竜人族の今
アッシュは、ドルゴールを早足に歩いていた。
竜人達が新たに築き上げた集落は、その外周を歩けば一刻程で一周出来る。
焦茶色の石畳が均一に敷かれた、その外周の環状路を、アッシュは黙って歩いていた。
どんな時も、大して表情豊かでない竜人族だが、今のアッシュは誰が見ても不機嫌だと分かる顔だ。
突然、バサと羽ばたく音が聞こえて、アッシュは弾かれたように近くに立っていた大樹の影に隠れた。
一拍おいて、大樹の側を灰色の小さな翼竜が飛んで行く。
見つからなかったことに安堵して、ホッと息を吐くと同時に、頭上から声がした。
「はい、駄目〜。やり直し」
「何でだよっ! 見つかってないだろう!?」
アッシュは弾かれたように、顔を上げて抗議する。
頭上の枝には、臙脂色の鳥が止まっていた。
エルフのハルミアンの使い魔だ。
鳥は笑うように黒い嘴を細かく動かし、長い尾羽根を震わせる。
「君は阿呆なの? エニッサに見つからないように一周しろとは言ったけど、隠匿の魔法を習得する為の特訓なのに、物理的に隠れちゃ駄目に決まってるでしょうが」
「ぐぬっ……」
不機嫌そうな顔付きだったアッシュは、更に鼻の上にシワを刻んだ。
アッシュがドルゴールに戻って二日目のこの日、前日に教わった“隠匿の魔法”を、実際に使う特訓がされていた。
前日に難なく習得したアッシュは、すぐにでもフラウレティアの所に戻ろうとしたのだが、覚えただけで実生活で上手く使えなければ意味がないと、ハルミアンに実地訓練を言い渡されたのだ。
隠匿の魔法を使えば、どんな姿の者であっても、周りにいる者には不思議と、影が薄く感じる。
側にいても気付かず、気付いても周囲に溶け込んで違和感を感じない。
竜人のアッシュが、フラウレティアに付いてアンバーク領街に入る為には、必須ともいえる魔法だ。
だからこそ、一日中その魔法を切らすことなく、当たり前に効果を持続できるようにならなければならない。
その為の特訓だ。
アッシュに言い渡されたのは、ドルゴールの外周を歩いて一周する間、アッシュを探して飛び回る弟、翼竜エニッサに見つからないようにすることだった。
やり直しと言われたので、不満気に一度ギチと牙を鳴らして、アッシュはスタート地点であるハルミアンの家に向かって踵を返す。
ここからやり直すことにすれば良いのに、律儀にスタート地点まで戻るアッシュが面白くて、ハルミアンは何も言わずにその後ろ姿を眺める。
さっき通り越して行った灰色の翼竜が、高速で戻って来てアッシュの頭を蹴った。
〔アッシュ見つけたー!〕
「いって! エニッサ、蹴るな! もう一回やり直しだ、やり直し」
〔ええー? またぁ?〕
アッシュの目の前でホバリングしながら、エニッサは鋭い爪の付いた後ろ足をバタバタさせた。
既にこの特訓を始めてから、両手で数えなければならないだけの回数をやり直しているのだ。
「ホント君は、魔法のセンス無いねぇ」
枝の上から、呆れ声のハルミアンの言葉が聞こえて、アッシュは腹立たし気に荒く足を踏み出しながら進んで行った。
エニッサは生まれて既に十五年経っているが、竜人族ではまだまだ幼い子供だ。
しかも彼は、人形に変態出来るようになってはいるが、どうにも不安定で、翼竜の姿でいたがる。
人形を安定させて、難なく日常を過ごせるようになることが、竜人族の成長の第一段階であるのに、それを嫌がって翼竜の姿で過ごしていた。
元々竜人は、繁殖期が極端に短い種族だ。
その周期も長く、個体によっては十数年に一度しか繁殖期が来ない者もいる。
そのせいもあって、竜人族がドルゴールに逃れて来て既に百五十年以上経っているが、この地で生まれた竜人達の数は、その年月に対して、それ程多くない。
