謎は残ったままで
魔の森から出て来た不浄を纏う魔獣は、草原の中程で倒された。
黒い霧の中心辺りであった場所には、二回りほど小さくなったクマ型の魔獣が、首を飛ばされて倒れていたが、その首を落とした者が誰なのか分からないままだ。
黒い霧で覆われていた場所には、その霧が晴れると同時に、多くの骸がばら撒かれた。
一体、とうしてそんなことが起こったのか。
それは、魔獣を足止めする為に出て生き残った兵にも、彼等を救出するために出ていた兵にも分からなかった。
魔獣が倒される前に、一番魔獣の近くにいたはずのギルティンも、何が起きたのかは分からないと言う。
ただ、何もないところから物が出現するという事例と、魔獣が関わっていたことから、魔穴に関係するのではという予想は立てられた。
草原に突如ばら撒かれた骸は、確かにフルデルデ王国の騎士や兵士達のものだった。
最後に壁門を出て行った、騎士を中心とした隊だ。
それらを回収する為に、アンバーク砦は上を下への大騒ぎになった。
魔穴に巻き込まれていた為か、どの骸も亡くなってからそれ程経っていないかのような状態だった。
魔の森での激しい戦闘を思わせる傷は多かったが、腐敗などはない。
不浄に侵されていないか神官達の確認を経てから、順に砦へ運び込まれた骸は、人数として数えられるだけで二十人弱。
残りは部分的な骸で、それらを全て拾い上げ、回収し終えたのは、魔獣を倒してから、丸三日後のことだった。
臨時の病棟と化した別館で、エイムは忙しく立ち働いている。
魔獣の足止めに出た討伐隊の二十人の内、生きて砦へ戻って来たのは九人。
実に半数以上が黒い霧の中で命を落とした。
戻って来れた者も、身体の欠損に始まり、大小様々に怪我を負っていた。
不浄の塵に精神をやられた者もいる。
「……遺体の回収は終えたんだろう?」
「ああ。もう確認して、引き取りに来た親族もいるってよ」
寝台に寝転がる兵士達の会話を漏れ聞き、エイムは軽く眉をひそめた。
騎士達の骸が出現して、その回収を決めた時、ディードは急ぎ領内へ連絡を入れた。
騎士が中心の部隊だった為、その身元が知れる者も多い。
遺体は速やかに親族の下へ返さねばならない。
それに、屋内にある演習場が臨時の遺体置き場となっているが、火の季節の今は、腐敗も早いのだ。
エイムは思わずぶるりと身体を震わせる。
騎士の一隊がこのアンバーク砦を通った時、エイムは隊に同行するよう申し付けられたが、ディードがそれを断ったので残ることが出来た。
もしあの時、ディードが了承していたら、自分はあそこに集められた遺体のひとつになっていたかもしれない。
再び身の内から震えが上がってきて、エイムはギュッと瞼を閉じて深呼吸した。
そんなことを考えていないで、仕事をしなければ。
目を開けたエイムは、ふと、一番奥のベッドが空であることに気付いた。
そこに寝ているはずのギルティンがいない。
すぐ側で話している兵士に聞いてみるが、暫く前に出て行ってから、戻っていないという。
ギルティンは全身に傷を負っていて、砦に帰って来た時には、失血の為に一時気を失った程だ。
「もう……、安静にって言っておいたのに……」
思わず独り言を呟いて、エイムが椅子から立ち上がると、ちょうど部屋の入口から声が掛けられた。
「エイムさん、包帯が足りないのですが、在庫は何処にありますか?」
手伝ってくれている下女だ。
医務室に人手が足りないので、急遽下働きの者を数名、応援に頼んでいた。
「あ、用具部屋の棚に……。私も行きますね」
手元の薬剤が空になりそうだったので、説明するよりも一緒に行く方が早いと思い、エイムは歩き出す。
薬師見習いは一人増えたが、グレーンがいなくなり、今は全く手が足りない。
下男や下女が手伝ってくれても、彼等は全く勝手が違うことを手伝わされるのだから、それ程戦力にはならない。
エイムは部屋を出ながら、小さく溜め息をついた。
今の状況で、フラウレティアが医務室を手伝えないことが痛手だ。
「フラウレティアさん……」
フラウレティアを案じて、エイムの口から声が漏れる。
フラウレティアは魔獣が倒された三日前から、深く眠ったままだった。
「すまない、少し席を外す」
副官のアイゼルに声を掛け、ディードは執務机の前から立ち上がった。
東本館の執務室から出て、同じ階の端にある私室へ向かう。
普段は朝私室を出れば、その日の業務が終わるまでは私室に戻ることは殆どない。
しかし、昨日も今日も、ディードは目の回るような忙しさの間の僅かな時間、私室に数回足を向けていた。
ディードの私室には今、フラウレティアが眠っている。
あの日、魔獣が倒れると同時に起こった現象を、遠眼鏡で多くの者が見ていた。
砦中が騒がしくなった中、ただ一人、顔色を失くしたエナがディードの下へ戻る。
そして彼は、屋上から見た全てを震えながらディードに話した。
エナは、屋上でアッシュが人形を現すところを見ていた。
その話を聞いて、あの平原を駆けてきた正体不明の兵士が、アッシュとフラウレティアであったことをディードは確信した。
以前に聞いた、”隠匿の魔法“というものが、おそらく彼等の正体を曖昧なものにしたのだ。
フラウレティアとアッシュが、あの魔獣に向かったのなら、二人は何処へ消えたのか。
そう案じたディードが、多くの指示に時間を費やした後で執務室に戻れば、部屋の暗がりに、眠るフラウレティアを抱えて、途方に暮れるアッシュが佇んでいたのだった―――。
私室の入口に繋がる、突き当りの角を曲がると、そこにギルティンが立っていた。
肩を丸めるようにして壁に凭れた彼は、どう見ても顔色が悪い。
「ギルティン! 何をしている? 横になっていなくても大丈夫なのか?」
驚いて側に寄ると、彼は壁に寄りかかったままディードを見上げた。
「ディード様、嬢ちゃん、ここにいるんですよね?」
低く言ったギルティンの目は暗い。
二日前の惨状を全て目にし、側で多くの仲間を失った彼からは、以前の快活さは失われていた。
不浄の塵に多く触れたことも影響しているのだろう。
むしろ、最奥で魔獣と対峙して、正気で戻ったことが信じ難い程だ。
「……フラウレティアに、何の用が?」
気遣うように、ディードはギルティンを支えようとしたが、ギルティンはその手をやんわりと拒んだ。
「嬢ちゃんは……あの娘は……」
ギルティンは先の言葉を飲み込む。
「あの娘が目を覚ましたら、会わせて下さい」
「……何故だ?」
「お願いです。あの娘と会ってから、ちゃんと話します」
何処か思い詰めたようなギルティンを見て、ディードは深く息を吐く。
「分かった。目を覚ましたら必ず知らせる。だから今は身体を休めるんだ」
その言葉を聞いて、ギルティンは壁から身体を起こす。
痛むはずの身体でぎこちなく立礼すると、彼は負傷した片足を庇いながら立ち去る。
あの黒い霧の中で、何があったのだろうか。
隊の戦いと被害以外、まだ語ろうとしないギルティンの後ろ姿を見て、ディードは深く息を吐いた。




