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老エルフの理想

ドルゴールの崖壁の際に立ち、北東の空を見つめているのは、竜人ミラニッサだ。


女性であっても大柄で筋肉質な竜人族は、その肢体が描く曲線が、人間の女性のような柔らかなものではない。

一見、背の高い人間の男かと思うような引き締まった後ろ姿に、濃い灰色の長い髪が重く垂れ下がる。

薄灰色の肌には、鈍く輝く固い鱗。

竜人族の女性の多くがそうであるように、ミラニッサも、目尻がキツく吊り上がった大きな目が特徴的だった。


荒野とその先に続く黒々とした魔の森を眼下に、ミラニッサは小さく息を吐く。

その先に続くのは、魔の森の端を国境と据えるフルデルデ王国の、長々と続く塁壁と青々とした平原だ。

竜人族の視力をもってしても、ここからでは到底見ることは出来ない。

フラウレティアが、荒野の端の小山が連なる辺りに行き、そこから時々平原を見ていたことは知っている。

そこまで行けば、母を振り返ることなく飛び去っていった息子(アッシュ)の姿をもっと見送ることが出来ただろうか。



ふと、背後から近付く気配を感じて、ミラニッサはゆっくりと振り返った。

ごく緩やかな勾配の坂道を、杖をつきながら上がってきた老エルフを見て目を眇め、口を開く。

「おや、本体がお出ましとは、珍しい」

「本体って……。なんか言い方に棘があるなぁ…」

ハルミアンは普段、ドルゴールの中であっても、大体のやり取りを使い魔である臙脂色の鳥を飛ばして済ませていた。


「大事な息子が、母も顧みず人間界に出て行ったのだ。少々苛立ちが混じったとしても、仕方のないことだと思わないか?」

フンと鼻を鳴らすようにして言われ、ハルミアンは困ったように眉をハの字にする。

「別に僕が出て行かせた訳じゃないんだけど」

「それでも、あなたが後押ししたのは事実だろう」

ミラニッサの深紅の瞳に険が籠もるように見えるのは、ただ吊り上がった目のせいだけではないようだ。

感情の起伏が浅いと言われる竜人族たが、表現として分かりづらいだけで、感情が無いわけではない。

特に、竜人族の意思を統率していたという“竜の心臓”と呼ばれる魔石を失ってから、竜人族の喜怒哀楽は大幅に増した。



ハルミアンは諦めたように小さく息を吐いて、側の大樹に凭れた。

「……後押ししたと言われれば否定は出来ないけど、きっかけを作ったのはハドシュでしょ」

フラウレティアに、成人までにこれからの身の振り方を考えるよう言い渡したのはハドシュだ。

それがなければ、フラウレティアの意識は今と違っていたかもしれないし、彼女が人間の世を深く知ろうと思わなければ、アッシュはドルゴールを出てまで人間と関わろうとはしなかっただろう。