しかも、アッシュやエニッサを含む、ドルゴールで生まれた、いわゆる“新世代”と言われる若者達は、何処か歪だった。
エニッサのように変態が不安定な者もいれば、アッシュのように、竜人族なら当り前に使いこなす魔法の習得に苦戦する者もいた。
ドルゴールに逃れて来た世代の竜人達は、『孤高なる竜人族も終わりか』と嘆いている者も多い。
しかし、ハドシュなどは『自然淘汰されるのであれば、それが種の定めだ』と、何処か達観しているようでもあった。
竜人達が凡そドルゴールと認識してある土地の、ちょうどギリギリの辺りに、ハルミアンの家屋はある。
一見素朴な白い建物は、よく見れば白い石の土台と、塗装された艷やかな木材とが組み合わさった造りだ。
特徴的なのは、ガラス面になっている屋根の一部で、何枚ものガラスが角度を変えて複雑に重なり合い、不思議な輝きを見せている。
近付けば窓や軒にも、繊細な彫りが施された建具が使用されていて、余程こだわりを持って建てられた建物であることが窺えた。
その建物の前から、アッシュは今日何度目かのスタートを切った。
慎重に精霊の魔力を繰りながら、出来るだけ早く進もうと、前へ出す足は早い。
魔法に集中して、それでいて平常に。
異なる二つの状態を当り前に保たねば、隠匿の魔法を維持出来ない。
それは、アッシュには難しい事だったが、少しでも早く合格を得たくて、必死だった。
―――フラウの側に、早く帰らないと。
アッシュの頭はそれでいっぱいだった。
フラウレティアが砦の生活に馴染んでいるといっても、あそこに居着いてから、まだひと月も経っていない。
人間にも多少信用出来そうな者がいることは分かったが、依然として信用ならない者も多い。
フラウレティアを一人あの場に残していることが、心配でならなかった。
何と言っても、自分はフラウレティアを庇護する“父親”ともいうべき立場なのだから。
その考えに、思わず足を止め、大きな爪の付いた手を胸に当てる。
なぜこうも胸がチクチクするのだろう。
ずっとフラウレティアを守ってきたし、これからも一緒にいられる限りそうするつもりだ。
だが、自分が彼女にとって“父親”という括りなのだと分かってから、どうしても落ち着かないのだ。
もしかして、人間の国に行って妙な病を貰ったのだろうか。
しかし、竜人族は余程のことがない限り、病になどならない。
あの脆弱な人間達の病などにやられるとは思えない。
「もう諦めたのか?」
突然声を掛けられて、アッシュは弾かれたように顔を上げる。
いつの間にか目の前に、ハドシュが太い腕を組んで立っていた。
考えに耽っていたとはいえ、近付いた事に少しも気付かなかった事に愕然とする。
ハドシュもまた、隠匿の魔法を使ってアッシュの側に寄ってきたのだ。
「隠匿の魔法を早く会得して、フラウレティアの下に戻るつもりではなかったのか? これでは、あの子は一人で人間の街に行かねばならないだろうな」
その口調に、僅かに嘲るような気配が混じるのを感じて、アッシュはギチと牙を鳴らす。
悔しいが、ここまで魔法士としての格の違いを見せつけられては、反論しようにも出来なかった。
そして、それ以上に、こんなに嫌味臭いハドシュと自分が、フラウレティアにとって同じ括りなのかと思うと、腹立たしくて堪らなかった。
「……くそっ。見てろ、すぐに完璧に使いこなしてやるからな!」
アッシュはハドシュを上目に睨み付け、勢い良く踵を返す。
「何処へ行く?」
「もう一回やり直すんだよっ!」
肩越しに言い捨てて、アッシュはハルミアンの家に向かって荒い足取りで戻って行く。
「……律儀な奴だ」
ふ、とハドシュが口端を歪めるようにして、薄く笑った。




