縛られていた魔力
アッシュは唖然として、鋭い牙の並んだ口をパカと開いた。
しかしフラウレティアは、さも当然のように続ける。
「出来そうだと思ってイメージしたら、出来ちゃったの。ね、どうしてかな? 今まで、ちっとも思い通りに魔力を動かせたことなんてなかったのにね」
大きな目をパチパチと瞬いて、フラウレティアは首を傾げた。
その可愛らしい仕草をするフラウレティアの身体には、時折薄くオーラのような魔力が滲む。それは、強い魔術素質を持った者特有のものだ。
精霊が加護を与えた者に見られる、執着の魔力と違って、常に身体の周りに見えるわけではない。
魔術を使う時や、気持ちの昂りに反応して、僅かに身体の周りに魔力が滲んで見えるのだ。
その色は、本人の主属性に近い色合いになる事が多いが、フラウレティアの魔力は限りなく無色に近かった。
言うなれば、光だ。
色というよりは、僅かに明るい、という形容が正しいかもしれない。
―――それは、どちらかといえば、人間の魔力よりも、竜人族のものに近い。
アッシュは口を閉じながら、思い出す。
フラウレティアが魔術素質を持っていると分かったのはいつだっただろう。
確か、ようやく一人で立ち上がれるようになった頃。
まだ赤ん坊の域を出ていない頃だ。
赤ん坊の頃にはっきりと分かるくらいだったから、きっと成長と共に魔力も大きくなり、自在に操ることができるようになるだろうと思った。
アッシュの予想通り、フラウレティアの魔力は、成長に比例する以上に大きくなり始めた。
竜人ならば、意識せずに手足や尻尾を動かせるように、赤ん坊の頃から身の内の魔力を当たり前に動かすことが出来る。
多少不安定であっても、暴走するようなことはなく、成長と共に安定する。
しかし、フラウレティアはそうでなかった。
彼女の魔力は限りなく不安定で、とても危なっかしいものだった。
もしかしたら人間はそういうものなのかもしれないが、人間の成長を一から見たことがないアッシュには良く分からない。
分からないので見守っている内に、ある時、突然安定したのだ。
いや、安定したと表現するのが正しいのかどうか。
フラウレティアは、いくつか意味のある言葉を覚えた頃に、何故かすっかり身の内から魔力を表に出せなくなってしまったのだ。
確かに内にあるようなのに、少しも表に出てこない。
アッシュは不思議に思ったが、本人はそれで全く調子は変わらないようだったし、丈夫に育っていたので気にしなかった。
そもそも、人間の成長過程は驚くことばかりだったので、魔力についても“そんなものか”程度の感覚だったのだ。
しかし、よくよく考えてみれば、内包魔力を少しも表に出せないなどと、不自然極まりない。
もしかしたら、アッシュの気付かないところで、フラウレティアは、誰かに縛りを受けていたのではないかという可能性に気付いた。
増大する不安定な魔力が外に出ないよう、縛りを課されていたのだとすれば、突然今になって彼女の魔力が外に出てきたことも頷ける。
もしこの考えが正しいのならば、その縛りを課したのは、ハドシュかハルミアンだろう。
又は、二人共が関わっているのかもしれない。
時期を思い出しても、それ以外には考えられない。
……俺のフラウに、勝手なことをしやがって。
アッシュは無意識にギチと牙を鳴らした。
「アッシュ? どうしたの?」
突然声を掛けられて、考えに沈んでいたアッシュは我に返った。
フラウレティアと目が合って、何故かドキリとする。
俺は、今何を考えた?
“俺のフラウ”?
アッシュはサッと目を逸らす。
違う、別にフラウは俺のものってわけじゃない。
そうだ、ただ拾って育てたのは俺で、俺に無断でハドシュ達がフラウに勝手なことをしたのなら許せないってだけで……。
何故か言い訳のように頭の中でグルグルとして、アッシュはベッドの上で、伏せていた身体を起こした。
「アッシュ? どこ行くの?」
何も言わずに添っていた身体を離されて、フラウレティアが途端に不安気な声を上げる。
〘 え? 体勢を変えようと思って 〙
答えたアッシュに、フラウレティアは見るからに安堵した表情を見せた。
「そっか、良かった……」
そう言って、体勢を変えたアッシュの鬣に手を伸ばした。
眠りから覚めて大泣きしてから、フラウレティアはどこか不安気だ。
魔力の縛りが解けたことも関係しているのかもしれないが、とにかく、アッシュが離れるのを極端に不安がった。
『いやだぁ……一人にしないで……!』
そう言って泣いたフラウレティアは、レンベーレの言う通りならば、アッシュの心と共鳴して戻って来た。
それならば、フラウレティアもまた、アッシュと離れることを何よりも恐れているということだ。
〘 ……大丈夫だ、フラウ。俺はどこにも行ったりしないから 〙
アッシュはフラウレティアを見上げて言った。
彼女は嬉しそうにコクンと頷いた。
フラウレティアの手で鬣を撫でられながら、アッシュは再び考えに沈む。
ハドシュ達がどういう理由で縛りを課したのか、はっきりとは分からない。
ただ分かるのは、強力な彼等の魔力で課した縛りを、フラウレティアが解くことが出来た、ということだ。
おそらく、黒い霧の中での共鳴は、縛りを解く程の衝撃だったのだ。
だとしても、実際に解いたのはフラウレティアだ。
これから更に人間の世を知ろうとしている今、彼女の魔力の縛りが解けたことは、果たして良いことなのだろうか。
アッシュは漠然とした不安を感じた。
ディードがレンベーレを連れて私室に戻って来たのは、昼の鐘を過ぎて随分経ってからだった。
「……私が、ディード様の娘ってことに……ですか?」
フラウレティアがベッドの上で、首を傾げた。
フラウレティアを自分の娘のアンナだと宣言したことを、ディードが話したのだ。
〘 ふざけんな! フラウは俺の……! 〙
フラウレティアの太腿を跨ぎ、噛み付かんばかりの勢いで講義しようとしたアッシュは、“俺の娘”と口から出すことが出来ずに、思わず大きな口をパクパクと動かす。
「あー、悪いんだけど、喋りたいなら人形になってよアッシュ」
レンベーレが眉根を寄せて言うと、アッシュは即座にその輪郭をぐずりと崩して人形を現した。
途端にベッドの上で、口を開こうとしていたフラウレティアを抱き締め、ディードに向けて唸った。
「アンタの娘はちゃんといるだろう! フラウはやらない!」
フラウレティアはアッシュの腕の中で、目を真ん丸にして言葉を飲み込んだ。
何か色々と質問も言いたいこともあったはずなのに、驚いて全部吹っ飛んでしまった。
「全部説明するから、少し落ち着いて話を聞いてくれないか」
そう言ったディードは、少し疲れている様子で、アッシュはまだフラウレティアを抱き締めたまま唸っていたが、レンベーレが頷くのを見て、仕方なく顎をしゃくった。
「……話してみろよ」