「……あの子達は、私達が人間と断絶した過去を知らないから……」

ミラニッサは苦々しく呟く。

始祖七人と“竜の心臓”を失った当時、竜人族は激しい混乱状態になり、一時弱体化した。

その隙をついて、人間は彼等を服従の契約魔術で縛り、魔竜の暴虐に対抗する力として使役した。

徐々に状態を回復した竜人達が、助け手のエルフや一部の人間達と逃れた時、その個体数は大幅に減少していたのだった。

その事もあって、ドルゴールの地に根を張った竜人族は、自然な流れで人間の世とは切り離した暮らしを作ってきた。


今、フラウレティアとアッシュが人間の世界に関わろうとすることは、その流れから外れる事にほかならない。

それどころか、場合によってはドルゴールを大きく震撼させるような事にならないだろうか。

ミラニッサには、それが心配なのだ。



「心配は分かるよ。長老達が未だにフラウレティアを忌む気持ちもね……。でもさ、竜人族は本当にこの先もここでひっそりと暮らしていくだけで良いのかな」

「……どういうことだ?」

ミラニッサが怪訝そうに目を細めと、ハルミアンは後ろを振り返る。


緩やかに登ってきた斜面の下には、今では立派な家屋が連なるドルゴールの姿が広がっている。

その町並みは、多くの知識と技術、秀でた能力を持った竜人族が作り上げた、彼等ならではの機能性に溢れている。

しかし、それはこの土地でのみ見られる物になってしまった。


「この世界を牽引してきたのは確かに竜人族なのに、時代が変わったからって、自ら表舞台から消えても良いのかなって」

ハルミアンはミラニッサに向き合う。

「昔とは違う形で、同じ世界に生きる者として関わっていくことは出来ないのかな」

人間を導くことを使命として与えられた竜人族が、その使命を終えて人間達と新しい関係を築き、この世界で命を繋いでいく。

この先が、そういう未来であったなら……。



ミラニッサは暫く黙って見合っていた。

ハルミアンの語る未来は、理想ともいえるものだ。

しかし、すんなりとは受け入れることが出来ない。

長年、下位の生物という認識であった人間に立場を反転され、僅かな期間であっても、竜人族は従魔のように扱われたのだ。

それを明確に覚えている者達、特に長老達が生きている間は、人間と穏便に交われるとは思えない。

それでも、フラウレティアと、彼女を大切に思っているアッシュ(息子)のことを考えれば、その理想の未来に近付いて欲しいとも思う。


「確かにそうなれば、あの娘も暗示(縛り)を解いてありのままで生きていけるのかもしれないがな……」

ミラニッサの呟きには、僅かに情が籠もる。

ハルミアンはふと頬を緩めた。

血の繋がりはなく、種族すら違っても、いつの間にかハドシュもミラニッサも、フラウレティアのことも娘のように大事に思っている。

ハドシュが幼いフラウレティアに暗示をかけたのも、きっとその思いからだ。


『お前の魔力は、()()()()()()()()()


乳素を取り込み、フラウレティアの内包魔力が急速に増し始めた頃、ハドシュは独断で彼女に強い暗示をかけた。

心身共に未熟な幼い彼女が、いたずらに魔力を操っては、すぐに命を落とすことになると思ったからだ。

結果的に、フラウレティアは人間ではあり得ない膨大な魔力を、その身体の奥底に仕舞い込んだまま成長する。

それが出来たことすらも、彼女が特異な体質であるという証だろう。


「竜人族と人間が再び交わり、同等な関係を手に入れる……。生きている内に、そんな世が来ないかな……」

ハルミアンの呟きは、力なく風に流された。

しかし、フラウレティアが成長してドルゴールを飛び出した今、ハルミアンはその期待を胸から消すことが出来ないでいるのだ。





「お前、その目……!」

アンバーク砦の本館屋上で、エナの驚愕の表情を見て、フラウレティアは急いで身を離す。

「……本当に、お前、何なんだよ」

引き攣ったような顔でそう言うエナに、フラウレティアはギュッと拳を握る。

また『普通じゃない』と、構えられるのだと思うと胸が痛む。

「……変だと思うなら、構わないで下さい」

言って踵を返して、再び手すりを握って足を上げようとする。

「おい、待てって!」

慌ててエナはフラウレティアの腕を取った。

「離して! 行かないと……」

「こんな所から飛んだら死ぬぞっ!」

振り解こうとしていたフラウレティアは、その言葉を聞いて動きを止める。


「……死ぬ……?」

手すりを握ったまま振り返るフラウレティアの瞳は、深紅だ。

エナはその不気味さに身が竦みそうになるのを堪え、言葉を続ける。

「そうだ。人間はこんな高さから落ちたら、死んじまうぞ」

目の前の少女が不気味でならないが、ディードの感情を呼び起こした彼女を死なせてはならないと思った。

―――そして、それだけでなく放っておけない。



フラウレティアの瞳が不安定に揺れた。

深紅の色味が薄くなり、徐々に銅色に戻っていく。

「……私……、私、人間です。皆と同じ……」

何処か不安気に呟くフラウレティアに、エナは大きく頷いて見せる。

「…………うん。分かってる、人間だ」

少し普通ではないけれど、やはりこの()は人間なんだと、エナは少し安堵した。

そして、腕を握ったままだった手に力を込め、手すりから彼女を離そうとした。


その時、フラウレティアは弾かれたように平原の上空を振り返った。

その拍子に、エナの手から彼女の腕が擦り抜ける。



「アッシュ!」

フラウレティアは空に向かって叫ぶ。


南西の方角から、猛スピードで飛んで来る翼竜の姿があった。





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