が出たの。早々に領街に戻って頂くわ。だから、フラウレティアが“ディード様の娘”であることを受け入れるなら、ディード様と共に砦から出発してもらうことになる」
フラウレティアは目を丸くする。
「……明後日には、ここを出るわ。いい?」




